ようやく
玄関先の
緋寒桜が
咲き始めました
例年よりは
数日遅いのですが
それは
客観視するモノの
捉え方
花は
遅いとか
早いとか
関係無く
咲きどき。
に
咲くのみ
なのでしょうね
80代の常連さんと
昨日
シアワセ。について
話していて
「互いがシアワセなら理想ですね」
と
云うと
ピシャリ
「それは、キレイゴト。です
互いのシアワセなんて
各々が決めるコト
なかなか
シアワセを共有するのは
難しいモノです
片恋がいちばんシアワセだと
想うコトです」
そう
斬られてしまいました
ご自身の経験からか
ご自身にそう諭してこられたのか
定かでは無いですが
それも一理あるな
と
想いました
(恋。に限らずね)
誰かを想ったり
シアワセにしたい
なんて
それは
自身が
確立したモノにのみ
赦されるコト
なのかも
未だ
人生のどの辺りを
歩いてるかさえ
解らぬモノには
次なるステージの
課題なのかな
ただ
懸命に生きる姿
を
気に留めてくれた
誰かの
ヒントにしてくれたり
キッカケになってくれたり
は
アリ。かなと
昨日の会話のように
今朝の開花のように
すべては
人生の中の置き石
腑に落ちたり
課題として抱えていくコトで
道程を
測りながら
歩いていけたのなら
朧げでも
憶測でも