クララ・シューマンの紹介でフェリンガー一家と親しくなったブラームス。
「ブラームスは語る」第2巻 音楽之友社 ホイベルガー、リヒャルト・フェリンガー 著
この著者でもあるリヒャルト・フェリンガーの母親がマリアであり、ブラームスの写真をたくさん撮った人物である。
因みにリヒャルトの弟ローベルトの洗礼立会人としてクララ・シューマンが参列している。
リヒャルト・フェリンガーは1957年まで、ローベルトは1955年迄ご存命だったので、ブラームスを知っている人物が1950年代まではいたのである。
このマリア・フェリンガーという人は、ブラームスの肖像画のもとともなる「鉛筆画」を残している。
たくさん残された写真は、とてもリラックスしたブラームスの様子が垣間見ることができ、後世の私たちにも嬉しい限りなのである。
本より、拡大し、一枚だけご紹介したいと思う。右の二人の男性がフェリンガーの長男リヒャルト・次男ローベルトなのだそうだ。下の髭の方がブラームス!
此の写真を撮ったマリア・フェリンガーとともに、記載があったのが「カメラ・コダック」であった。
1892年位から1896年にかけての写真が本の中にある。
この時代のコダックのカメラとは?と思い調べてみた。
https://www.kodak.com/ja/company/page/george-eastman-history
マリア・フェリンガーが持っていたカメラは、下記と同様の物だったかもしれないと思う。
『イーストマンは1888年にコダックカメラを発表しました。 彼の発明の才能のお陰で、今では誰もが手持ちのカメラでシャッターを押すだけで写真を撮れるようになりました。彼はこのようなスローガンを作りました。「あなたはシャッターを押すだけ、あとはわれわれにお任せください」。』
『イーストマンは、1888年にコダックカメラに写真を誰にでも利用可能なものにするための基礎を置きました。100露光に十分なフィルムがあらかじめ組み込まれているカメラは簡単に持ち運べて、操作の間に手持ちできました。価格は25ドルでした。 感光後に、カメラごとロチェスターに戻されました。そこでフィルムが現像され、プリントされて、新しいフィルムが挿入されました。これらすべてが10ドルでした。』
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このように、時代の最先端の画期的なハンディ・カメラを購入し、日常を写すことの出来たのがマリア・フェリンガーならば、夫のリヒャルト(長男と同名)は、どのような人物であったのかが、気になる処である。
こちらは次回に…