マンデラ氏追悼式でのデタラメ手話の人のニュースを昨夜観て、一時間ぐらい笑った。聾唖学校の校長先生の証言「あれは手話ではありません。ただ変な動きをしてるだけです」。ただの変な動きを、要人の隣で真顔で4時間も続けたのだとしたら、尊敬に値する。
なるほど、商品市場に独占禁止法や不正競争防止法があるように、表現市場においても一部の表現流通を制約して流通しにくい表現の流通を図ると。うーん…そういうアイデアもあるかと思うが、表現の流通性を表現内容中立的に図ることができるだろうか。選別者の恣意性が入りそう @kkmaru
“「秘密保護法」公布。与野党議員これから海外視察のデタラメ” bit.ly/JoGn13 「今ごろになって国会が「秘密保護法」をどう運用すべきか、第三者機関をどう設立すべきか…、海外の状況について、これから超党派議員でノコノコ視察に出掛けるというから呆れる」
美しい夕焼け。心に滲み入る。スポンジではないが、ざらついていたりささくれだっていたりする方が、様々なものが滲み入るのやも知れぬ。
大学院レベルの議論まで母国語で出来る国って実は少ない.大学から教科書は外国語(大半は英語)という言語圏は結構ある.そのため大学に行かなくても/専門が別でも/誰でも自学自習で高度なことまで学べる.何でもかんでも英語化すると知識人や専門職とそれ以外の分断がかなり進んでしまうと思うぞ.
明治初期日本がまさにそうであった。しかし、明治期は国語で高等教育ができるよう目指していた時代であったし、結果そうなった。今、国語で高等教育を行える国が、外国語で高等教育を行うよう切り替えるのだという。かつての大学人たちは、これを見てなんと思うだろうか>RT
「日本の伝統」「国家」という話と、「英語教育推進」って、矛盾(或いは股裂き)している気がするのだが。どこを向いているのだろう。