松濤掉筆 (抄) -
鈴木傳左衛門同五日中中野将監松平越後守殿五十枚多加屋甚五左衛門堀野甚左衛門松平出羽守殿同古屋左京川村弥三右衛門松平 ... 羽津半左衛門同七日宇野武右衛門紀州樣銀式百枚祠堂水野淡路守讚岐守使卜同人水戶樣銀百枚百中山備前守横山七左衛門宰相樣銀三十枚同山本以書田野上与兵衛中将樣銀二十枚
同伊藤玄蕃九里兵右衛門高松侍從樣銀二十枚同大久保主計久松樣黄金一枚同草野五右衛門梶八郎右衛門藤野嘉右衛門松平播磨守樣銀十枚近藤金左衛門紀伊御前樣三宅又左衛門松平相模守殿銀五十枚枚箕浦近江守 戌二月一右御書付之趣ハ思.
この本は、幕末の書のようである。
【維新日乗纂輯】という日記には、九里弾右衛門の名があった。
九里弾右衛門は四日市史・柏崎市史・桑名日記等に名が挙がっている。
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九里兵右衛門と高野山文書の九里兵右衛門、どのようにつながるのだろうか。
今のところ、九里兵右衛門はその他には見かけていない。
因みに名古屋叢書のなかに松濤掉筆(しょうとう・とうひつ?ちょうひつ?)があるようなので、名古屋と関係のあることが書かれているのかもしれない。
どのような本なのか…のヒントとなったのが、以下のページ(大事件勃発の部分)
同じく(新造船の試乗)石河光茂が乗船したかった人物のようである。
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高田藩 松平越中守郡代九里弾兵衛
長かった江戸時代のなかで、桑名藩主が高田藩主に、また高田藩主が白河藩主に、そしてまた桑名藩主に戻ってきている。
なので、上記の桑名藩と思われる九里弾右衛門と、高田藩の九里弾兵衛も、血が繋がっているかもしれないし、または、遠戚くらいにはなっているかもしれない。