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大山(山川)捨松の兄、山川健次郎と私の奇遇なつながり

2016-07-08 | コラム

まず、山川健次郎氏の経歴をwikipediaより(部分)

明治元年(1868年) - 会津戦争。若松城開城後、猪苗代に謹慎の後、越後に脱走、長州藩士・奥平謙輔の書生となる。
明治4年(1871年) - 斗南藩再興のあと、アメリカへの国費留学生に選抜され渡米。
明治8年(1875年) - イェール大学で物理学の学位を取得し帰国。
明治9年(1876年) - 東京開成学校(翌年、東京大学に改編)教授補になり、アメリカ人ピーター・ベーダー(ピーテェル・ベダル)の助手を務める。
明治12年(1879年) - 日本人として初の物理学教授になる。
明治21年(1888年) - 東京大学初の理学博士号を授与された。
明治34年(1901年) - 48歳で東京帝国大学総長となる。東京学士会院会員に任命される。


私がなぜこの方とつながるのか、自分でも本当に不思議なのだが…

1989年~2年と5か月主人の関係でNEW HAVENというYALE大学のある街に住んでいた。

英語が得意じゃないというか大の苦手だった私。

ほどなく大学内郵便局の張り紙で、ボランティアで教えてくれるという人の電話番号の書いてある短冊風の紙を見つけて、ちぎって持ち帰った。

電話をするのも一苦労の私が、よくもコンタクトが取れたものである。

しっかりと住所も聞き取ったらしい。(記憶なし)それほど、必死だったらしい。

・・・で、Mrs.Suzanne・HEINZ先生に出会った。その方のお宅のpartyに呼ばれた。

お宅には日本の浮世絵、中国の茶器・・・など、Suzanne先生のお父様が収集したものが多々あって、楽しかった。お月見をしている女性たち・・の浮世絵があったのを記憶している。


旦那様(Barnerd)と会った時に開口一番「Mr.Yamakawaを知っているか?」だった。

私は、知らないと答えると、彼はがっかりとしていた。「東京大学の総長までしていた人物だよ、君。…」とつぶやいていた。

ずっと気にも留めずにいたのだが、何年か前に【山川捨松】が好きで本を読んでいたら、出てきたのである。Mr.Yamakawa!!

Yaleにいたということは、山川健次郎の歩いた街を私も歩いていたわけだ。教会も同じように建っていたと思われ、大学内もさほど違いはなかったのではないだろうか。

不思議なことって、あるものである。

しかも、山川健次郎は途中給費を断ち切られ、地元の人に助けられての生活。
Barnerdのご親戚も関わっていた可能性もある。(彼は郷土史家であったので、知っていただけかもしれないが…)

もっと早くに調べていれば便りもできたのに…と悔やまれた。


どうして今日このことを思い出したのかはわからないけれど、ふと書いておきたい気分になった。








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