窓を覆い尽くした蘇鉄、庭一番の元気者です。
この日の主テーマは中島飛行機製造世界最速艦上偵察機
「彩雲」についての対談でした。このテーマは省略します。
知多半島の不思議と言うより、以下の二つ、
初めて知ってへぇ~!と思いました。
其の一
日本で最初に「非核宣言都市」となったのは半田市とのこと。
その後東京都港区、三島市などが比較平和宣言を行うも
運動とはならなかった。
其の二は「共同募金誕生」
【共同募金の歴史】
1913年、アメリカ・オハイオ州クリーブランド市で初めて実施された。
1912年長崎県で初めて行われたが、1回で終わっている。
森氏は当時クリーブランド市の新聞社に記者として勤めていた。
発祥の地ですから森氏はこの運動をよく知っていました。
帰国後、戦後の貧しい日本の現状をみて、初代の市長森氏
GHQに提案、赤い羽根運動の実施に至りました。
占領下にあった日本ですから何事もGHQの許可が必要でした。
多くの人の賛同を得て、赤い羽根運動は今に至っています。
半田市から「赤い羽根」が始まったとはたぶんほとんどの人が
知らないでしょう。
これまた知多半島の不思議と言うより、
へぇ~!とおもいました。
温暖化で、これからは熱帯の植物が増えてくるかもですね。
非核宣言都市、核を持ってる国に言わなくてどうするって思ってしまいます(^-^;
赤い羽根、最近は自治会でも一括寄付になってきたみたいです。
のんきに考えていましたが、
おっしゃるように温暖化ですよね。
世の中は矛盾だらけ、
深く読めない私は恥ずかしいです。
あれから9年の年月が経ちました。
(2012年でした)
それまでほとんど知りません。
でもなんと凄い市なのですね‼
私など今はのほほんと生きています。
今日は関東大震災の日この日になると母の言葉を思い出してまた心を引き締めています。
赤い羽根はちゃんと困っている方に届いているのでしょうか?
今年はあそこも此処も大変な災害に!
驚きました。
これぞ、不思議物語の所以ですね。
中学生の頃、栄の交差点で赤い羽根募金を
していたことを思い出します。
当時は学校行事でしたが、今は見かけませんね。
私は地元とはいえません。
お友達も知多半島には多いですし、
弟も住んでいるからか?
この講座を受けています。
直ぐ忘れてしまいますが
その時はとても面白く聞けますので
続いています。
赤い羽根の募金は必要な人のところへ
届いていると信じましょう。
大都市ではありませんから
却って行政もやりやすいのでしょうか?
現在、赤い羽根募金は、自治会がまとめています。
当地は一戸当たり200円(最低?)です。
街中の募金風景は少ようですね。
半田市には優れた人材が、しかも先駆け的なことを思い起こすような人物が多かったのかもです。
先ずは動きを起こしてみることですね。賛同者もいると信じて。
今の世でも民間レベルでは相互扶助と言いますか活動への支援の輪の広がりを見ることがありまります。
「非核」の広がりには疑問符が付きますが。
なんだか元気貰えます。
googleで「エブリスタ 波瑠」と
入れたらたぶん1発で出ます。
Yahooでも出ます。同性の方が、最近
おられますが、コメントに「音楽が好きで..」
とか、そんな私のことが書いてあります
からすぐに分ります。お試しくださいませ。
無料サイトなんですよ。
発明王と言われる豊田佐吉もでています。
非核は、広島や長崎では宣言する以前に
世界的になっているからでしょう。
大都市より中小都市のほうが
郷土史発掘がやりやすいかもしれませんね。
6作品載っていますね。「代わり筆」で
間違いないと思いました。
無料サイトだなんてびっくりします。
大昔、中日新聞読者投稿欄「くらしの作文」に載りました。
引越しするうちに掲載新聞失くしました。
いい年して自転車の練習始めたと言う内容です。