最近
SNS上で
気になる記事があった
生物学者の方が
「人間の寿命は本来四十年
あとは生活環境の改善と
医学の進歩によって
生かされているだけ」
と説き
「よって本来なら存在しない
四十代以降は自由にのびやかに
生きるべきだ」
と
自己解放論で
結んでらした
なるほど
寿命から十年
生き延びている身には
妙に説得力ある論説だ
様々な役割を担い
なんとか辻褄合わせしながら
此処までやってきた
役割を終え
ホッとしたような
物足りないような
昨今
あぁ
生きてる。
のではなく
生かされている。
だから
どこかしら
他人事みたいに
日々を
人生を
俯瞰している気がしてならなかったのか!
と
納得している自身がいる
ワタシが食べたモノが糧となり
ワタシが選んだモノだけが経験となる
そう鼓舞して駆け抜けた前半戦
と
比較すると
かなり
なりゆき任せな後半戦
でも
其れを気に入っている自身もいて
あーでもないこーでもないと
頬膨らませるコト無く
そう来たか
ま、いいか
と
受け流す気楽さを
愉しめるようになった
此の本のタイトル
「月とコーヒー」
其れは
まさに
人生後半戦の象徴
著者のあとがき
に
こう記されている
『この星で生きていくために必要なのは
「太陽とパン」の方でしょうが、
この世から月とコーヒーが
なくなってしまったら
なんと味気なくつまらないコトでしょう。
日常を繰り返していくために
なくてはならいもの
それは場合によっては
とるにたらないものであり
世の中から忘れられたもの
であるかもしれません。』
と
24のショートショート
少し刹那くて
少し淋しいモノばかり
でも
じんわり
読了後には
あたたかさや
清涼感に包まれている
あぁ
コレコレ
日々
欲する
取るに足らぬモノ
ワタシだけが知っている
ワタシだけが納得していればいい
そんな
感覚