圓福寺観音堂の西隣
お城の概要
所在地:守山市立田町 (旧戸田) map:http://yahoo.jp/zwwvux
現 状:集落
遺 構:土塁、堀痕・土塁痕
区 分:平城
築城期:室町期?
築城者:戸田氏
目 標:圓光寺・圓福寺観音堂
訪城日:2014.6.7
土塁痕戸田城は立田町の西方、旧戸田村の圓福寺観音堂付近一帯にあったとされる。
現在の立田町は立花村と戸田村が合併して生まれた町名である。集落内の地籍は変わらず、細い生活路(堀を埋めて)や、曲りくねった里道「路地」
現在は宅地整備され道路になっているが、水路は城構えを呈したように複雑に流れている。整備前には堀・土塁が残っていたという。
土塁跡が残っている。
現在は宅地化が進み原形を留めていないが、円光寺北西の個人宅に高さ1m程度の垣根となっている土塁跡が残っている。
集落の合併で、堀は埋められ生活道路に、暗渠に、排水路に、一部側溝として「往時の名残り」が残る。
堀痕(堀は、生活路に埋め・暗渠に・排水路に、往時の名残り)
歴 史
『江州佐々木南北諸士帳』に野洲群 戸田城主 佐々木随兵 戸田河内守則国。戸田城主 佐々木随兵 戸田石見守頼季 とあり。
江戸期以前の戸田城に関する詳細は不明である。
江戸期の戸田村は、複数藩が相持ちの錯綜所領制であったが、いずれの藩もここを本拠としていなかった。所領があったのは近江山賀を本拠とした旗本木下家、和泉伯太藩渡辺家、武蔵川越藩松平周防守家、近江山上藩稲垣家などであった。
圓光寺
県道477線沿いの医院の駐車場
参考資料:『滋賀県中世城郭分布調査』 、『江州佐々木南北諸士帳』、淡海の城
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