・所在地:甲賀市水口町伴中山
旧:甲賀郡水口町
・目標地点:伴中山信号
・形式:丘城 ・比高:5m
・現況:畑地・荒地・宅地
・遺構等:郭・土塁
・時代/人物: 室町期/城主 伴 播磨守 伴 左京亮
・最寄の駐車位置(JA支所)からの主郭までの所要時間:10分 ・訪城日:2014.3.9
伴中山城 大字伴中山字城下 富田与平氏宅の北山土盛高3m 内面積2000㎡。
大字伴中山
伴中山は、神宮領柏木御厨司五郷の一つで、元徳3年(1331)注進目録に出る中山郷です。
中山民部丞の所領後柏木御厨司職山中氏の管治下となった。
応仁以来再度伴氏支配下となり天正13年(1585)中村一氏、増田長盛、長束正家と代わり伴上野介資光氏、伴勘左衛門氏の所領となり、寛永11年(1634)水口城代小堀遠江守や代官平岡四郎左衛門、鳥居伊賀守となり、正徳2年(1712)加藤和泉守より世襲することとなる。
明和8年(1771)旗本美濃部伊織の支配下、天明以後代官は岩出伊右衛門、多羅尾四郎右衛門、天保4年(1883)稲葉長門守の堤封に入り子孫世襲することとなり、明治維新となりました。
伴中山地区の小字 20小字
笹尾 正保 座禅坊 平尾 中切 百姓村 小谷 六反田 馳登 峯道 杭原 彼岸田 岩谷 西浦 村外 神田 城下 北山 椎ノ木谷 芳ヶ谷
天台宗 宝臓寺 大字伴中山字座禅坊
本尊 阿弥陀如来座像は、現在の良徳寺の本尊と聞き及んでいる。
由緒 創立不明、元亀年間に織田信長の焼き討ちにより焼失した。田林氏宅の東の山の頂にあったが、廃寺となっている。
伴氏は俗に言う甲賀武士であり、戦国末期の甲賀群中惣の一員。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)
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