宇都宮氏に「牧の方」の孫が!
https://reichsarchiv.jp/%e5%ae%b6%e7%b3%bb%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/%e5%ae%87%e9%83%bd%e5%ae%ae%e6%b0%8f#yorituna1259
http://www.hanagatamikan.com/hollyhock/warrior/hojo.html
継室 牧の方(牧氏) 五女 平賀朝雅室/源国通室
七女(?-1216) 三条(滋野井)実宣室
八女 宇都宮頼綱室/藤原師家室
政範(1189-1204) 通称遠江左馬助
宇都宮頼綱(コトバンクより)
没年:正元1.11.12(1259.12.26)
生年:治承2?(1178)
鎌倉時代の武将,歌人。法名蓮生。宇都宮成綱の子。祖父朝綱の公田掠領の罪に連座して配流されるがまもなく許され,若くして鎌倉幕府有力御家人宇都宮氏の当主となり,北条時政の女婿となった。
しかし,元久2(1205)年,時政の後妻牧の方の平賀朝雅将軍擁立事件の際嫌疑を受けたため出家,異心なきを示し許された。
こののち浄土教に帰依,弟の信生(塩谷朝業)と共に法然の高弟証空の弟子となり,西山教団と深くかかわる。
宇都宮氏の財力を背景に往生院の再興や法然の遺骨護持などに尽力,一方幕府による寺院造営にも加わるが,主として京に住む。
藤原定家と結び,その娘は定家の嫡男為家の室となるなど,御子左家と連携。
嵯峨中院に山荘を営みその障子和歌を定家に依頼したものが,いわゆる百人一首かとされる。
その八十賀には為家らが詠進。蓮生,信生らのこのような京都歌壇とのかかわりが,宇都宮歌壇という特異な文化圏の形成をもたらした。
自身も『新勅撰集』以下の勅撰集に39首入集。
宇都宮歌壇の『新和歌集』入集数は集中最多。
定家の『明月記』にその子宇都宮泰綱の「厳父」とある。<参考文献>外村展子『鎌倉の歌人』
(田渕句美子)
牧の方の八女が宇都宮頼綱に嫁ぎ、泰綱をもうけているという事になる。