瀬戸際の暇人

今年も休みがちな予定(汗)

異界百物語 ―第75話―

2008年09月03日 21時14分17秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
過ぎ行く夏に名残は尽きねど、季節は秋を迎えようとしている。
夏の間、夜毎開催して来た怪奇の宴も、今夜で一旦お終い。
続きはまた来年、お盆の頃より語らせて貰おう。

さて3日前だが、私は予言や予知をあまり信じないと言った。
だが「第6感」といった、所謂「勘」の力は案外信じている方だ。

根拠を挙げるなら…例えば地震が発生する直前、岩盤に掛かった圧力の為に電磁波が発生する事が観測されている。
よく言われる「大地震の前に動物が奇妙な動きを見せた」という噂は、実際の話らしい。
平常時以上に放出された電磁波を不快に感じて起した行動との、実験結果が出されているのだよ。
我々人間だって、電気をビリビリ感じたら、不快に思うだろう。
つまり人間にも動物同様、そういった予兆を感じ取る力が有る筈なのだ。

今から紹介する話は、68番目に話したのと同じ、『捜神記』に在る1篇だ。
振り返れば今年は中国の怪談話ばかり紹介して来たが、北京オリンピックも有った事だしと大目に見て欲しい。
非常に短いが、前置きを念頭に読めば、中々に奥深く感じられるだろう。




始皇帝が秦を治めた時代、長水(ちょうすい)県に1種の童謡が流行った。

「御門に血を見りゃ、お城が沈む――」

誰が謡い出したともなしに、この唄はそれからそれへと拡がった。
或る老女がそれを気に病み、毎日その城門を窺いに来るのを見て、門を守っている将校は彼女を脅してやろうと思い、密かに犬の血を城門に塗って置いた。
すると老女はそれを見て、驚いて遠くへ逃げ去った。

その後、忽ちに大水が溢れ出て、城は水の底に沈んでしまったと云う。




天変地異の前に不穏な空気が流れるのは事実見られる。
他人の予言や予知頼みをしているばかりでは、自己の感覚は研ぎ澄まされない。
先ずは己の直感を信じて、己の判断で動く勇気を持とう。
生きようとする力にこそ、不思議は満ち溢れている。
それと余談だが、今回紹介した話も日本の伝説に影響を及ぼしている。


最後の最後に説教臭くして申し訳無い。
これにて今夜の…そして今年分の話はお終いだ。
それでは今年最後の蝋燭を吹消して貰おうか。

……有難う。

残りは25本……随分暗くなったものだ。

此処までお付き合い下さり有難う。
お蔭で毎晩楽しく過せたよ。
願わくばまた来年…この薄暗い小部屋で、残り25本の蝋燭と共に、貴殿が来るのを、待ち侘びて居るよ。

その日まで、御機嫌よう。

くれぐれも夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

いいかい、約束だよ…。




参考、『中国怪奇小説集(岡本綺堂、編著 光文社、刊 捜神記―亀の眼―の章)』。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異界百物語 ―第74話―

2008年09月02日 21時15分50秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
そちら学生さんだね?
久し振りに学校へ行った感想はどうだい?
案外日々通う所が有るのは楽しいもの。
学生さんも社会人も、倒れない程度に頑張って行こう。

さて今夜紹介するのは中国北宋時代中期、学者であり政治家だった「沈括(しんかつ)」が書いた随筆集、『夢渓筆談(むけいひつだん、或いはぼうけいひつだん)』に在るという1篇だ。




建(けん)州浦城(ほじょう)県の知事を勤めていた陳述古(ちんじゅつこ)の名裁きを記したものである。


或る日物盗りが出来したが、さてその犯人が判らなかった。
そこで陳は1つの謀を廻らせた。

「実はかしこの廟に、霊験あらたかな鐘が有る。
 直ちに引き出して来て祀るのだ。」

陳はこの様な命令を下し、鐘を役所の後ろの建物に迎え移させ、仮に祀った。
そうして鐘の前に大勢の囚人を牽き出して言い聞かせたのだった。

「全員暗い所でこの鐘を撫でてみろ。
 これは不思議の鐘で、盗みをしない者が撫でても音を立てない。
 しかし盗みをした者が手を触れれば、忽ちに音を立てて外に知らせるのだ。」

陳は下役の者共を率いて荘重な祭事を行った。
それが済むと鐘の周りに帷を垂れさせ、密かに命じて鐘に墨を塗らせた。
そうした後で疑わしい囚人を1人づつ呼び入れ、鐘を撫でさせた。

出て来た者の手を検めると、殆どが墨を付けていた。
しかし唯1人、黒くない手を持っている者が在ったので、詰問すると果たして白状した。
彼は鐘に声が有るのを恐れて、手を触れなかったのである。


これは昔からの法で、小説にも出ている。




実に天晴な名裁きであろう。
こういった目的でオカルトを利用するならば文句は無いのだが…。

それにしても犯人に「やましい心」が在って良かった。
悪事を働いた「やましさ」から、幽霊等を見て魘される者が居る一方、全く気に懸けず忘れてしまう者も居る。

「嘘を吐くと閻魔様に舌を抜かれる」
「嘘は泥棒の始まり」
「人を呪わば穴二つ」

オカルトを利用して良心を育むのは、必ずしも悪い手段ではないかもしれぬ。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

今年も残す所後1話だね。
どうか気を付けて帰ってくれたまえ。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
今年最後の夜を、楽しみに待っているよ…。




参考、『中国怪奇小説集(岡本綺堂、編著 光文社、刊 夢渓筆談―霊鐘―の章より)』。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異界百物語 ―第73話―

2008年09月01日 21時18分56秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
今日から9月、学生さん達の多くは新学期が始まった事だろう。
天気もそろそろ落ち着いて来るかな?
怪談を話す夜に雷雨は良く似合うが、誰しも動き回る間は晴れていた方が好いだろうからね。

さて、今年の百物語もそろそろ終幕だ。
今日と明日は夏中溜った陰の気を晴らす積りで、「お化けなんか無いさ」的話を語ろうと思う。
足繁く通ってくれた御礼に、ささやかな厄払いをさせて貰うよ。


これは宋の時代に洪邁(こうまい)が書いた、『夷堅志(いけんし)』に載っている1篇だ。




後に尚書省(しょうしょしょう)に勤める役人にまで出世した、呂安老(りょあんろう)と言う者が語った話との事。


彼は若い時分、蔡(さい)州の或る学堂に入っていた。
或る日の夕方、同じ寄宿舎に居る学生7、8人とこっそり抜け出し、散々遊び廻った末、夜中に漸く戻った。
すると運悪く俄かに驟雨がざっと降り出し、雨具を持って出なかった彼等は頗る後悔した。

当時の学堂の制度は甚だ厳重で、無断外泊など決して許されない。
このまま濡れ浸しで帰っては、夜遊びがバレるのは必至だ。

考えあぐねた末、彼等は引っ返して酒屋へ行き、単衣の衾(よぎ)を借りた。
その衾の四隅を竹で支えて傘代わりにし、全員その下へ入って駆け戻る策を取ったのだが、重ねて運の悪い事に、学堂の塀に近付いた辺りで、夜廻りの者に出くわした。

松明を片手に火の用心を叫んで近付いて来る夜廻りの者達。
見付かったら万事休す…慄いた彼等は、その場に立ち竦んでしまった。

だが双方の距離僅か二十余歩の地点迄近付いた所で、どうした訳か夜廻りの者は急に反転し、そのまま振り返る事無く走り去ってしまった。
不思議に思いはしたものの、その隙に彼等は塀を乗り越え、無事宿舎に戻る事が出来た。

しかし全員、内心はビクビクしていた。
恐らく夜廻りの者達から無断外泊の件が伝わり、明日にでも譴責を受けるか、退学を命ぜられるだろうと、その夜は碌々眠れやしなかった。


その明くる日の事だ。

昨夜見廻りをしていた兵が、府庁に出て申し立てた。

「昨夜の二更(午後9時~10時)、大雨の最中に云々の処を廻って居りました所、突如1つの怪物が北の方角から出現しました。
 上は四角く『むしろ』の様に平らで、糢糊として判りません。
 その下にはおよそ20~30もの足の様な物が生えてまして、まるで人の如くぞろぞろと歩いて参り、学校の塀の辺り迄来た所で忽然と消え失せました」

その報告に郡守以下の役人らは大層驚き、それが如何なる怪物であるか、互いに想像し合って騒いだ。

騒ぎは留まらず、それからそれへと拡まり、何か巨大な怪物が此処らに出現するという風説が立った。
町々では厄払いの道場を設けて、三昼夜の祈祷を行い、その怪物の絵姿を描いて神社の前で磔刑にした。


世の怪談にはこの類が少なくない。




――化物の正体見たり枯尾花。

聞いていて中々愉快な話だったろう。

明治~大正の初めに活躍した哲学者「井上円了」は、独自の妖怪研究から下記の様な分類を行ってみせた。


・実怪…真怪(超理的妖怪。宇宙の森羅万象は人知を超えており、現在の科学では解明不可能だが、今後科学が発達すれば解明が可能と思えるもの)

    …仮怪(自然的妖怪。狐火・鬼火等の物理的妖怪と、幽霊等の心理的妖怪に分ける)

・虚怪…偽怪(人為的妖怪。人がわざと作り出した妖怪)

・誤怪………(偶然的妖怪。人が誤って妖怪としたもの)


「近代化を目指すなら内面から」をモットーに、世の迷信打破・妖怪解明に尽力した円了を、当時の人々は「妖怪博士」と呼んだ。
怪奇現象が本当のものであるか実地で調査をし続け、「コックリさん」を日本で初めて科学的に解明した人物である。
だが彼は頑なにオカルトを否定していた訳ではない。
簡単にオカルトに惑わされる人間を危惧していたのだろう。
でなければ、わざわざお化け屋敷に住んだり、夜中墓場で過したりなんてしない筈だ。
円了こそ科学者の鑑であると、私は思っている。
余談だが東洋大学(哲学館)の創始者でもある。

謎を楽しむ心の隅で、一分の疑いを忘れずに持ちたいもの。


といった所で、今夜の話はお終いだ。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

それじゃあ気を付けて帰ってくれたまえ。

今回の様な話をし終えた後では、何となく注意し辛いのだが……いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
そして、風呂に入ってる時には、足下を見ないように…。

では御機嫌よう。
次の夜も、楽しみに待っているよ…。




参考、『中国怪奇小説集(岡本綺堂、編著 光文社、刊 夷堅志―雨夜の怪―の章)』。
    ウィキペディア&『ワールドミステリーツアー13(4)―東京編―第3章 千葉幹夫、著 同朋舎、刊』等々。
    こちらのサイト様の記事(→http://www.nazoo.org/people/enryo.htm)(オーパーツの記事等、かなり爆笑ものなんで、この機会に是非お読み頂きたい。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする