日々の暮らし*資生堂 創業150周年

2022-09-17 | 日々の暮らし
 1872年9月17日に資生堂が創業して、今日でちょうど150年を迎えました。

テレビ番組でスポンサー名を「東京 銀座 資生堂」と紹介していたのが印象に残っていますが、

今でこそ銀座は一丁目から八丁目まであるものの、当時は四丁目、つまり和光の辺りまで。

晴海通りを境に五丁目から先には別の町名があり、資生堂のある八丁目は松江藩とのご縁で「出雲町」。

1872年といえば明治になって4~5年ですから、まだまだ江戸の名残りが漂っていたのでしょう。
(五丁目から八丁目が正式に銀座に加わったのは、関東大震災後の区画整理が行われた昭和5年)

同じく1872年は、新橋(汐留)~ 横浜(桜木町)に鉄道が開業した年でもあります

ご存知のように、銀座八丁目といえば、ほぼ新橋。

江戸の香りを残しつつ新しい時代を迎えたあの界隈。。想像しただけでワクワクします


 さて、資生堂は調剤薬局として開業して練り歯磨きなどを販売しますが、やがて化粧品業界に進出。

1897年(明治30年)発売の化粧水「オイデルミン」は、今も続く超ロングセラーの商品です。



クラシカルなデザインは、空き瓶も一輪挿しとして使っています。 
秘書にゃんこサイズのオイデルミンは復刻版デザインのキーホルダー
後ろの缶は「花椿ビスケット」 ピンクの缶は限定販売です
ロゴの「花椿」は、初代社長が水盤に浮かべた椿を描いたものを、
何度か微調整してデザイナーの山名文夫(あやお)氏が完成。
ちなみに新潮文庫の葡萄のデザインも山名氏の作品です



3年前に日本橋高島屋で開催された展覧会にて
「オイデルミン」とは、ギリシャ語の「オイ(良い)」「デルマ(皮膚)」からネーミング。



左:東京銀座資生堂ビル
右:SHISEIDO THE GINZA 「爆買い」の頃には観光バスが着いてお店に人が溢れていました。
ビルとビルの間は「花椿通り」



『銀座と資生堂 日本をモダーンにした会社』(著者:戸矢 理衣奈)
関東大震災による社屋倒壊、太平洋戦争末期の空襲、経済不況など幾多の困難を乗り越えて、
創業150周年を迎えられたことを、資生堂のファンとして嬉しく思います。
エリクシールは秘書にゃんこサイズ(早い話、試供品です)


 資生堂といえばパーラー

お食事ができればよかったのですが、月曜日で定休日のため断念

でも、以前撮った写真がありますので、次の機会にでもパーラーのお話をしましょう。


 というわけで、この日は花椿通りを東に歩いた先にある和菓子の老舗へ。


「清月堂本店」(創業 明治40年)



Passy さん に銘菓「おとし文」を教えていただいて早速参りました。
この季節限定の栗味を買い求め、お懐紙も栗模様。


 銀座はすっかり様変わりして、外国ブランドのお店やお手頃価格の日本の店舗が銀座通りに軒を連ねます。

でも、ちょっと奥に入ったり裏通りを散策しますと、古き良き時代の町並みに出会えるのが銀座の良いところ。

涼しくなったら、また足を運びたいものです。


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日々の暮らし*切手

2022-06-27 | 日々の暮らし
 たまに手紙を書こうとすると、「あら、切手代っていくらだったかしら??」

かつて手紙が80円、はがきが50円だった頃は分かりやすかったのですが、

その後、1円、2円と値上がりし、しかも手紙とはがきが時期をずらして上がったこともありましたよね。

 切手代の値上がりがややこしい一方で、発売される切手の魅力的なこと

子どもの頃に「趣味は切手収集」だったこともあり、 でサンプルを見ると素通りできず「1シート下さい」。

追加分を貼らなくては投函できなくなった切手が、手元にたくさんあります。

 そこで1円切手の出番です。

1円切手といえば、茶色い肖像画のおじさん、もとい、「日本近代郵便の父」と呼ばれる前島 密(ひそか)。

その功績は郵便事業のみならず、まずは明治政府の首都を江戸にすることを建言し実現。

さらに、国字の改良、海運、新聞、電信・電話、鉄道、教育、保険など多岐に亘ります。

ちなみに「郵便」や「郵便切手」などの用語は、彼自身が選択した言葉です。



出番が増えて忙しい割に、名前や功績はあまり知られていないかも??



日本昔話に登場するような牧歌的な絵柄に囲まれるとしっくり馴染む前島さんですが・・・。



これではさぞかし居心地が悪かろうと。

 そんなふうに感じたのはどうやら私だけでなく、手紙や切手の愛好家から声が上がっていたようで、

昭和26年以来、およそ70年ぶりに1円切手のデザインが新しくなりました。


日本郵便のキャラクター「ぽすくま」ちゃんデザインで1億枚の限定販売。
1シート50枚でもお値段は50円 
発売から1年あまり経ち、既に品薄、売り切れとの情報も。


 もちろん、従来の前島密デザインの1円切手は今後とも販売されます。

2019年10月に消費税が10%になったのを機に、現在は手紙84円、はがき63円。

季節に合わせて便箋と封筒を選び、相手を想いながら認(したた)め、とっておきの切手を貼って投函。

メールでは味わえない、そんな時間も大切にしてゆきたいものです。


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日々の暮らし*『高矢禮』の思い出とチャプチェ

2022-05-07 | 日々の暮らし
 今年のゴールデンウィークはお天気も の飛び石でしたね。

あ、お若い方には馴染みが薄いかも知れませんが、昔は GW を「飛び石連休」と呼んでいました。



雨上がりのスパニッシュ・ビューティーと秘書にゃんこ

 
 さて、今から16年ほど前、白金高輪(港区)に韓国料理のお店「高矢禮」(ゴシレ)が誕生しました。

時あたかも空前の韓流ブーム、しかもヨン様プロデュースのレストランとあって鳴り物入りで登場。

ヨン様ファン(「家族」と呼ばれていましたっけ)のみならず韓流ファンが熱い視線を送るお店は、

ランチが数千円、ディナーに至っては1~5万円にも関わらず、半年先まで予約が取れない状態でした。

そんな中、大韓航空に勤めていた知人が個室を用意してくれて、友人共々 望外のランチタイム。


左:お店の看板(横に立つ私の姿は自粛)   
中央:店内は「宮廷女官 チャングム」の世界
右:開店時のセレモニーで挨拶するヨン様(列席した知人が撮影)

 このとき知人の招きでランチに同席してくださったのが、古家正亨(ふるや まさゆき)さん。

韓流ブームより前から韓国の大衆文化に関わり、日本にいち早く K-POP を広めた方です

その後も韓流スターのファンミーティングでの MC や TV 出演などご活躍は存じていましたが、

つい最近、図書館で本を2冊発見


韓国人アーティストの奥様との共著
日本で手に入る材料で拵える家庭料理『韓式ふたりごはん』
女子旅にありがちなコスメやグルメとは一線を画する街歩き『ふたりソウル』

 すぐに影響されやすい私、本を片手に早速「チャプチェ」(雑菜)に挑戦しました。


韓国の春雨は日本や中国のものより少し太くて、色はグレーがかっています。
彩りになる人参を買い忘れ、代わりに糸唐辛子で赤い色を添えたものの、
椎茸も用意すれば良かったとかタマネギが高いとか、
拵える前から助手にゃんこ相手に愚痴やら反省やら



できあがり~~
お箸とスプーンは縦向きで、お箸(チョッカラ)が右、スプーン(スッカラ)は左に置きます。


 高矢禮はわずか4年半で閉店となり、あれは夢の出来事だったのかも、、と思いつつ、

街歩き本を眺めては、気分だけソウルに飛ぶゴールデンウィークです


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日々の暮らし*『ちゅらさん』

2022-05-02 | 日々の暮らし
 風薫る五月、いかがお過ごしでしょうか。


図書館へ行くとき回り道をして、秘書にゃんこの大好物を背景にパチリ


 さて、小学3年生の頃、麻疹(はしか)に罹って学校を休んだとき、

母が『少女フレンド』を買ってくれたのが少女漫画との出会いでした。

ちょっと調べてみましたら、昭和30年に『りぼん』(集英社)と『なかよし』(講談社)、

そして昭和38年に『マーガレット』と『少女フレンド』が発行されたようです。

夢のような物語、お手洗いに行けなくなる怖いお話に、日本中の女の子が夢中になったものです。

巻末には「ペンパル」のコーナーがあり、読者が自分の住所氏名を載せて文通相手を募るという、

良くも悪くも「個人情報」などとは無縁の時代でした。

 札幌に住んでいた私は運良く掲載され、それを見てくれた沖縄の女の子から手紙が届きました。

彼女は雪を見たことがないと言い、私もまた想像の中の南国に憧れ、

お互いに写真を同封してそれぞれの暮らしを伝え合い、心弾む時間を共有したものです

中学・高校へと進み、いつしか手紙が途絶えた1972年(昭和47年)に、

沖縄返還(沖縄の方にとっては本土復帰ですね)を迎えたとき、彼女のことを思いました。



琉球ガラスの一輪挿しと星の砂


 6年後の昭和53年、沖縄で「車は左側通行」となりました。

その頃、私は CA(当時はスチュワーデス)として乗務し、たびたび沖縄に宿泊しました。

空港からハーバービューホテルまでの10分ほどの道のりに、なんと1時間以上かかり、

車窓から街を眺めると、信号機も標識も、そしてバスの乗降口も以前とは左右逆になり、

そんな時ですからスピードを出す車はありませんが、それでもあちこちで小さな接触。

「私が新人だった頃は、お金はドルだし、沖縄に来るにはパスポートが必要だったのよ」

先輩が、歴史の変わり目に立ち会った貴重な体験を話してくれたのが印象に残っています。

そして私も今、沖縄にとっての大きな転換期を目の当たりにしているのだと。。


 本土に復帰して、来る5月15日で半世紀。

NHK で沖縄を舞台にした朝ドラが放送され、この連休中には『ちゅらさん』が再放送されます。

「文通」という言葉すら死語になった今、あのときの彼女はどうしているかしら。

大人になって雪を見る機会はあったかしら。


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日々の暮らし*再び『ひまわり』

2022-04-27 | 日々の暮らし
 駅の近くにあるコミュニティーセンターで『ひまわり』が上映されました

ユニセフ協会による催しで入場無料でしたが、受付の募金箱は満杯。

「ウクライナの子どもの命と尊厳を守るために使われる」との説明がありました。

 終了後には「ひまわりの苗」と、希望者には「テーマ曲の楽譜」が配られたので頂き、

開いてみると、右手で弾くメロディーとギターのコードが書いてありました。

驚いたというか初めて知ったのですが、英語と日本語の歌詞があるんです


" Love is storm and wind and tide, all the tears your heart can hold "
「愛はいつでも 光の中に ひとつの小さな 花の命」って、誰の作詞でしょ??



会場の入口には、普段目にすることのない地雷や武器が展示されていました。
飾られていたのは花開いた状態のひまわりで、スタッフの方からは、
「苗を持ち帰り、平和への思いを込めて育て、この地域にたくさんのひまわりを咲かせましょう」


 コミュニティーセンターには図書館が併設されていて、週に2回は訪れる馴染みの場所。

ウクライナ語とロシア語がどのくらい似ていて、どのくらい異なるのかを調べたくて、

入門編レベルのテキストを借りてきました


アルファベットの違いや類推できない単語はあるものの、
おそらく両方とも読み書き会話ができる人や、喋れなくても聞き取れる人が多いと思いました。
ちなみに私は相変わらず品詞の性や格が苦手で、早々に退場

それでも、この町に避難して来る方がいれば、せめてご挨拶くらいできればいいな、、と


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