今日、5月9日は5月の第2日曜日ということで、母の日であります。
しかし、(私の父は7年前の9月)、母も同じく7年前の11月に、あっという間に、黄泉の国へと旅立ちました。うちの家内の母も、それより以前に亡くなっています(父は彼女が学生のころ)。つまり、私と家内には、現時点で母と呼ぶ人は存在しません。
ここでお話ししておきたいことがあります。私の両親のことです。不思議なんです。父と母は僅か55日を挟んで、二人とも他界しました。その後、今年で7年を迎えるのですが、私の夢の中に一度も姿を現すことがないのです。どういうことでしょうか?私の素行が悪く、到底、お前みたいな奴なんかには付き合い切れねぇんだよ、とでも思っているのかも知れません。毎日のお勤めには、そのことが頭の片隅をかするのです。
多分、言葉に出せないような悔しさ、嘆き、悲しみ等々が、今に至っても、両親にはあるのだろうと思わざるを得ないのであります。一人っ子の私。小さい時から、大事に大事にされてきた人生だったことは認めます。どれだけ両親に迷惑をかけてきたか、毎日の仏壇に向かう時、そう思いながら手を合わせています。
今、一番小さな単位での家族という意味では、我々夫婦と子供たち3人とその配偶者+孫5人の最大でも合計13人であります。もちろん、この中には嫁に行った娘とその子(外孫2名の男子)を含めていて、「うちは13名家族だ」と、答えることにしています。
さて本題の「母の日」ですが、コロナ禍の絶体絶命の今、どういうことになるんだろうと、いささか心配をしておった訳でありますが、子どもたちから送られたものは例年とそれほど変わることなく、昨日と今日に届きました。
子供は3人なので3個です。どれが誰とは言いません。親に対する思いや信頼度には、父親も同じですが、みんなバラバラなんです。だから、これは誰、あれは誰というのでなく、3点をご紹介します。
アップルパイです~家内の大好物なんです
温暖化のために世界的にカーネーションが、早く咲き過ぎて品薄になっているとのことで、今年はさぞ負担を掛けてしまったなぁと溜息。
これは最近、流行りのフルーツケーキ。果実が主体なので、クリームはほとんど甘味がない。スイスイと口の中に吸い込まれていく。それが新鮮で、思いのほか美味しい。
コロナ禍の中でもこうした楽しみを味わえるのは幸せなんだろうなぁ。
現物持って来たのは次男家族だけだったが、長男はコロナを移す、移されるの危険性を察知して来なかった。神奈川にいる娘は、お互いにやばい地域にいるので来る訳にもいかない。
来てくれた次男家族3人には、感謝の気持ち一杯だ。お互い、全員の大人4人がマスクをして、1時間半程度の歓談(距離は十分だった)や、孫の抱っこもせずに我慢。このご時世、当たり前のことと承知。
今日の孫娘は、いつも我が家を訪ねて来る時、我が家の玄関に入る時点で、なぜか知らないが、大泣きをする習慣がある。家に入っても、泣いてばかり、爺と婆にとってはいつも困った存在であった。
それが、なぜか今日に限って、玄関はおろか階段も自分で進んで上って来るのだ。どうしたことだろうか?
しかも滞在中、顔はニコニコ、お喋りするは、するは、であった。