それなりの ノタリ

地域活動がそれなりにやることがあって、かと言って、多忙というほどでもなく、ノタリの生活。

番屋の湯

2020年09月29日 | 再開(温泉)

何年ぶりか知らないが、思い立って石狩市にある番屋の湯へ行ってみた。

ここは石狩川と日本海の間にある温泉で、つるつるというか、ややぬるぬると言ったようなところだ。

我が家から北に向かって33㎞、車は町の中心部を避けて通ることは出来ないので、ちょうど1時間を要して到着する。

バブル期に完成した建物で、宿泊もできる。

もちろん館内にレストランがあるが、今回は道路を挟んで角にあたるところに、海鮮、中華、ザンギ(鳥のから揚げ)などが中心の食堂がある。

たいしてお腹も空いていないので、私はビール、家内は海鮮焼きそばを選んだ。無論、運転は家内。

ビールはキンキンに冷えていたが、写真のとおり、小ジョッキだ。

サッポロビールのCLASSICは北海道限定販売品で、黒生は苦手だが、こっちの方は大好きだ。

食事も終わったし、腹ごなしに石狩川の周辺へ行ってみた。

石狩灯台はもちろん無人。木道が整備されていて、どこまで行ってもこんな谷地が続く。この先、数㎞は何もない。

石狩川は確か、新潟の信濃川に次いで、2番目に長い川だ。源流は大雪連峰。上川~旭川~滝川などを経て、札幌に隣接する石狩市に注ぎ込む。

新潟のように堤防などが完璧に整備された川ではなく、この辺りからは堤防もないようだ。自然が流れている感じだ。

天気も良く、半日近く、のんびりできた。満足の日であった。


父母の年回忌

2020年09月09日 | 父と母のこと

今年は私の両親の7回忌だった。

父が亡くなったのは平成26年9月、その55日後に母が亡くなった。

近い間隔で双方が亡くなったので、3回忌のときもそうだったが、今回も二人一緒にお経上げてもらった。

父母は結局、札幌に来て16年半ほど札幌で居住していた。ただ母の持病が悪化して16年のうち旅行に行ったり、自由な時間を過ごせたのは8年だった。その8年は長期病棟に入院していて、数年間はリハビリも一生懸命やっていたのだが、最終的には寝たきりになって亡くなった。

父は16年半のうち16年は自分のマンションで独居だが、過ごすことができた。最後まで「自立」で認知症状もなかった。車で2分のマンションだったので、夕飯を届けたり、スーパーへの買い出しに連れて行くなど、出来るだけ不自由なことはさせない状態が長く続いた。

戦争を経験した世代の人は、強さが我々世代なんかと雲泥の差を感じたものだ。
(父は満州へ4年間の兵役、母は軍需工場での生産)

 

宗教は浄土真宗大谷派なので、亡くなったと同時に即仏となり、三途の川や閻魔様などとは関わらない。浄土に住んでいるのだから、その点では安心していられる。

今になっても、父母への申し訳ない気持ちは変わらない

まだ若かったせいか、体調の変化や病気の進展などに気が付かなかったことが多い。時々、胸を刺されたかのような気分になる。

悔やんでも悔やみきれない事象がたくさんある。

私が若いころは家族を連れたり、私一人でも出来るだけ新潟に帰ることにしていた。しかし、それもせいぜい2泊3日程度のことで、基本的には自分の居場所は札幌だった。30年以上、一人息子なのに親と離れ離れになってしまった。このことが私の心の中で負い目になっていたし、今でもそうした気持ちから抜け出せないでいる。

せめて毎日のお参りだけは、欠かさないよう心掛けている。

次男が精米歩合40%の純米大吟醸酒を持って来た。新潟の経済連との打ち合わせの中でできた新種の酒で、製造も酒米も新潟だそうだ。美味い。

7回忌とは言え、出席者は私たち夫婦2人+札幌在子ども夫婦2組4人+孫3人だけ合計9人だけで、お経だけしかない質素なものだけど、心は籠もっているものと自己満足している。

 

なお、前回の記事(敬老会を開くかどうか)については、役員会議で中止と決定した。