それなりの ノタリ

地域活動がそれなりにやることがあって、かと言って、多忙というほどでもなく、ノタリの生活。

登別温泉 2泊3日の小旅行

2022年04月29日 | 再開(温泉)

去年の12月下旬に層雲峡温泉・ホテル大雪に行って以来の、今年初めての温泉2泊。

登別市の主要産業は温泉。一番歴史のあるホテルでは11種の泉質に恵まれているそうだ。今回もどうみん割を利用した割安ツアーで、2泊なので宿泊費が10,000円安くなる。その他に4,000円の使い道自由な金券がもらえる。家内と二人なので、この2倍の金額となる。

部屋も和洋室で広い。あんまり景色は良くなかったが。

                        札幌駅構内

1日目は午後2時、札幌駅東口からバスで出発。この日は入浴と夕食で終わり。

 

2日目は終日自由行動、ただし昼食はホテル内で出る。したがって行動は午前にするか、午後にするかを選択する。我々は午前10時にホテルを出た。徒歩で地獄谷へ。

地獄谷のビジターセンターのようなところ。ここで近隣の散策路、ホテルなどを網羅した地図と説明を受けた。親切で分かりやすく説明してくれて、好感度高い。

地獄谷はあちこちから蒸気が噴き出ているので、立入禁止のところも多い。

鉄泉池だったろうか? 3時間に1回吹き上げる間欠泉だ。

大湯沼と言ってお湯が沸き出ている

ここは天然の足湯だ。この川の流れは雪融け期なので、水量多くてややぬるい。

20人くらいが利用できるようになっているが、GW前の閑散期だ

人は我々だけ。

ビュッフェ方式の食堂 かなり混んでいた

料理を取りに行くときは写真左下の手袋を両手にして、
マスクして行かねばならない

ホテル内のお土産屋 登別は閻魔様と鬼が代名詞


うまい棒は12円だかに値上げされたが、ここでは10円のままだ
こんなことに興味があるのって、変な人だと自分で思う

もらった地図だが、これがないと、迷子になりそうだった。


近所の散歩

2022年04月17日 | 再開(雑記)

雪が融けて少なくなった3月の下旬ころから、自転車に乗ることが多くなって、歩くことがなくなった。これではダメだと、近所の公園に家内と二人、散歩に出た。

公園は豊平川に沿って広がっている。気温は12℃だが風があるとまだ寒い。それでも日が差してくれば、ほんわりと暖かい。

上流のダムで雪解け水が溜まったのだろう、放流中の表示。

結構、水かさが増して、急流となっている。向こうの炊事遠足場はジンギスカンなどで連休には混むことになる。

対岸の切り立った断崖はおいらん(花魁)淵と言って、いわくつきの崖だ。

そしてすぐ傍に、供養するお地蔵さんが立っている。近所の浄土真宗のお寺さんがお経をあげてくれているような話を聞いたことがある。

公園の裏側の入口には熊注意ではなく、こんな看板がある。滅多に出て来ないのだが。

まだ少し雪が残っている。

ちょっとした遊具がある。遊ぶ子は少ない。

途中、スーパーに買い物に寄って帰宅したが、歩数は5,000歩を少し超えていた。

それでも疲れが残っていた。


映画【剣岳 点の記録】を初めて観た

2022年04月13日 | 再開(雑記)

amazonのプライム会員になってもう10年以上は経つだろうか?それなのに、プライム会員の特典の一つにprime videoというのがあるのだが、一度も観たことがない。

映画やテレビのドラマなどが見放題、かつ無料で、というものだ。パソコンで見ればすっかりテレビで見るのと変わりない。

ただ、例えば最近のアカデミー賞で最優秀作として賞を受けた【ドライブ・マイ・カー】などは、無料ではなく、レンタル(30日間)で399円、DVD購入だと結構高い。だけど大体の映画は無料。

パソコンなので、ソファにゴロンと寝転んだりしてテレビを見るようなわけにはいかない。それで、どうしても敬遠しがちなのだ。

まだ若かりし頃、山歩き、トレッキングに夢中になっていたころ、夢中になって読んだ、新田次郎作品で、『剣岳 点の記』という作品だ。

剣岳 写真はお借りしました

時は明治40年。この時点で日本の地図はほぼ完成していたが、剣岳周辺のみ地図が真っ白になったままで、国(軍部)としては国家機密でもある正確な地図をなんとしても早期に完成させることが任務であった。

担当は参謀本部・陸地測量部(今の国土地理院)。地図を完成させるには、全人未踏と呼ばれた剣岳山頂に登頂することが必至。しかも民間人で組織する、ある山岳部登山隊も登頂を目指していた。軍としては、軍が民間に先を越されるなんてことは、あってはならないことだ。

軍の地図作りは、すでにある近辺の山々の三角点27か所から測量作業をして、少しずつ登頂を目指すものなので、単なる登山とは荷物の量も半端でなく、時間もかかる。

漸くにして山頂に到達したが、なんと頂上直下に行者の錫杖が置かれていた。千年も前のものだと言う。初登頂ではなかったのだ。これが新聞社にすっぱ抜かれて、「陸地測量部は初登頂ではなかった」となった。

そんな実話だった。のんびり楽しめた。


老人クラブの会長に任命された

2022年04月01日 | 再開(地域と地域活動)

今日は先ほどから雪が降っていて、寒い一日でした。

私が連合町内会の役員をやってたとき、連町の役員なんだから町内会の役員もしてもらわないと駄目だ、という理由で、当時の町内会長から言われて副会長になることになった。それが59歳のころで、以後今でもずーっと副会長のままでやってきている。来年はなんとかして辞めたいと思っている。

さらに、町内会の副会長なんだから、(町内会から助成金をもらっている)老人クラブの会員になってもらわなければ駄目だ、という理由で60歳のころから会員になっている。

5年前に老人クラブの総務・会計部長だった人が病気で亡くなった。その後任を私が引き継ぐ形で現在に至っている。

老人クラブというのは、財政的には主として、会員からの年会費や市からの補助金、寄付金などの収入で、支出を賄っている。

現在の会長は85歳で、脳梗塞で3回、入院歴がある。この1年で、急激に体調が悪くなったようで、特に耳が遠くなって、かなりの大声で話しても半分くらいしか聞こえないと言う。

歩くのも大変で、自宅から町内会のテリトリー内にある地区センターに行くにも大変になっていると言う。

会員は毎年亡くなる人がいて、新規加入の活動もやってないこともあって、減る一方の状態で、現在の会員数は41名。

そうは言っても、老人会を解散するのは忍びない、できるだけ長く運営できるように、今までの会の体制などを全面的に見直したうえで、新しい役員、新しい行事を心がけて、存続を図ることをここ半年間、打ち合わせを重ねてきた。

コロナの影響を受けて、会の例会は令和2年3月から2年間、休会状態にあった。最近、新規感染者数は下げ止まってはいるが、病室使用率は低くなっているので、先日、会の役員会を開催した。

私は男性会員の中で一番、年齢が低いのだが、他にトップになりたい人もいないし、どうせなら引き受けしても致し方ない、という気持ちに少しずつなってきているので、役員会の意向をお受けすることとした。

私が会長職を引き受けるに当たって、会そのものの改革をしなければならない。

・まずこの会は老人会(老人クラブ)から、単なる親睦団体、サークル的なものに変革する。

・会則に会の目的のひとつに「社会への奉仕」というのがあるが、これを削除する。

・札幌市からの補助金は辞退する~会の運営に補助金をもらっていると、制約が多くて自由な活動ができない。

・これに伴い、上部団体である地区老連、南区老連、市老連にかかる負担金は取り止める。

・役職名では会長、副会長とあるが、代表、副代表に変更する。

・定期総会などと如何にも堅苦しい。これを単なる収支報告会に変更する。

・パークゴルフ大会、麻雀大会、輪投げ大会など賞金を出すような行事は全て廃止する。

・お喋り会とでも言うべき性格の会に変革する。コロナによる2年間の休会期間中、お喋りの機会が不足して、ストレスを感じてきた会員が多いため。

以上のような会に変更して、会員が20名くらいにまで減少したら解散ということも考える。

 

こんな風なイメージで行きたいと考えてます。

(会則と収支予算をプリンタでスキャンして、記事に貼り付けようとしましたが、形式がIMGで、本ブログでは使用できないため断念しました)