それなりの ノタリ

地域活動がそれなりにやることがあって、かと言って、多忙というほどでもなく、ノタリの生活。

病院からの風景~父92歳点滴から解放される

2013年10月31日 | 再開(健康)

街中心部の大病院から父が退院したのは、9月24日のことだった。
あれから20日間我が家に逗留して、何が何でも自分のマンションに住みたいとして、
戻ったのが10月15日頃だったろうか?

我が家にいる間に転倒、弁慶の泣き所を打って、脚の症状で苦しんだ。
近所の総合病院で入院しないという条件で通院。

毎日午前10時と午後4時に2回、送り迎えした。
点滴に要する時間は40分~50分。

動脈が細くて子供用の針を使って、1日2回の通院は
時間制限があるので、ボクにとっても負担になった。

それでもやや脚の浮腫みは引いてきた。


毎日の抗生剤の点滴


病室から臨む藻岩山の紅葉

ただね、後遺症みたいなものがあって、歩行がスムーズでない。
治るのか治らないのか今のところ不明。歳だからあまり期待は持てないんだろうなぁ。

 


止むを得ずの車 買い替え

2013年10月22日 | 再開(雑記)

一昨日だったか、近所のスーパーの駐車場に停めていた車が「当て逃げ」にあった。

見てください、この車。この酷さ。

他にも自分でこすった傷もないでもないので、思い切って買い替えることにした。
この車はホンダなのだが、買うときにどっちにしようかと迷ったのが、トヨタの
カローラフィールダーだった。多分、年齢的に見てこれが最後の車ということになるだろう。
昭和46年に初めて買った車もカローラだった。

カローラに始まり、カローラで終わる。
これがボクの人生。ホントに広く普通の人生ってことだな。

今回は迷わずカローラフィールダーと決め、営業マンを家に来てもらって、
細かなところを詰めて、直ちに契約。

トヨタのアフターサービスは、家内が乗ってる車を見ていれば完璧と知っている。
安心して買い替えできる状態だ。


父が病院で点滴を受けている間、隣の「クロスケ」にて買い物。


ヒグマが出没する「クロスケ」の裏の川沿公園~~豊平川 河川敷


今が盛りの「里」の紅葉


同じく川沿公園にて

納車になりましたら、UPしようと思ってます。
(ほとんど興味はないと思いますが・・・・・)

 


点滴生活

2013年10月19日 | 再開(雑記)

父92歳が、大動脈瘤のステント装着のため手術入院して、退院したのが9月24日。
その後、我が家に「軟禁」されて、自宅に帰ったのが10月14日。
軟禁の期間に夜、トイレに起きて、足を打った。

打った後の足をいじくって、何らかのばい菌が入って2日前から右足が
パンパンに腫れてしまった。早速、近所の総合病院に連れて行ったら
菌の種類は分からないが、炎症がグングン来ている。

暫くの間、抗生剤の点滴が必要だ。
入院しますか?と来た。この上、入院したらホントに寝たきりになること必至。

入院しない場合、午前と午後に点滴を毎日、土日もなく、続けることが必要とのこと。
娘とお嫁さんの産後の面倒を見なくてはならない我が家にとって、
父の毎日2回の通院は痛い。けど仕方ない。

こんなんで満足な産後を送らせることが出来るだろうか?
家内ともども頭を抱えている。

まったくもって、なんでこんなときにこんなことが起きるのか!?
いくら92歳と言っても、自分のことは自分で身を処してもらいたいもんだ。
いつ治るのか、先生も目処がつかない。
半月か1ヶ月はかかるような感じだ。

 

 


いよいよ冬将軍の襲来か?

2013年10月16日 | 再開(孫♂)

ただし、十勝地方と道北方面での話し。
でもボクんちから30数kmの中山峠でも積もったようだ。

遠軽町では23cmの積雪という。
各地で初雪の日が史上初というところが多くなっている。
やっぱり今年も豪雪を覚悟しなきゃならないのかねぇ。今から憂鬱。

今日の夕刊は、こんな記事が載っている。

この時期の雪は根雪とならずに、融けてしまう。
その後、2週間~3週間後が怖い。寒気と一緒にやってくる。
朝晩はツルピカ状態。交通事故が多発する。

覚悟して迎えたい。

 

 


雪かき用具の準備開始

2013年10月15日 | 再開(雑記)

大雪山はもうすっかり雪で真っ白。札幌ではまだ降雪はないが、
準備はしておかなきゃね。

カーポートを設置したところで雪かき不要にはならないので、
今日は雪かき道具を点検し、買い換えるものは買った。


近所のホームセンターで買ったのはこの3点。
ママさんダンプ、シリコンワックス、柄の短いスコップ。
シリコンワックスはママダンプやスコップの雪の滑りを向上させる役目がある。


我が家の雪かき道具一式
ママダンプはもう1台あるが、写真に収まらないので割愛。


シリコンワックスはこんなに種類がある
今日、買い求めたのは左のもの、298円。

さぁこれで雪かきの準備は整った。
しかしまだまだやることはある。タイヤ交換は来週にしようかな?
排雪業者との契約は終了して、明日、代金を振り込む段取りになっている。
冬囲いは11月8日にシルバーの人が来てやってくれる。

準備は着々でも、気分が晴れるわけでもない。
春になると腰が痛くなるのだ。去年みたいな豪雪だったらどうしようか?
少雪の年もあるのだが、今年の異常気象を見ていると期待薄だね。

 


父 自宅へ戻る

2013年10月15日 | 再開(雑記)

今日の午前に、父は我が家から自宅マンションに戻った。


9月10日   病院に入院
9月13日   腹部大動脈瘤にステントグラフトを埋め込む手術
9月24日   退院 即我が家へ
10月14日  我が家から自宅へ==通算で1ヶ月と4日間

というのがコトの経緯だが、病院で1回、我が家で1回転倒し、病院では頭を5cm裂傷、
5針縫った。 我が家では夜、和室で足をテーブルにぶつけて浮腫みを発症。

そのほか、布団から起き上がるのに苦労したり、階段の昇り降りがふらついたり
杖に頼るようになったり、腕の力が減衰したりで、全身が弱った。
また、急な発熱があったりしてハラハラもした。

まずは足のリハビリが大事だと思い、退院後、ほとんど毎日、歩行練習を
実施。 まだ元に戻らないがかなりいいところまで進んだので、
本人が希望する「自活」もいいかなと、我が家での「軟禁状態」を解放する
こととした。 しかし「監視下に」置いておかねば不安が募る。

毎日、行くなり、電話で安否確認をする。その上で、唯一の生き甲斐である
母の病院へ連れて行く。帰りはバスで4バスストップの自宅へ自分一人で
帰宅してもらう。

この4年間で大腸癌摘出、腹部大動脈瘤ステント手術3回、
通算で半年ほどの病院生活。92歳もなれば身体へのダメージは
計り知れないものがあるのだろう。

動作が緩慢、喋り方が緩慢、耳が遠くなった、目が見えなくなった、
などの身体的変化は大きい。  メガネと補聴器をきちんとしたところで、
作ってもらうのが最善の策。 それで喜ぶことがあれば、悲観的にならずに
済むから。

明日からはお互い話をして、どうするか決めようと思ってる。

父には元気になって、シャキッとした元・軍人さんらしくなってもらいたいのだ。

 


暖房ボイラー & パネルヒーター

2013年10月12日 | 再開(自宅の保守修繕)

この8月に、自宅の保守修繕工事をやったが、そのうち暖房用ボイラーについては
実際に使い始めないと、調子が良いか悪いか判断できないと言われていた。

そろそろ暖房の必要な朝晩になってきたので、業者さんに来てもらい
点検や調整をしてもらった。暖房機は17年(=冬)も使ったので新しいものに
入替えたもので、当時のものとは随分と進歩しているらしい。

ボイラーから各部屋、トイレなどに不凍液がパネルに送り出されるので、
灯油暖房だが石油臭さや音などは部屋にいる限りしない、所謂セントラル・ヒーティング。

1時間ほどの調整で、パネル全部が調子良く稼動するようになった。


ボイラー


パネルヒーター

これでいつ寒気が襲来しても安心。
ただ、今年に予定していたカーポートの工事が出来ずに、今冬も雪かきに追われる
日々になることだろう。 北海道と雪は切っても切れない関係だ。

一戸建てに住む独居老人が、玄関から道路まで出ることができないみたいな話は
道内のあちこちで耳にする。札幌では「雪かきボランティア」が活躍しているが、
その人たちの多くが老人だ。

リタイアした人でないと、いつ積もるか知れない雪のために待機することが
できないから。 自治体の財政難から毎年のように、除雪や排雪の回数が
減っている。 困ったことだ。

その苦労の分、排雪業者に頼むので、お金がかかるという点で
地方税の増税と同じことだ。

 

 


父のリハビリのためエドウィンダン公園と石山緑地へ

2013年10月10日 | 再開(雑記)

9月24日に2週間の手術入院を終えて我が家に戻って来た父92歳。
あれから半月を超え、初めのうちはどうなることか、やはり高齢者の手術は
無理だったか、と思う毎日だったが、1週間ほどしてから少しずつ回復に
向かっているのが目に見えてきた。

このところ毎日、100mでも200mでも歩くようにしている。
特に外。 病院の中はバリアフリーになっていて、「実戦向き」ではない。

今日などは、ショッピングセンターで買い物30分、父の家へ日常の必要なものを
取りに行ったり、母の病院のほか、明治の初期の政府がアメリカから「お雇い外国人」
として招いた一人、酪農のエドウィンダン記念公園へも。
今日は軽く1km以上は歩いたことになる。


当時の原生林のままの姿を残している。


19~20世紀前後の建物、風景が外国風で異国情緒を醸し出す


建物内は展示室になっている


公園広場は狭いが手入れはなされている

次は近所の石山緑地。 札幌軟石で有名なところだ。
石山地区は当然ながら、その昔、石切り場として栄えた場所。

現在はモニュメントのような雰囲気に改装されていて、憩いの場でもある。


石で出来た音楽会場にもなっている

小春日和の一日。いい散歩になった。

 


二葉中学校 同級会 (10月6日~7日)

2013年10月09日 | 再開(雑記)

久しぶりの新潟行きだ。10月6日~7日に二葉中学校3年11組の同級会があるからだ。
僕の場合、前後の日にちが必要なので、5日から8日までの3泊4日の日程となった。

前回の同級会は「還暦同級会」として、満60歳の平成20年に開催された。
今回は5年ぶりなので「老人同級会」とでも呼ぶのだろうか。
全員が65歳になるのだ。寄って集まれば、年金と病気の話が多くなった。

紛うことない正真正銘の老人同級会だろう。
新潟の駅南口のチサン・コンファレンスホテルに前後1泊して、中日の6日が
本ちゃんということになる。

行き先は県北の村上、関川村にある高瀬温泉だ。

村上と言えば鮭。昔から三面川を遡上する、南限と言われる鮭の産地。


生の鮭は少ないようで、干したものが有名だ。


大蛇の祭りはこの温泉の人寄せパンダらしい。
大きさといい、かなり見応えのある大蛇だ。


一次会なのにもう寝てる人がいる。東京から出てきた。


ついさっきまで、ハーモニカを吹いて、場を盛り上げていたのに。


出席者は男11人、女7人、合計18人。
ここは確か2日目の訪問先だったかと・・・


貸切バスで。

こうして3泊4日の故郷旅行は終わったのでした。
今回のちょっとした収穫は新潟日報の社長と専務に会えたことだった。

 

 


初秋の真駒内公園

2013年10月04日 | 再開(雑記)

父が退院して10日目の今日。 術後、めっきりと体力が落ちた。 歩くのに杖を使うようになった。
今朝は暗い部屋で電気もつけず、何かにけつまづいて転び、額と足から血が出ていた。
いろんな部位に弱さが出て、術前とは大違いに動作や喋り方が鈍い。
やはり無理だったかな?手術は・・・

入院中にはトイレで転倒して、頭を打ち、トイレの床を真っ赤な血で染め、
5cmの裂傷を負い、5針を縫ったまま9月24日に退院して我が家に寝泊りしている。

そうした日の今日は頭の抜糸。 体調を訊かれるが、良いとは決して言えない。
特に歩行が右に左にフラフラすることが多い。

そんな状況なのに、1年前から予定していた新潟での同級会があり、
明日から3泊4日の日程で、その間はブログもお休みということになる。

出産準備で里帰りしている娘は、安産のため軽い運動=散歩が
必要らしい。 それではと、真駒内公園を一周して5kmほど歩いた。

爽やかな一日で、すっかり気分転換になったと娘は喜ぶ。
予定日まで1ヶ月。 丈夫な子を産んでほしいものだ。


この公園は戦後は米軍(GHQ)のゴルフ場だった


6日の日曜日は札幌マラソン。 練習で走っている人が多くいた。


ナナカマドも真っ赤に色づき始めた

 


賽銭ドロ被害の修復

2013年10月02日 | 再開(地域と地域活動)

この日は賽銭回収の日。
9月14日~15日に宵宮祭・秋季例大祭が催行されたが、14日の深夜というか
15日の未明というか、賽銭箱が泥棒・暴漢にやられた。
おそらく、犯人は一人ではなく複数人数だったようだ。
さらに20歳前後の不良グループではないか?
警察でも目をつけている「ヤツラ」だが、今のところ証拠がない。
昨日もパトカーが5台も来ていたという。

そのときの賽銭箱はこれ ↓ (9月15日の記事に掲載)

あれから半月が経過して、修復も終わった。
金属製というわけにはいかなかったようで、新しい白い木がアンバランス。
でも予算との関係上、仕方がないのも事実。

ところが、被害を受けたのは賽銭箱だけではなかった。
神社本殿の4隅がこんな風に削り取られていたのだった。
この4ヵ所も白い木で修復完了。

さらに本殿の土台に換気口があるが、何ヶ所か壊されていたので。
これも補修。

絶対にこのような悪質な所業は許せない。
賽銭被害は発生しない構造になっているのだが、その補修費がバカにならない。
それより問題なのは、神社の神様の前で、なんの畏怖の念も持たず、
平気で損壊させたり、盗もうとする、その魂胆が許しがたい。

景気が悪いだとか、家族や隣近所の絆が細くなっているとか、
将来に期待が持てないとか、いろいろと言われたからと言って、
こうした所業が許されるはずはない。 

まったく嘆かわしい世の中になったもんだ。