朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

「私」による復讐が正当化されつつある

2008年12月13日 08時40分36秒 | 法・裁判
最近、被害者が裁判で発言したり、
加害者の出獄に関して被害者の意見を聞いたり、という
話が出てきている。

そしてこれが、さも当然であるかのように思われる風潮に
不気味なものを感じる。
結局刑罰が、被害者の対加害者(と警察に立件された)人の
復讐意識を満足させるものになっており、
裁判も司法も、その代理人になっているのでは、という感覚。
そこには「社会の矛盾」も「犯罪につながった背景」もなく、
「罪を犯しやがった、許せない」という「私情」しか存在しない。

この「私情」は、
最近多発している「誰でも良かった」犯罪者の
幼稚で論理的でない行動と通底するのではないか。
理性による抑制を利かさない、
むき出しの獣性・本能の爆発であることに違いはない。

理性・社会に対する関心の位置付けが低下する中で、
このような私情があたかも「自然」なものとして、
大手を振って認められつつあるように感じる。
しかし、これは社会的生物である人間の「退化」だと思う。
そして、さらにどのような社会につながるのか、と考えると、
空恐ろしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする