三味三昧 笛三昧

津軽三味線奏者、笛・尺八奏者、たまに胡弓奏者、なぜかアマ無線家
音楽好き趣味三昧人間「くまりん」のお気楽日記です

闘病記2023~その3

2023年04月16日 16時13分54秒 | しょーもない徒然日記
4月12日(水曜日)

この病棟では月水金がシャワーの曜日らしくて、午前中にシャワーをしました。

機械は昨日と同じく115度。
これでも十分辛くて、少し尻を浮かせたりして回避していますが大変です。
やはり腿の筋肉が突っ張って痛いので、1時間にわたる拷問のような感じで、泣きそうになります。

米谷会の昇級試験の顛末をブログにアップしました。
先日病室の携帯に本部から電話があり、看板ができたので今月下旬に送りますとのことでした。
これでようやく師匠に並ぶことができました。
さらに「一生稽古」です。

ウシガエルは相変わらず健在。
これが爺さんやおっさんなら仕方ないなぁと思うのですが、若い兄ちゃんなので余計腹立たしく感じます。
以前入院していたときも、相撲取りみたいな鼾や息づかいの若者がいて難儀した記憶がありますが、どうも困ったものです。








4月13日(木曜日)

今日は結婚記念日。
43年も経ちました。

当時勤めていた医院の隣の獣医師が、「13日の金曜日でなくてよかったな」などと失礼な事を言ったのが今でも記憶から消せずに、結婚記念日は忘れません。

機械は120度。
リハビリのねーちゃんが、みんな上のほうへ逃げたりしてますよ、と言ったのを思い出して実践してみますが、辛いのは変わりありません。 なんとか1時間耐えましたが、こんな逃げていては意味ないような気もします。

杖での歩行訓練は30mほど。
なるべく手術をした右足にもしっかりと体重をかけて歩くことを心がけてみました。

入院してこの方、ウシガエルと痛みのために熟睡したことがなくて、どうもこんなことでは精神的にもいけないと思い、夜ナースステーションに行って理由を話して睡眠導入剤(眠剤)をお願いしてきました。
効果は絶大で、朝までほぼぐっすり眠ることができました。








4月14日(金曜日)

昨日の120度がだめだったのか、腿の筋肉痛がひどくて歩行器で歩くのにも右足に体重をかけると痛い。
リハビリのねーちゃんに話をしたら、あまり無理をしない方が良いとのことで、杖での歩行訓練はなし。

機械は5度戻して115度でした。
115度なら、ピークでちょっと腰を浮かして逃げないと痛いけど、なんとか1時間は終了。
腿の筋肉痛が収まればもっと楽になるような気がしますが。

1時間が経過してナースコールをしましたが、一向に機械を片付けに来ません。
結局機械が終了して1時間以上経過してから他の看護師が片付けに来ました。
自分でセットした機械は責任もって片付けに来るべきではないですかね。
いろんな看護師がいて、人間観察には飽きません。

昨日からこの闘病記を、メモと記憶を頼りに書き始めました。
明日か明後日にはアップできるかな。

夜、看護師のねーちゃんに再び眠剤をお願いしました。
医師に言って処方してもらうということになりました。
おかげでこの日もほぼ熟睡できました。
耳栓はしているのですが、空気の振動で耳栓越しにウシガエルは聞こえてきます。







4月15日(土曜日)

この日の担当看護師はしっかり者のおばちゃん看護師。
機械の120度についてちょっと話をしたところ、他の看護師とは違う考えのようで。
120度で1週間やらないと退院できないと脅す看護師もいたのに、この看護師は無理をしてまで120度にこだわることはないとのこと。
ただ、階段の上り下りが大変なので、できれば120度ほどまで曲がる必要があるとのこと。
こんな話を聞いたのは初めてでした。

この日は無理をせず110度で。

コロナ禍で面会は禁止されていますが、土日に限り荷物の受け渡しができます。
妻に頼んで下着の入れ替えをしました。
入院も5回目ともなれば、必要なものはほぼわかっているので、特に不足なものもなく普通に生活しています。

この部屋のウシガエルはどうも起きていてもうるさくて、大声で長電話してみたり、いちいちかけ声やため息もうるさいし、こんなことを書いているとどんなくそじじいかと思われるかもしれませんが30程度のあんちゃんです。
困ったものです。

眠剤は医師から処方されたようで、この日は言わなくても看護師が持ってきてくれました。
おかげでなんとか普通に6~7時間眠れています。







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闘病記2023~その2

2023年04月16日 15時45分14秒 | しょーもない徒然日記
4月7日(金曜日)

一人で車椅子でトイレへ行っても良いよという許可が出ました。
ちょっと気が楽になりました。

機械は90度、だんだんとしんどくなってきました。

リハビリでは歩行器を使って歩行訓練開始。
近日中には車椅子ではなくて歩行器でトイレへ行ったりするようになるらしい。

まだまだジンジン痛むので、テレビを見たりパソコンを触ろうかという気にならない。

加えて、この病室には昼夜問わずウシガエルが一匹いて、ウシガエルがたまに豚舎に変わったりで、ゆっくり寝ていられません。
ちょっとウトウトっとするとウシガエルが鳴き始めて睡眠が中断されます。
予防策として耳栓を持参していますが、このウシガエルには効果なし。
多分この部屋のウシガエルの他の二人も大変な目に遭っていると思います。

こればかりは、本人に文句言うわけにも行かないし、看護師さんに言ってもどうなるわけでもないし、ひたすら我慢かな。








4月8日(土曜日)

病院はお休みですが、リハビリはありました。
歩行器による歩行訓練が続きます。
機械は100度、だんだん辛くなってきました。



トイレは歩行器で一人で行っても良いとの許可が出たので、得意な車椅子は却下されました。
まだ歩行器では不安ですが、慣れていかなければね。



朝ドラ「らんまん」が始まっていますが、月曜の朝(手術前)に第1回を見たきりで、テレビを見る気力がなかったのでそのままになっていました。
BSで1週間分まとめてオンエアされるので、午前中は「らんまん」を一気見。

午後からちょっと元気が出てきたので、入院後初めてノートパソコンを開いて1週間分のメールチッェクをします。

テザリングの設定がうまくいっていないようで、繋がったり切れたり。
東洋通信の担当に電話して対策をお願いしようかとも思いましたが今日は土曜日。
いろいろ触っていたらなんとか回線が切れたりしないようになりました。
退院したら一度しっかり聞いておこう。

6月の8J9VLP運用お願いのメールを作っておくったら、疲れ果ててエンド。








4月9日(日曜日)

今日も病院はお休み。
でもリハビリはあります。

機械は昨日辛かったので今日も100度。

とりあえずパソコン開いてメールチェック。
その後先月の米谷会昇級試験の顛末記を書き始めますが、なかなか根気がなくて続きません。
まぁ長文なので何日かに分けて書こうと思います。

VLP運用お願いメールは、IPFさんが真っ先に返信してくださいました。
毎年お世話になってありがたいことです。

ウシガエルは収まる気配なし。
慢性睡眠不足です。






4月10日(月曜日)

4月2日から数えて8日ぶりにシャワーを浴びました。
とにかく頭が気持ち悪かったので、すっきりしました。

リハビリは杖での歩行訓練開始。
まだ不安一杯で右足に重心をかけられません。
ま、ゆっくりゆっくりですね。

機械は110度。
膝の関節と言うよりも、腿の筋肉が突っ張って痛い。
リハビリのおねーさんの見立てでは、術前から膝の痛みでこの腿の筋肉がしっかり伸びていなかったのではないかと言うことでした。

相変わらずテレビを見る気力もなく、朝ドラ「らんまん」と、火野正平の「こころ旅」だけ。








4月11日(火曜日)

リハビリの機械は最終目標120度。
しかしあまりの辛さですぐにギブアップ。
5度戻してもらって115度でなんとかフィニッシュ。
120度で1週間しないと終わらないと脅されているのだけど、この痛みには耐えられません。

米谷会昇級試験の顛末記はなんとか書き終えました。
明日もう一度誤字脱字等の確認をしてアップ予定。

ウシガエルは相変わらず。
睡眠は1~2時間刻みでしかとれません。



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闘病記2023~その1

2023年04月16日 15時07分23秒 | しょーもない徒然日記

私事、4月2日に入院、3日に膝の手術をして現在お隣高岡市の病院でリハビリ中です。
3週間程度の入院ということなので、なんとか4月下旬には退院させてもらえそうです。

では事の顛末を順に。


昨年8月の北日本民謡決勝大会の日、いつもの如く重い荷物を抱えて富山オーバードホール近くの横断歩道を渡っていたところ、青信号が点滅し始めたので年甲斐もなくダッシュしたんです。
その瞬間右膝にピリッと痛みが走って腰砕けのようになりました。
この時はそんなに重大な事になるとは思っていなくて、ちょっと膝に違和感がある程度で平気で翌週の青森遠征も行ってきました。

どうも違和感がとれないので、昨年秋頃に近所の整形外科を受診しますが、毎回注射を打って痛み止めをくれるだけ。
これが4~5ヶ月続きました。

ところが今年2月の中頃、突然症状がひどくなって杖を突かなくては歩けないような状態になりました。
これは近所の整形外科に任せていてはだめだと思い、7年前に足関節の手術をしたときに紹介状を書いていただいた隣町の整形外科を受診しました。
この整形外科の先生、口は悪いけど実に鋭いんです。

この先生の見立てでは変形性膝関節症で多分人工関節だろうとのことで、すぐに足関節の手術をしてもらった大きな病院へ紹介状を書いていただきました。


4月2日(日曜日)

翌日が手術なので、前日から入院です。





60歳を過ぎてから入院するのはこれで5回目、いずれも同じこの病院です。
それまでは高校生の時に交通事故で入院して以来、入院なんてしたことがなかったのに。1回目は62歳の時に右足首の手術。
2回目はその翌年鼠径ヘルニアの手術。
3,4回目は一昨年大腸憩室炎の手術でした。

午後から入院のため妻に送ってもらって病院へ。
ピンピンして元気なのはこの日だけですが、テレビを見る気持ちにもなれずちょっとだけ読書をして就寝。



4月3日(月曜日)

午前より手術。
デイルームのところで妻に手を振って手術室へ。
気がついたら手術は終了してベッドで再び妻に手を振ってそのままICUへ。

実は2回目の入院・手術の後、病室へ戻ってきてから二度心停止している(房室ブロックと言うらしい)もので万全を考えて一晩ICUで様子見ということになったらしいです。

術後の痛みは尋常ではなく、痛みで全く眠れず。
朝方にどうしても我慢できなくて鎮痛剤の注射をしてもらってほんの少しうとうととできました。
膝の手術は痛いんだとあちこちから脅されてはいましたが、ここまで痛いとは想像を遙かに超えていました。


4月4日(火曜日)

ICUは一晩だけで、午前中に一般病棟(一日だけ個室でした)へ移ります。
相変わらず痛みに耐える一日でした。
個室なので周りを気にしなくて良かったのはこの一日だけでした。

まだ尿管カテーテルが入ってるので、自由に動けず。
ただ驚くことに、膝の可動域を確保する機械によるリハビリが、手術の翌日の今日から始まりました。
60度から始まって、120度まで10度/日刻みに角度が増加するそうです。
点滴も次から次へとあって、ずっと一日寝たままです。






4月5日(水曜日)

病室が個室から4人部屋に移動。

尿管カテーテルが抜けました。
これが入っているとどうも気になって嫌いです。
代わりにトイレへ行くのに車椅子が来ました。
まだ靴が一人で履けないので、トイレへ行来たくなると看護師さんに車椅子の介助をお願いしなければなりません。

この病室、手術で出て行く人、新たに入院する人等で出入りが激しくてドタバタしています。
機械は70度、今のところまだ平気です。

相変わらずジンジンと痛むけど、手術翌日よりは多少和らいできた気がします。








これは手術前


手術後


4月6日(木曜日)

相変わらずジンジン痛みます。
寝ているときの態勢が悪いのか、朝方が一番しんどいです。

車椅子は7年前の入院で駆使していたので得意なのですが、トイレの時は看護師に言うこととなっているのでちょっと面倒。
単に付き添いだけなのですが。
靴は履き方の要領がわかったので、ひとりで平気で履けるようになりました。

未だにパソコンを開ける元気もなく、スマホを少々触るだけです。

機械は80度。
少しずつ辛くなってきました。










その2へ続く
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