それなりの ノタリ

地域活動がそれなりにやることがあって、かと言って、多忙というほどでもなく、ノタリの生活。

【三匹のおっさん】~~有川 浩

2012年09月24日 | 再開(読書)

ヒグマの出没騒動は9月の下旬になってもも続いている。地下鉄・真駒内駅辺りにまで
「進出」してきて来た。ってことは、ボクの家のある地区を通って
行ったことになる。寝室は2階なので、夜は当然、1階の窓は閉めて寝ている。


昨日は北ノ沢の老健施設近辺に出た。いつまで続くのかなぁ。夜と早朝の警戒情報。
さすがにボクとこ近辺には警戒情報はないが、相変わらず藻岩山の入山禁止は続いている。

今日は有川 浩(ひろ 女性作家)の【三匹のおっさん】を読んだ。
この作家は一昨年、テレビ化になった【フリーター 家を建てる】や
去年、映画化になった【阪急電鉄】を書いた人で、それらが面白かったので。。。

文春文庫 435㌻ 単行本2009年3月  文庫本2012年3月の第5版 730円

作者の有川 浩は40歳の若さだが、この作家の本はこれが初めてだ。
『阪急電車』や『フリーター 家を買う』などで有名だ。

amazonさんからお借りした【あらすじ】

還暦ぐらいでジジイの箱に蹴り込まれてたまるか!
 

定年を迎えて一念発起した剣道の達人・キヨ、
経営する居酒屋も息子に任せられるようになってきた柔道の達人・シゲ、
遅くできた一人娘を溺愛する町工場経営者で
機械をいじらせたら右に出るものナシの頭脳派・ノリ。

かつての悪ガキ三人組が結成した自警団が、痴漢、詐欺、動物虐待など
ご町内にはびこる悪を成敗! その活躍はやがてキヨの息子夫婦や
孫の祐希、ノリの愛娘・早苗らにも影響を与えてゆき……。

シリーズ第二弾『三匹のおっさん ふたたび』も刊行間近で
絶好調の痛快活劇小説です!

 

小説だから現実には起こり得ないような物語で、いかにも愉快だが、
主人公たち3人が60歳定年を迎えて、嘱託雇用されたりしている年代。

読む前から、同年代のせいか、なんとなく親近感を覚える本だった。
肩の凝らない軽快で痛快物語で、暇つぶしにピッタリ。お薦めだ。

 


【サヨナラ イツカ】~~辻 仁成

2012年08月31日 | 再開(読書)

辻 仁成(ひとなり)は東京生まれの52歳だが、父の関係で帯広や函館に住んだことがある。
2002年に中山美穂と結婚し、今はパリ在住で創作活動している。


1997年、『海峡の光』で第116回芥川賞を受賞。同年に函館市栄誉賞受賞。
と、北海道に縁のある作家だが、この【海峡の光】を当時、読んだだけなので
近所の本屋さんで、この【サヨナラ イツカ】を購入、読んでみることにした。

幻冬舎文庫 2002年初版の26版 267㌻ 520円(税込み)




【amazonからお借りした「あらすじ」】

1975年、灼熱のバンコク。
金・美貌・愛に不自由なく暮らし、“愛されること”を求め生きてきた沓子は、
ある日、夢に向かって真っすぐ生きるエリートビジネスマン・豊と出逢う。
ふたりはたちまち魅かれ合い、熱帯の夜に溺れていく。
しかし、豊は結婚を目前に控え、日本に婚約者がいた。
期限ある恋、かなわぬ恋だとしても、自分は彼を愛し続ける…。
沓子は、愛することこそが本当の愛だと気付いてしまった。
そしてふたりは25年後のバンコクで、運命の再会をするが――。
人は死ぬ前に、愛することを思い出すのか、愛されることを思い出すのか――
バンコク、東京、ニューヨーク。一瞬の熱情が、25年の時を超え、一生の愛になる。


この小説は一昨年、ミポリンこと中山美穂の主演で映画化されたそうだが、
憶えがない。 でも「12年ぶりの映画出演だが、さすが中山美穂」との高い
評価を得たということだ。

地区センターの図書館に寄贈するには、ちょっと惜しい気がするので、
暫くの間、手許に置いておくつもり。

元来、ボクはあんまりラブストーリーを好まないのだが、
舞台がバンコクと東京が主で、時間空間も1975年とその25~30年後と
広がりのある壮大さを感じるので、すごく面白くて一気読みに近かった。

 


【第三の女】  夏樹 静子

2012年08月21日 | 再開(読書)

今日は朝から一日暑かった。しかも最高の蒸し暑さ。
気温は33℃まで上がったとのことだし、居間の湿度計も70%近い。
節電の夏だけど、特別の用もない今日。

さすがにほとんど一日中、エアコンを効かせて過ごした。
エアコンと言っても温度設定は28℃。  【冷房】ではなく【ドライ】で十分。
そうすると室温は25℃、湿度は55%ほどとなって快適だった。
エアコンの使用は、今日がこの夏、3日目だった。

この本は昭和53年に初版が刊行され、以後3回ほど文庫や作品集のひとつとして
収録されたが、平成19年に新装版として光文社より発刊された、人気長編小説である。

光文社  文庫本  357ページ  660円(税込み)  amazonで購入(8月7日)

裏表紙の説明には次のようにある。

『晩秋のパリ郊外。時ならぬ嵐で雷鳴が轟き、バルビゾン村の古びた小さなホテルが
停電となった。冥暗のなかで、偶然出会った日本人の男女が過ごした夢のような
時間。そして、誰にも明かすことのできない黙契が因で起きる動機なき連続殺人が
福岡に続き、箱根で。容疑者には完璧なアリバイが・・・・・。美しくも哀しい愛の行方。
フランス犯罪小説大賞受賞作!!』

ちょっと古い小説だが、夏樹静子なのに読んだ記憶がないし、新・文庫本なので。。。
別に恋愛小説ではない。純粋な推理小説だ。やはり『岩波新書』とちがって
スラスラと読みやすくて、ついつい寝るのも忘れて....ということになる。
昨日・一昨日は午前2時に就寝ということになった次第。

パリ郊外のバルビゾン村にあるホテルで偶然知り合った男女が、
以心伝心ということで、日本に戻ったら、お互いがお互いに、嘱託殺人をするという
暗黙の契約ができあがる、ということから話が始まる。
お互いの嘱託殺人なので、交換殺人でもあるわけだ。

主人公の男性医師から見ると、お互いがこれを実行したのだが、
相手の女性の方はそうでなかった。そこで浮かび上がるのが、
X(=第三の女)というわけだ。
最後にどんでん返しがあって、ビックリしてしまう。

時代背景が昭和50年代初めなので、携帯電話があれば、とか、
現代の通信技術レベルならあっさりと事件が解決されるのに、、、とか
思うため、何となくまどろっこしい感じが否めない。まっ、仕方ないっか?

古い時代背景なりに、さすがに夏樹静子。緻密で疑問を持たせない「詰め方」。
一読に値する。

 


【特高警察】~~荻野 富士夫(小樽商大 教授)

2012年08月15日 | 再開(読書)

明治末期から昭和20年の終戦に至る間、警察がなぜ、どのようにして、高等警察から
特別高等警察(特高警察)へと進化し、思想・政治・農民運動・テロ犯・新興宗教等を
逮捕・勾留し、さらに拷問組織へと変貌していったのか、ボクには子供の頃から、
ある種の興味があった。

岩波新書  2012年5月初版  242ページ  840円  書店で購入
さすがに岩波新書だ。難解でスラスラとは読めなかった。

特高警察という組織は今のように、自治体の首長の指揮下にあるのではなく、
特別高等警察として内務省・警補局(国)の直轄の組織であった。

幸徳秋水などが企図した大逆事件(天皇暗殺)をきっかけにして、1911年
(明治44年)に特高が生まれた。その後、主として思想警察として、共産党への
弾圧を職務としていたが、戦時色が濃くなるに連れて、次第に社会警察として
不服分子、反戦分子、賃金に不満を持つ分子等々へ幅広く管轄するようになった。

それは悪名高い治安維持法国家総動員法の制定によるところが大きい。
この2つの法律をバックにして、法を拡大解釈し、特高警察の
力をつけて行き、肥大化と過激化に突き進んで行ったのだった。
銭湯でも迂闊な話ができないなんてこともあった。

前者は三・一五事件、四・一六事件やゾルゲ事件などが共産主義に対する検挙・弾圧であり、
後者の代表は大本事件(新興宗教の大本教信者)の拘束、逮捕、立件などの弾圧である。

弾圧には拷問が付き物になっていった。その手口は極めて手荒らで、小林多喜二などは
拷問死しているくらいだ。 ゲシュタポなどとの比較もしているが、日本的な転向とドイツ人の
転向は全く相容れず、あり得ないとするヒトラーとの、根源的な相違点がやや興味を引く。

戦後、GHQにより組織は解体され、職員は公職追放となったが、朝鮮戦争など赤化を
恐れるアメリカはいずれ逆コースを選択、旧特高経験者はいわば復権となった。
もちろん植民地とした朝鮮人、満州民族、台湾中国人に対する警戒は怠らない。
現地にも特高の支部が作られたのは言うまでもない。

特高はハインリッヒ・ヒムラー長官のゲシュタポとどう違うのかの考察もなされている。
日本は一応、逮捕→起訴→裁判の順序を踏んでから有罪・量刑判決となり、「民主的」な
側面も垣間見られるが、寄って立つ治安維持法が逆に最低限の防波堤になっている感があるが、ゲシュタポの幹部は夫々が存在自体が国家権力として
好き勝手に判断、有罪、量刑を科すところまでやれるという点で異なる。
正に何でもアリ、好き勝手し放題ということなのだ。


戦後は高級官僚の特高幹部は国会議員になったり、他の省庁に移籍したり、
そうでない人はレッドパージに携わることになる。  その後、公安調査庁(公安警察)が誕生して、特高ほどの権力は持たないものの、破壊活動防止法(破防法)をバックボーンとして、
現代でも同じような諜報的スパイ活動なことをやっているという。
特高警察が「国体護持」を狙いとしていたが、公安警察は「反民主主義」という点で異なる。

ボクも冷戦時代に北海道庁の外郭団体(表向きは国際交流団体)に出向していた。
いつも公安調査庁の人が出入りしていて、特定のロシア人の動向を諜報活動していたものだ。

オウム真理教等カルト宗教や共産圏の人々の素行調査、
テロ行為の諜報活動などが、職務と言われる。
外事・外交では決して相手を信用することは許されない。
尖閣諸島、竹島にも共通することでウカウカしてられない。

 結局、引用される文章などが戦前のものなので、読みづらいことこの上ないが、
勉強になったことは事実。ただ、、面白さと言う面では今三つくらいだったかなぁ。

後日の自分のために、わかりやすくあらすじを纏めてみた。

 


【トップの決断】 北の経営者たち~~北海道新聞社

2012年07月30日 | 再開(読書)

ボクは北海道の地銀に30数年間勤務していたことから、当然、地元企業のことや経営者に
大いに興味がある。 そうかと言って、リタイアして何年も経つと、実際の企業社会、
経済活動、経営者の資質などに直接に触れることがなくなると並行して、
そうした興味も薄れてきている。

しかし、男から仕事を取ると抜け殻しか残らないとか言われないためにも、
せめて本で最近の道内企業の活躍ぶりを知って、頭の補充をすることは必要だ。

そこで読んだのが地元新聞社がこの5月に発刊したこの本

書評には「北海道の主要企業のトップが、会社のターニングポイントに下した決断を通して、
その人物像に迫る。生き残りを懸けた経営者のあるべき姿が見えてきます」とある。

本書では60社60人の経営トップを取り上げている。
会社規模の大小を問わずに、全国的に知られていると思われる企業を下記に。

・アインファーマシーズ == ドラッグストア
・ニトリ ========  家具販売
・セイコーマート ====   コンビニエンスストア
・ツルハ =======   調剤薬局・ドラッグストア
・石屋製菓 ======  洋菓子製造 (白い恋人など)
・西山製麺 ======   麺類製造 (縮れラーメン)
・雪印メグミルク ====  乳製品製造
・六花亭製菓 =====   洋菓子製造
・ジャックス ======   クレジット 信販


北海道の多くの企業は、卸小売業・食品製造業・土木建築業が多く、
ホントの意味での2次産業である製造業が育っていない。  その歴史が
開拓を中心に進められ、「お上」から下されるインフラ整備(開拓予算)が
重要であったことに起因する。
したがって、本書でも必然とそうした企業の紹介が多くなっている。

自分自身、この60社60人の経営者のうち、当時、3分の1くらいの人たちと
面識・親交があったが、本に書かれている人となりや「トップの決断」の中身などは
ちょっとボクのイメージと違うなぁと思う人もいた。

この種の本は、どうしてもそうならざるを得ないのかも知れない。
提灯的書き方になってしまうのだろう。
残念なことだが仕方ないのかも知れない。

 


【共喰い】~~田中 慎弥

2012年07月22日 | 再開(読書)

先日、24年度上半期の芥川賞、直木賞の受賞者発表があったばかりだが、
今回は、平成23年度下半期の芥川龍之介賞を受賞した作品。
この単行本は今年の1月末に発刊になったが、もともとは去年の10月に
【すばる】という月刊誌で発表されたものだそうだ。

作者の田中 慎弥の略歴には以下の通りの説明がある。

昭和47年山口県生まれ。2005年新潮新人賞、2008年川端康成文学賞、
同年に三島由紀夫賞を受賞している。39歳だが、32歳の頃から頭角を
現している人のようだ。 でもボクは、この作家を知らなかった。
去年の芥川賞受賞のインタビューで「変な人だなぁ」と感じたくらいか。

 
どこか分からないが、山口県(だろう)の、とある田舎の猟師町が舞台のようだ。
タイトルの【共喰い】という言葉は一度も小説に出てこない。
なんとなくその雰囲気は漂っているが、誰と誰、何と何が共喰いなのか。。。

薄手の小説なので、感動も思索も感じないうちに終わってしまう。
もっと長編にして、作家の意図する構図をはっきり訴えた方が良いのでは、と思う。
それとも、ボクが歳のせいで、感受性まで枯渇するようになったんだろうか?
それじゃ本も読めないでしょ。楽しみが減る一方になる。怖い怖い!


風景描写はなるほどと思うが、芥川賞は一般に純文学と言われる。
しかし、登場人物の生き様はドロドロしていて、腐った魚の臭いまで漂ってくるように感じる。
グロテスクなイメージで、あまりいい気分になれない作品だった。

 それより、この単行本には【第三紀層の魚】という短編も収められている。
舞台はたぶん、関門海峡に面した下関市で、主人公は健気で釣りの好きな
小学生高学年の男の子。

曽祖父、祖母、母に対する優しさなどが描かれるが、
こっちの方が芥川賞に相応しいのではないかと思うほどに、純粋な気持ちが
伝わってくる作品だ。コチという名の魚、チヌ(クロダイ)という名の魚が周囲に登場
する話だ。印象に残るいい話であった。

 


【聖女の救済】~~東野 圭吾

2012年07月16日 | 再開(読書)

ちょっと厚めの本のため、時間がかかったが、今日読了。
どうも去年あたりから、東野 圭吾の作品を読むことが多くなったような気がする。
一世を風靡する東野 圭吾。去年読んだ中では【プラチナデータ】が良かったように思う。

IT関連の会社を経営する資産家の男が、自宅で毒殺されることから話は始まる。
その毒物は和歌山カレー事件で使われたヒ素(酸化ヒ素Ⅲ)。

どこから誰がどうやって入手したのか、男はコーヒーに仕込まれたヒ素中毒で死んだ。
コーヒーの水には、健康志向が強い男らしく、ミネラル・ウォーターしか使わない男。

この男は美人で才覚のある妻がいるのに、不倫をしていて相手の女性は妊娠2ヶ月。
常識的には最も強い動機があると考えられる正式の妻だが、鉄壁のアリバイがある。

どうやって誰がいつ、コーヒーにヒ素を混入させたかという一点が、
このミステリーの中心軸として、話は展開する。 

正式の妻が、毒殺された夫に、1年間も台所の浄水器に手を触れさせないばかりか、
誰一人として使わないように振舞った、というのは、この小説に出てくる言葉だが、
虚数解(=理論的にはあり得るが、現実には到底、あり得ないようなこと)という
言葉が現実となる、というのが小説の便利なところだ。 

しかし読んでる自分としては、あまりの飛躍。「そんなバカなぁ~~」と思うだけで、
東野 圭吾にしてはこの小説、お粗末な感じがして、この作家の作品はこれ以上、
読みたいと思わなくなった。いくら推理小説だとは言え無理が多過ぎる。 
ちょっと期待はずれだったかなぁ。


ところで今日、去年読んだ本のうち、もう今後読み直すことはないだろうと
思われる本を選んで、地区センターの図書室に寄贈して大変喜ばれた。

【1Q84】【親鸞】【プラチナ・データ】【夜行観覧車】【天地明察】【もしドラ】などなど20冊くらいか。
寄贈した本は、もともと図書館にあるものもあるが、人気が高いらしくて、いつも貸し出し中。
戻って来ないのだそうだ。パソコン検索すると蔵書になってるのに、貸出し希望が多く、
なかなか希望者全員に行き渡らない。ベストセラーの本を選んで買って、読んだからなので。。。
そういうことで少しでも地域に貢献できて良かった。

 また次男坊が、昨日の日曜日に道南の椴法華(トドホッケ)という村で開催された、
全道サーフィン大会のロングサーフ(9ft以上)部門で優勝したとのこと。
零下10℃とか15℃の真冬でも、週末には海に出かけている人なので、分からないでもないが。

 

 


ヒグマ出没

2012年07月05日 | 再開(読書)

先日の朝7時40分頃、札幌市南区石山の小学校の通学路にヒグマがウロウロしていた。
登校中の小学生が目撃し、警察などが出動して、大騒ぎになった。

一般的にヒグマが住宅街に出てくるのは秋が多いのだが、今年はどうしたことか、
こんな時季にも出てくるようになった。危なくてかなわない。

昭和35年に十勝岳が噴火して、全道に降灰があった翌年は、餌が山になく、
ヒグマが人里に多く出没、自衛隊が出動して駆除したことがあると聞く。

その年の駆除数が800頭だったとのことだが、その後は減少し、2002年に道庁が
春クマ駆除を禁止して以来でも400頭ほどだったのが、去年・一昨年は800頭に迫って
いるとのことだ。 なぜ今、こんなに排除数が増加するのか?

それに答える冊子が、当連町の隣りの南沢連町の関連団体である南沢まちづくり
協議会から【ヒグマと人との出会い】というタイトルで昨日、発刊された。

日本国土の22%の面積を持つ北海道。
ここに550万人のヒトと3~4千頭のヒグマがひしめいている。

人口密度はともかく「ヒグマ密度」は、北米やシベリア、樺太、アリューシャン等に
棲むヒグマ類の密度に比べると、密集地と言っていいほど、世界一高いそうだ。

それなら積極的に駆除すればいいのだが、ヒグマに限ってはヒトとの共存共生を
目指すというのが、国や道の基本的方針らしい。

しかし、ここ2年の出没は異常だと思う。ボクが関与している神社の境内にも去年秋、
出ているし、近所の市街地でも糞が見つかっている。

ヒグマの出没は秋で、夕方、夜、朝だけという昔の認識は当たらなくなっている。
昼も夜も朝も出てくるようになってきている。

ヒグマの人的被害の4割が突然の遭遇、手負いによるハンター被害が4割で、
ヒグマが興奮して襲われたというのは2%に過ぎないそうだが、
街中で急に遭遇したら大声を上げて逃げる、というのが当然のヒトの行動になるだろう。
静かに立ち止まり、睨みつけることが望ましいと言われるが、非現実的だ。

「新世代クマ」と呼ばれる、ヒトを怖がらないヒグマが増えている。
春クマの駆除禁止、エゾシカなら撃つがヒグマは恐れるハンターの増加、
猟友会メンバーの高齢化などが「新世代クマ」を増やしている原因らしい。
よく言われるドングリの不作が原因ではないのだ。

以前は藻岩山などには絶対、ヒグマはいないというのが常識だった。
今はその常識が通用しない。藻岩山を登るにも、クマ避(よ)け鈴がいるなんて信じられない。

コンポストは絶対に使用しない、ゴミ出しは朝8時を厳守。
日常生活で普通の市民ができることは、このくらいなのだ。

ボクは山で出会ったこともあるし、クマ避けスプレー(1万円もする)も持っていた。
ヒグマは駆除すべきで、共存共生には反対である。

札幌市は今年度、ヒグマ専門家2名を配置して、新しい課ができたそうだ。
従来は生活安全課が担当だった。そんなんで、解決できるのだろうか? 疑問だ。

 


【贖罪】~~湊かなえ 作

2012年07月01日 | 再開(読書)

湊かなえの小説は【告白】に次いで、この【贖罪】が2冊目だった。
【告白】は映画も見たが、小説より映画の方が最後の締めがはっきりしていて良かった。

双葉文庫の文庫本で、316ページの長編ミステリーである。
単行本は東京創元社から2009年6月に発刊されているとのこと。
【告白】と同様に、舞台は小学校のプールでの殺人というのは、新味に欠けるような?

ボクは難しい本はもともと苦手で、推理小説やノンフィクションを好む傾向がある。
去年読んだ本では、【1Q84】(村上春樹)などは面白かった。
(=今、文庫本で6分冊になって売り出されているようだ)

ノンフィクションでは【終わらざる夏】(浅田 次郎)が勉強になった。
(=太平洋戦争中の千島列島・北方四島を舞台にした戦記もの)

この【贖罪】は、15年前のお盆の日、ガランとした小学校グラウンドで遊んでいた、
女の子5人のうちの一人が、プールサイドの更衣室のなかで
性的暴行を受けたうえ、絞殺されてしまうことから始まる。

殺された女の子の母親と、発見者になった4人の女の子たちとの、その後の
葛藤というか、犯人を見つけなければ償いが必要だとの母親の脅迫が、
15年間(時効)経とうとしている頃、更なる悲劇の連鎖を産んで行く。

構成がとても冗長で、話題があちこちに広がり、焦点がボケていくような形で
進んでいくので、どうもピンボケの感が否めない。
3日間もかけて読んだせいなのかもしれないが。。。 

この程度の長編は一日で一気に読み終えないと、
最初の方が「忘却の彼方」になってしまって、話がこんがらがるという
事態を生じてしまう。もともと記憶力が乏しいボクの年齢のせいなのだが。

自分の年齢と、前頭葉の働きの悪さを感じさせられ、いい気分で読み終えた
という実感に乏しい読書であった。 間違いなく作者が悪いわけではないのだ。

 


【しあわせのパン】

2012年06月27日 | 再開(読書)

このところ、気忙しさにかまけて、読書を怠っていて、それがまたストレスになっていた。
先月に買っていたこの本。文庫なのに書き下ろしなのだ。

北海道に洞爺湖という丸い形をしたキレイな湖がある。
国立公園の中心的存在の湖でもある。その湖畔に月浦という地区がある。

舞台はその月浦である。ただ実際の月浦と舞台の月浦とでは少しデフォルメしている。
ここにパンカフェの「カフェ・マーニ」があって、民宿的に宿泊も可能。

いろんな悩みを抱えた人々がこのカフェを訪れ、経営する主人公の若い夫婦が
心を込めて作る温かいパン、手料理、珈琲で迎えてくれる。

じんわりと感じる温かさとメルヘンチックな優しさがなかなかだ。


すでに今年の1月に映画化された。大泉 洋と原田 知世が主役。
原作は脚本家、映画監督の三島 有紀子。

 


流星の絆

2012年04月01日 | 再開(読書)

東野圭吾の作品は、自分としては何冊目だろうか?
最近では『プラチナデータ』を読んだ。今回は『流星の絆』だった。

単行本ではなく講談社の文庫本だった。
最近は老眼が進んで小さい字が読みづらくなったものだ。

サスペンスものというか、推理ものというか、この作家の作品はいつも
浮世離れしている。 

推理ものとしては、ボクは夏樹静子が現実的なので大好きで、多分
全作は読んでいるのだと思うが、東野圭吾も最近は現実逃避という訳ではないが、
空想をかき立ててくれるので嫌いではない。

殺された両親の仇を討ちたいと願う3人の子供たち。
長男坊がしっかりしていて、弟と妹の保護者として活躍する。

最後はどんでん返しで終わるのだが、文庫600頁を超える大作だと思う。
引き込まれて読み進むほどのものではないが、気楽に読める作品ではあった。

 


時間を置いた 久しぶりの本

2011年08月28日 | 再開(読書)

このところ、

・娘の結婚(入籍~新婚旅行と挙式はまだなのだが...)、それに伴う辞職・転居(関東圏へ)

・お盆のこととて家族全員が我が家に集合(孫を含めて8人の頭数)

・その前に、彼氏が我が家に娘をいただきたいの挨拶。

・そして両家のご挨拶等

・去年の暮れ、長男に初孫誕生

・父の90歳(卒寿)のお祝い

・長男の民間会社から市役所職員への転職

・家内の母親の入院とその後の高齢者専用共同住宅への転居

こういったことが去年末からお盆までいろいろと続いていて、足が地から離れたような生活、
心ここにあらず、何となく気忙しいと言おうか、落ち着きのないような生活が長く続いていた。


このため、本ブログも再開しようと思いながら、結局は何もしない、読書の方もじっくりと

落ち着いて読む気になれない、そんな状態が続いていた。


これではいけないと、昨日、1日がかりで読んだのは気楽な推理小説。

もともと夏樹静子は好きな作家で、自分ではほとんど全部読んだものと思っている。

この『風の扉』は昭和55年に単行本として出版され、その3年後の昭和58年に文庫本に

なったものを、新しい文庫本として刊行した「新装版」である。

だから、過去に既に読んでしまっている本であろうが、中身は新鮮だった(覚えてないのだが...)

昭和43年に札幌医大の和田寿郎教授が、死の概念が確立していない、法も未整備な時代に

心臓移植を執刀して話題を呼んだ「人間の死は脳死なのか」という、時代のトピックを題材に

置いて書き進めている。

事の善し悪しは横に置いとくことにして、久しぶりの本。読み終えたときは精神的に少し解放

されたような気分になった。


文春文庫 11/6/10 新装版第1刷  580円