過去に遡りすぎて、大変なことになっている私。
まず、鏡神社(唐津)に関してのこと。
社紀曰
鏡大明神者、人皇十五代神功皇后息長足姫尊也、往昔三韓征伐出御之□於鏡山、皇后捧宝鏡自祈誓天神地祇、面安置宝鏡□当山、依之依頼号鏡山、面後奉斎今之本社也、故奉号鏡大明神、一奉称、松浦明神、是也、松浦郡宗廟之神社、而国史等詳明其神徳、今又不有暇枚挙故略記之耳 (東松浦郡史)
鏡大明神一之宮
当社者、神功皇后御鏡を納め給ひし宮殿なり、皇后の御父は息長宿禰と称し奉る、其の姫は息長足姫と申し奉りし姫宮にてわたらせ給ふ、開化皇帝の御曽孫仲哀天皇の御后にて、八幡大神の御母后なり、筑前国香椎宮に鎮座します…略…
唐津名勝案内にも出ていたので、ご案内したい。
鏡神社
当社は…神后征韓の役 松浦山頂に登りみずから宝鏡を捧げ天地神明を祭り異域の降伏を祈られしに其後山頂毎夜光を発し人多く之を□む凱旋の為に祠を山麓に立て松浦明神と祀れりと云う
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そして、調べていると面白い記事に出会った。下は壱岐島の事であるが、場所の名前が近江国と同じである。
神池! 中原景経が鐘を水に沈め祭祀をしていたことと、つながると思う。
http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/1
【神池】
この池は住吉神社の神池です。
この池には竹生島(ちくぶじま)神社が祀ってあります。
この池には、神功皇后が三韓出兵をした折に埋めたとされる鏡があり、この池から鏡を取り出すときには必ず雨が降るという言い伝えがありました。
明治時代に、干ばつがあったときに、この池をさらったところその鏡が発見されました。
鏡は大陸系のもの12面と和鏡系のもの5面でした。
実際に、この鏡を取り出したときに雨が降ったとも聞いています。
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中原氏は、やはりこの時代にも水祭祀を行っていたのではないだろうか。