昨日は、予約していた「志ん朝と上方」などを借りてから、
「ざま昼席落語会」へ。
途中でビールを飲んで眠かったりしたのだが、
「安い会だし、せっかく時間もあるから行こう」と思い直して
相武台前から歩いて座間市民会館へ。
雨が靴の中に滲み込む。
それでも、思い直して見に行った甲斐あり。
「牛ほめ」(市丸)
特に間をいじったり、表情をつけたりしてウケさせるのではなく、
はっきり、きっちり話して伝えようとしている。
真っ直ぐな感じで好感が持てる。
市馬の弟子だと思うが、師匠の教育がいいのだろう、と感じた。
「転失気」(平治)
うーん。クサい人だなあ。嫌いではないけど。
ただ、このネタはそこまで押さない方が良いと思う。
1軒1軒の訪問先でけっこう待つ間を作っているのだが、
「それぞれ、分からないまま苦し紛れに適当なことを言っている」
全体の構図が分かりづらくなってしまった。
別に、それぞれで(流れを崩してまで)無理にウケをとることはないと思う。
全体的なリズム・バランスが悪く、お医者さんと話す(転失気の意味を割る)
ところや、その後和尚さんと話すところでウケが弱くなった。
声の明るさ・雰囲気は好きなんだけどねえ。
「へっつい幽霊」(鯉昇)
ふわふわとしたマクラ。
一見淡々とネタも運んでいくが、若旦那・幽霊がきっちり描けているので
よく伝わり、ウケる。
へっついを「職人が自分で使うために作ったもの」と説明するのは、
初めて聞いたが良い仕込だと思う。
(なぜ最後の客が関西人なのかよく分からんが)
熊さんは最初はあまり存在感がなかったが、
金を借りてきて幽霊とやりとりするところは流石。
賽を持つ幽霊の手付きや、負けたときの落胆する様子が良く、
よくウケていた。
「こんにゃく問答」(鯉昇)
上州安中を「草津に行く途中で路銀がなくなって行き倒れるところ」と
最初に説明しておく。
江戸から流れてきた男の設定が、この科白でよく伝わる感じ。
こんにゃく屋のおっさんも、江戸から来たこういう人間の扱いに
慣れている雰囲気がある。「こんにゃく屋はイヤだ」と言われても
別に怒りもせずさらっと流すところとか。
飛び道具は「大和尚の法名はダライ・ラマ」くらい。
全体に、特に奇を衒わずにきっちりと描いているだけなのだが、
それで自然に楽しめた。
人物のバックボーンがきっちり想定されているからか。
これがあるべき落語の姿かな、と思う。
例の「食い違い」も仕草をオーバー目に見せているのだが、
その「オーバーにやる」ことそのものが(2人の感情から考えると)
自然で、良かった。
「お血脈」(平治)
話の筋をずらし、ウケて、元に戻る、というのを繰り返すのだが、
最初はその待ち方がクサくて、あまりウケていなかった。
次第に慣れてきて、リズムに乗ってきた感じ。
最後「善光寺の由来」で切るような感じで、
下座でも追い出しを打ち始めてしまった。
それで少し雰囲気が冷めた感じがする。
その後(慌てず)立て直す辺りは流石だが。
五右衛門の芝居がかりが良かった。
この人、芝居が好きなんだと思う。
(最後、額に付けなくても、
押し頂くだけで極楽に行けてしまう、と思うのだが。)
ただ、この人の芸風、地噺に偏ってしまいそうで心配。
(マクラからしてそうだが)「待つ」間がけっこう鼻に付く。
普通のネタでこのクセが出ると、雰囲気作りに苦労するのでは?と思う。
満足して、途中で飲んで帰った。
「ざま昼席落語会」へ。
途中でビールを飲んで眠かったりしたのだが、
「安い会だし、せっかく時間もあるから行こう」と思い直して
相武台前から歩いて座間市民会館へ。
雨が靴の中に滲み込む。
それでも、思い直して見に行った甲斐あり。
「牛ほめ」(市丸)
特に間をいじったり、表情をつけたりしてウケさせるのではなく、
はっきり、きっちり話して伝えようとしている。
真っ直ぐな感じで好感が持てる。
市馬の弟子だと思うが、師匠の教育がいいのだろう、と感じた。
「転失気」(平治)
うーん。クサい人だなあ。嫌いではないけど。
ただ、このネタはそこまで押さない方が良いと思う。
1軒1軒の訪問先でけっこう待つ間を作っているのだが、
「それぞれ、分からないまま苦し紛れに適当なことを言っている」
全体の構図が分かりづらくなってしまった。
別に、それぞれで(流れを崩してまで)無理にウケをとることはないと思う。
全体的なリズム・バランスが悪く、お医者さんと話す(転失気の意味を割る)
ところや、その後和尚さんと話すところでウケが弱くなった。
声の明るさ・雰囲気は好きなんだけどねえ。
「へっつい幽霊」(鯉昇)
ふわふわとしたマクラ。
一見淡々とネタも運んでいくが、若旦那・幽霊がきっちり描けているので
よく伝わり、ウケる。
へっついを「職人が自分で使うために作ったもの」と説明するのは、
初めて聞いたが良い仕込だと思う。
(なぜ最後の客が関西人なのかよく分からんが)
熊さんは最初はあまり存在感がなかったが、
金を借りてきて幽霊とやりとりするところは流石。
賽を持つ幽霊の手付きや、負けたときの落胆する様子が良く、
よくウケていた。
「こんにゃく問答」(鯉昇)
上州安中を「草津に行く途中で路銀がなくなって行き倒れるところ」と
最初に説明しておく。
江戸から流れてきた男の設定が、この科白でよく伝わる感じ。
こんにゃく屋のおっさんも、江戸から来たこういう人間の扱いに
慣れている雰囲気がある。「こんにゃく屋はイヤだ」と言われても
別に怒りもせずさらっと流すところとか。
飛び道具は「大和尚の法名はダライ・ラマ」くらい。
全体に、特に奇を衒わずにきっちりと描いているだけなのだが、
それで自然に楽しめた。
人物のバックボーンがきっちり想定されているからか。
これがあるべき落語の姿かな、と思う。
例の「食い違い」も仕草をオーバー目に見せているのだが、
その「オーバーにやる」ことそのものが(2人の感情から考えると)
自然で、良かった。
「お血脈」(平治)
話の筋をずらし、ウケて、元に戻る、というのを繰り返すのだが、
最初はその待ち方がクサくて、あまりウケていなかった。
次第に慣れてきて、リズムに乗ってきた感じ。
最後「善光寺の由来」で切るような感じで、
下座でも追い出しを打ち始めてしまった。
それで少し雰囲気が冷めた感じがする。
その後(慌てず)立て直す辺りは流石だが。
五右衛門の芝居がかりが良かった。
この人、芝居が好きなんだと思う。
(最後、額に付けなくても、
押し頂くだけで極楽に行けてしまう、と思うのだが。)
ただ、この人の芸風、地噺に偏ってしまいそうで心配。
(マクラからしてそうだが)「待つ」間がけっこう鼻に付く。
普通のネタでこのクセが出ると、雰囲気作りに苦労するのでは?と思う。
満足して、途中で飲んで帰った。