石垣城郭の先進地 南近江の城郭を学ぶ
近江石垣城郭の魅力
ウッデイパル城郭フオーラム 講師:長谷川博美氏
後藤但馬舘 佐生日吉城 北向観音 伊庭山城 北須田山城 石馬山城 見学会参加しました
伊庭山ハイキングコースの古墳
仮 説
「伊庭氏320年の支配の、伊庭郷の居館だけでなく伊庭山に山城があってしかるべきではないか?」との仮説に基づき伊庭山一帯を踏査。
その結果、石垣後や土塁など発見した!仮称)伊庭山城とする。城郭研究家:長谷川博美氏と城歩会の会員が。
お城のデータ
所在地:東近江市(旧神崎郡能登川町)伊庭町 map:http://yahoo.jp/c4_9fP
現 状:山林・ハイキングコース
区 分:山城
築城期:織豊期か?
築城者:小川土佐守祐忠か?徳永石見守永昌か?山路将監正國か?
遺 構:石垣・土塁・曲廓・虎口・横堀・竪堀
標 高:310m 比高差:200m
目標地:北向観音堂
駐車場:北向観音堂参拝者駐車場
訪城日:2016.2.27
お城の概要
仮称)伊庭山城は、主家観音寺城と支城の佐生日吉城や和田山城への繋ぎ城か?(今は、繖山魂の伊庭山ハイキングコースになっているが、)
伊庭山頂部(標高310m)を主郭に、低土塁で囲い、帯廓、犬張りにも注目される。北西へ段廓(平削地)が連なり、主郭尾根筋は自然の地形を利用した畝状竪堀で堅固な城郭!
城郭に興味のないハイカーには、単なる縦走路の一部なのであろう。
お城の歴史 《資料より学ぶ》
天正11年当時・長浜城主柴田勝豊の主要な近江系家臣は
-
(徳永石見守寿昌)=東近江市・能登川伊庭伊庭庄領主。
-
(山路将監正国)=東近江市・能登川山路出身。
-
(小川土佐守祐忠)=東近江市・能登川小川出身。 いずれも東近江市能登川出身。
・長浜城主柴田勝豊=?−1583 織豊時代の武将。柴田勝家の姉の子、養子。越前(えちぜん)(福井県)丸岡城主。天正10年本能寺の変後の清洲(きよす)会議で、近江(おうみ)(滋賀県)長浜城主となる。
・徳永 寿昌=戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。美濃高須藩初代藩主。生涯 はじめ柴田勝豊に仕え、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは羽柴秀吉に協力した。
・山路将監正国=天文15年(1546年) - 天正11年4月21日(1583年6月11日)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。柴田勝家の家臣。
・小川土佐守祐忠=近江出身ではじめ織田信長に仕え、1582 年、明智光秀の反乱に加わり山崎の合戦に出陣。 光秀敗滅後は柴田勝家に属して 勝家の養子勝豊の家老を務めた。
参考資料:新発見山城見学会資料(レジュメ)、『ウィキペディア(Wikipedia)』
本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!