先週土曜は奈良の落語会へ。
「奈良町落語ふぇすてぃばる」ということで様々なイベントや落語会が開催されており、
この落語会もその一環らしい。
船橋商店街という、東向き商店街などに比べるとやや寂れた、
アーケードのない商店街の中のイベントスペースのようなところ。
如何にも地域寄席、の手作り感が良い。
「粗忽長屋」(雀太):△
色々な人がいる、といった話やネタになっているマクラから本題へ。
上方でこのネタをやるのはムチャだろう、と思っていたのだが、
その懸念通り。
江戸の「粗忽」という人物造型をどうするか?
2人の粗忽者の違いをどのように表現するか?が必要だと思っているのだが、
あまり考えられていないように見えた。
1人目の粗忽者が野次馬連中に声を掛けるところ、
応対した野次馬の方がむしろ粗忽に見えてしまう程、
粗忽の描写が出来ていなかった。
世話役との会話はまあまあだが、粗忽の描写にはあまり拘っていないように感じた。
帰ってきてからのもう1人の粗忽との会話、
どちらも別に粗忽という感じではないし、
2人の違いもイマイチはっきりしない。
「訳の分からない話をする人」に周囲が巻き込まれてそのズレを楽しむ、が
このネタの本旨だと思うのだが、
前提がはっきりしないのでズレも不明確であり、
当然あまり楽しめなかった。
難しいネタであり、そこを避けて台詞の可笑しさだけで進める、という意図かも知れないが、
それではちと勿体ない気がする。
「悋気の独楽」(雀三郎):○
お手かけさんと本妻で髪の毛を抜き合う、という小咄からネタへ。
ネタは、まあ、安心して聞けるもの。
丁稚の可愛い中のちょっとした背伸び、といったバランス、
おたけどんのおばさん染みた感じが良い。
ごりょんさんは薄めだが、これくらいの濃度で良いかも知れない。
独楽は3回廻し、
最後は本妻に弾かれた旦那の独楽がお手かけさんの独楽に当たる、というサゲ。
気にしなければ良いのかも知れないが、
丁稚が独楽を出すところの流れが少し不自然なネタではある。
江戸の「ごりょんさんの肩を叩いていたら独楽が当たるので、そこから問い詰める」も
少し行き過ぎかも知れないが、
何らかの流れの中で出せた方が良いだろうな、と思う。
「住吉駕籠」(雀喜):△
リニアモーターカーの話、「何人で何人を運ぶか」の乗り物比較の
付き物になっているマクラ。
後者はもう少し色々膨らませられそう。
ネタは、かなりダラダラしているように感じた。
また、最初の「早く戻ってきてや」のあたり、
アホを強く描き過ぎないのは悪くないが、その後はアホの一貫性が弱い。
「茶店の主」「板谷橋」「侍」の後「酔っ払い」で切っていたのだが、
特に「酔っ払い」は長かった。
全体に緩和口調であり、
酔っ払いも駕籠屋も同じような口調で穏やかに喋っているので眠くなってしまった。
「淀五郎」(雀三郎):○+
芝居の話を少し振ってネタへ。
若干トチリはあったが、流石。
特に多見蔵や璃寛といった年上の人間が良い。
それは声だけでなく、諭す喋り方やそのベースとなる深みが滲み出ているためだと思う。
特に様々なことを飲み込んだ璃寛の淀五郎に対する接し方が
温かみがあって素晴らしい。
淀五郎が泣き出した時の家人に対する声の掛け方など。
多見蔵の皮肉の言い方は若干強く、ここはあまり好みではない。
多少皮肉は混じっているにせよ、ごく普通のことを役者らしく言っているのを、
淀五郎の方が誤解して捉えてしまう、
それを璃寛に諭される、という構造が良いのでは、と思う。
多見蔵に言われて、璃寛に諭される、という設定なのだが、
今は双璧とは言え元々多見蔵の弟子であった璃寛よりも、
元々多見蔵と同格の役者、の方が良いかも、とふと感じた。
「元弟子として、師匠に肩入れする」要素が微妙に入ってしまったように感じたのだが、
個人的には純粋に芸として「誰でも同じことを言う」ようにした方が良いのでは、
という感覚。
いい話を聞いたな、と思える出来だった。