先日無罪判決が確定した所謂「東電OL殺人事件」についての
検察幹部の強弁。
嗚呼、冤罪が頻発しても、本当に何も変わっていないんだなあ。
非常に不愉快で、情けなくなった。
「当時の証拠関係では間違いではなかった」と言うが、
「無罪推定」の原則に反して己のストーリーを優先して、
別の人間の存在を示す証拠を隠蔽していたのではなかったのか?
それも間違いではなかった、と言うのか?
確かに有罪推定で判決を下した裁判所の罪の方が遥かに重いし、
裁判所と人事交流を通してズブズブの検察当局としては、
裁判所批判に通じかねない「反省」はできないのかも知れないが。
そして「真犯人を逮捕しなければ冤罪と言えない」も狂っているとしか思えない。
それは「無罪判決だけど、本当は被告がやったかも知れない、と思っているんだよ」という負け惜しみ、
或いは15年監禁した冤罪被害者にさらに鞭打つ発言と感じる。
菅家さんの時は真犯人を見つける前に「冤罪」と認めたのではないのか?
その違いは何なのだ?
逆行しているように見える。
結局、「今回は新しい証拠が発見されたので已む無く無罪にした、
最初の有罪にした裁判は誤っていない」と言いたいのだろう。
しかしその際の証拠の扱い、取調べなどに誤りはなかったのか?
このあたり、検察・裁判所とも己らの正当化・自己弁護に走り、
誤りを自ら正す自浄能力に欠けていると感じる。
いっそ、冤罪被害者に国際機関に訴え出てもらって、
「人権侵害」「日本の司法制度は法治国家の態を為していない」と
国際的な指弾を受けないとダメなのかも知れない。
それでも尚、冤罪を生み出す構造を改めることはできないのでは、と
悲観的に感じてしまうほど根深いのだが。
特に外国人が冤罪被害者になった今回の件、
私は別に「憂国の士」でも「愛国者」でもないが、
「同じ日本人と思われると恥ずかしい」と怒りを覚えてしまった。