今月は文楽劇場に行くかどうか迷っていたのだが、
先週の木曜、日経の夕刊で取り上げられていたのを見た。
それで行くことを決め、ネットで予約して
金曜の昼の部「加賀見山旧錦絵」を見ることにした。
「又助住家の段」
岩藤や尾上を巡る話はよく出るが、
「又助住家の段」が出るのは珍しいかな。
個人的に見るのは初めて。
前の段で又助は唆されて、浪人している主人の敵を討ったのだが、
実はそれが主君だった、ということを知らされる。
主人の手討ちに遭い、結果主人の帰参が適う、という話。
そこに主人のために身を売って金を作ろうとする嫁が絡む。
まあ、よくあるストーリーではある。
どこが「加賀見山」全体で岩藤や尾上に絡むのか、よく分からんな。
咲大夫の声は聞き易いが、穏やかで眠くなってしまった。
「草履打の段」
ここからは岩藤と尾上、お初を巡る話になる。
金の話をする商人が出てきて、最初「特に要らないのでは?」と感じたのだが、
その会話から尾上に対して「商人の娘」「下賎」といったところで
当てこすっていくんだな。
良く出来た流れ。
岩藤の松香大夫が憎憎しくて良い。
もう少し「今までから苛めている」慣れた感じも出ると尚良いか。
尾上の呂勢大夫も耐える作りが良かった。
人形はよく分からないのだが、
主遣いは兎も角、左や足に微妙な違和感があった。
動きのタイミングや高さが主と合っていない感じ。
「廊下の段」
お初の他の腰元衆との絡み、岩藤に苛められるところ。
その後岩藤がお家乗っ取りを企む侍と話をする場面になる。
英大夫は別に良いとも思えないなあ。
お初は勘十郎で、これも左と時にずれる。
「長局の段」
お初が尾上を迎えに行く。
長局で「忠臣蔵」を他所事にした諌め、
その後片や死を決意して用意し、片や案じつつ薬を煎じる。
お初が書を持って出たが、通行人の会話に不安堪らなく戻り、
尾上の死骸を抱えて泣き叫ぶ。
尾上の死を覚悟した動きと
不安を抱えつつ尾上の気を上げようとするお初の甲斐甲斐しい働き、
浄瑠璃、人形とも良かった。
源大夫はあまり好きではないのだが、
死を覚悟した澱みや沈鬱さが声質とも相俟ってよく出ていたと思う。
この段では、三味線の藤蔵が五月蝿く、耳障りだった。
掛け声、微妙に唸る声など、
ただでさえ聞きとり辛い源大夫の声が聞こえないではないか。
挙句何度も糸を切るようでは、何をか言わんや。
後の千歳との掛け合いは、まだしも、だが、
「女房役」であるべき三味線弾きが目立とうとしてどうする。
心根の入れ替えを期待。
お初の人形、女役だけど足があるんやね。
立役も女役もやる勘十郎であり、
豪快さと女らしさを上手く調和させていたと思う。
「奥庭の段」
お初と岩藤の立ち回り、
お初が岩藤を討った後で侍が入ってきて
「御家乗っ取り」の証拠の密書を受けてお初に「2代目尾上」を名乗らせる、というところ。
「長局の段」でお初が元々侍の娘である、という話もあるので、
そのお家再興、の意味もあるのか。
「再岩藤」を知っている身としては、
この「2代目尾上」に対して岩藤の亡霊が祟ろうとするのだな、と思ったり。
特に何も考えず、楽しく聞いていられた。
行くか行くまいか、と迷っていたが、
結果的には行って良かったと思う。
日経の「若手人形遣い」(和生、玉女など)を取り上げた記事に感謝。
ただ人形は主遣いだけでは深い表現はできない訳で、
昔「蓑助が綺麗だった」と言っても、そこには表に出ない左や足の奮闘がある。
この日は、左遣いや足遣いのレベルが落ちている、
あるいは主遣いと合わせての稽古不足では、と感じる部分が散見された。
現在のトップであろう顔ぶれの「帯屋」も見に行くかな。