日々の暮らし*切手

2022-06-27 | 日々の暮らし
 たまに手紙を書こうとすると、「あら、切手代っていくらだったかしら??」

かつて手紙が80円、はがきが50円だった頃は分かりやすかったのですが、

その後、1円、2円と値上がりし、しかも手紙とはがきが時期をずらして上がったこともありましたよね。

 切手代の値上がりがややこしい一方で、発売される切手の魅力的なこと

子どもの頃に「趣味は切手収集」だったこともあり、 でサンプルを見ると素通りできず「1シート下さい」。

追加分を貼らなくては投函できなくなった切手が、手元にたくさんあります。

 そこで1円切手の出番です。

1円切手といえば、茶色い肖像画のおじさん、もとい、「日本近代郵便の父」と呼ばれる前島 密(ひそか)。

その功績は郵便事業のみならず、まずは明治政府の首都を江戸にすることを建言し実現。

さらに、国字の改良、海運、新聞、電信・電話、鉄道、教育、保険など多岐に亘ります。

ちなみに「郵便」や「郵便切手」などの用語は、彼自身が選択した言葉です。



出番が増えて忙しい割に、名前や功績はあまり知られていないかも??



日本昔話に登場するような牧歌的な絵柄に囲まれるとしっくり馴染む前島さんですが・・・。



これではさぞかし居心地が悪かろうと。

 そんなふうに感じたのはどうやら私だけでなく、手紙や切手の愛好家から声が上がっていたようで、

昭和26年以来、およそ70年ぶりに1円切手のデザインが新しくなりました。


日本郵便のキャラクター「ぽすくま」ちゃんデザインで1億枚の限定販売。
1シート50枚でもお値段は50円 
発売から1年あまり経ち、既に品薄、売り切れとの情報も。


 もちろん、従来の前島密デザインの1円切手は今後とも販売されます。

2019年10月に消費税が10%になったのを機に、現在は手紙84円、はがき63円。

季節に合わせて便箋と封筒を選び、相手を想いながら認(したた)め、とっておきの切手を貼って投函。

メールでは味わえない、そんな時間も大切にしてゆきたいものです。


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秘書にゃんこ*横浜山手西洋館 花と器のハーモニー2022

2022-06-22 | 建築が好き
 横浜という街は、もともとの美しさに加えて、それを活かそうと官民一体となるところが魅力的です。

たとえば赤レンガ倉庫は、私が横浜に住んでいた昭和50~60年代には文字通り「倉庫」でした。

その後、テレビや映画のロケ地となったものの、いつしか放置されて荒廃の一途を辿ります。

しかし、取り壊すことなく見事に復活を遂げて、周辺の施設ともども活気溢れる観光名所に変貌。

赤レンガ倉庫から山下公園へと続く道は、休日には海風を浴びて散策する人々の憩いの場となり、

手入れの行き届いた花々を、思い思いにカメラに収める姿が多く見受けられます。



マスコットキャラクター・ガーデンベア


 そんな海沿いのエリアから小高い丘へと登れば、そこはかつて外国人居留地だった所。

異国情緒漂う山手西洋館に惹かれて、元町での買い物がてら、昔からよく訪ね歩いていました。

もちろん建物だけでも充分に見応えあるのですが、その素晴らしさを一層引き立てる花と器。

3年ぶりに開催された『花と器のハーモニー』会期終了の直前に、駆け足で廻ってまいりました。


山手234番館[横浜市認定歴史的建造物]
1927年頃、外国人向けの共同住宅として建築。



こんな所でお食事がしてみたい


エリスマン邸[横浜市認定歴史的建造物]
アントニン・レーモンドの設計により、1926年に生糸貿易商エリスマン氏の私邸として建築。
以前は1階のガラス張りの所がカフェでした



楽譜の専用棚
譜面台に置いてある楽譜は「トッカータとフーガニ短調(J.S.Bach)」


ベーリック・ホール[横浜市認定歴史的建造物]
1930年にJ.H.モーガンの設計により、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として建築。



室内ながら、イタリアやフランスの庭園で見られるような壁泉が特徴です。


外交官の家[重要文化財]
1910年にJ.M.ガーディナーの設計により、明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として建築。



横浜の海を思わせる花


ブラフ18番館[横浜市認定歴史的建造物]
大正末期に建てられたオーストラリアの貿易商バウデン氏の住宅。
その後、カトリック山手教会の司祭館として使用。



目に緑が優しいお部屋でいただくアフタヌーンティーはどんなに美味しいかしら


 5つの建物をご紹介しましたが、山手西洋館は現在7つあります。

また、7つには入っていないものの、カフェを営業している洋館「えの木てい」も人気がありますし、

港の見える丘公園には「神奈川近代文学館」や「大佛次郎記念館」もあり、見どころ満載です。

駆け足なんてもったいない。

次回はバラの美しい季節にゆっくり訪れたいものです。


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秘書にゃんこ*ピーターラビット 絵本出版120周年(世田谷美術館)

2022-06-17 | おでかけ
 イギリスで産業革命が起きた19世紀中頃、ビアトリクス・ポターはロンドンで生まれました。

当時、裕福な家庭の子女がそうであったように、ビアトリクスも生涯学校に通うことはなく、

弟が生まれるまでは遊び相手もいない中、身近な動植物をスケッチすることが彼女の楽しみでした。

 そんな少女時代を過ごしたビアトリクスが20代になった頃、

元家庭教師の子どもの病気見舞いに絵手紙を贈ったことが、絵本作家になるきっかけとなりました。

ところが、元家庭教師の勧めで複数の出版社に作品を持ち込んだものの出版には至らず、自費出版。

それが評判を呼んで出版社も決まり、増刷を重ねてベストセラーとなったのが『ピーターラビットのおはなし』

1902年、ビアトリクス・ポター26歳の出来事です。

 時は流れて、今年は絵本出版120周年。

世田谷美術館に「ピーターラビット展」を観に行ってまいりました。(6月19日(日)まで開催)



電車を乗り継ぎバスに乗り換えひたすら歩き、ちょっとした旅気分。



世田谷美術館は、緑豊かな「砧(きぬた)公園」の中にあります。



消毒と検温を済ませると、早くもビアトリクス・ポターの世界。



ピーター色のドレスで公式サポーター 松下洸平さんとピーターの間に入って、ちゃっかりスリーショット



ピーターのママと、妹フロプシー、モプシー、カトンテール。
三人娘はいつもママの言うことをよく聞くのですが・・・。



ピーターはマグレガーさんの畑に忍び込んでは追いかけられて、柵をくぐったり大変
実は、このピーターはお尻が動いていてとっても可愛いのですが、残念ながら動画


 平日とは思えないほど多くの入場者が集う会場は、第1章~第4章に分けて構成。

100年以上経ったとは思えない保存状態の見事な原画や、かつて商品化された貴重な品々。

の所は少なかったものの、撮影を忘れるほど展示に見入ってしまいました。


 絵本作家としての活動は、わずか十数年だったビアトリクス・ポター。

今なお世界中の人々に愛されていることを知れば、どんなに喜ぶことでしょう。


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日々の暮らし*『波の塔』(著者:松本 清張)

2022-06-12 | 本が好き
 松本清張といえば、数々の社会派推理小説で今も読者を魅了し続けていますが、

『波の塔』は女性誌に連載されただけあって、事件や犯人を解き明かすものではなく、

愛し合う二人の悲恋物語を描いた、上下巻で800ページに及ぶ長編小説です。

例によって図書館から本と DVD を借りてきましたので、画像をご覧ください。



昭和35年(1960年)公開
テレビでは出演者を替えて8回も放送されましたが、映画はこの1本のみ



主演:有馬稲子さん(当時28歳・今年卒寿) 津川雅彦さん(当時20歳・2018年他界)
お二方は2017年にテレビドラマ『やすらぎの郷』で、元歌手と詐欺師の役で再共演。



読み進めるうちに「ニューグランド・ホテル」という章がありましたので、ちょっと行ってきます



山下公園から望むマリンタワーと、ホテルニューグランドの本館およびタワー館。



束の間の逢瀬を愉しむ二人が階段を下りて来る様子を窺う男性。
男性が居る場所は、小説にも書かれているように外国人向けのお土産売り場でした。



62年の時を経て、怪しい男性たちと同じ場所に立つ秘書にゃんこ。
使いながら保存することの難しさを思えば、行き届いた手入れにただただ感服します。



所変わって東京駅。
英語表記が STATION ではなく CENTRAL というのが気になるところですが場所は不明。
丸の内口側においては、2007年から2012年まで赤レンガ駅舎の復原工事が行われましたので、
この場所を特定するのは難しそうです。



来るはずのない彼女を待つのは、丸の内北口。
改札の上には「日光観光乗車券」の案内。
終戦から15年が経ち、高度経済成長期に旅を愉しむゆとりが出来たのでしょう。



先ほどの写真の画面左「八重洲方面への新連絡」
現在は「八重洲側への自由通路」と表示されています。

ピッという音が途切れない改札で、昔は駅員さんの鋏がカチャカチャ鳴っていたのでしょうね。


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秘書にゃんこ*鹿鳴館跡 ~ 三菱一号館 ジョサイア・コンドル

2022-06-07 | 建築が好き
 梅雨らしい日が続きますね

気分だけでも晴れやかに、帝国ホテル 今月のロビー装花です(~ 6月30日)


アルストロメリア・デンファレ・アンスリューム・モンステラ・ドラセナ他
ここに立ち寄ったのはお食事でも、もちろん宿泊でもなく、化粧室を拝借するだけというパターン

それでは、玄関を出て隣に行ってみましょう。



長い塀の向こう左側が帝国ホテルです。
塀に埋め込まれた碑を拡大してみます



「鹿鳴館跡  ここはもと薩摩の装束屋敷の跡であって その黒門は戦前まで国宝であった
その中に明治十六年鹿鳴館が建てられ いわゆる鹿鳴館時代の発祥地となった  千代田区」

 井上馨による欧化政策の一環として築かれた、建築家 ジョサイア・コンドル30歳前後の作品。

井上外務卿の辞職により、わずか数年で幕を下ろした鹿鳴館時代。

鹿鳴館の正門として使われた旧 薩摩藩の門は東京大空襲(昭和20年)で焼失したため、

仮に鹿鳴館が昭和15年に取り壊されなくても、果たして現存していたかは不明ですが、

もしも今の時代に残っていたらと思いますと、なんとも惜しい気がします。


 お色直しをした秘書にゃんこ、場所を移して丸の内へ。

駅にしてひとつ、歩くには距離も眺めもよい街並みです。


三菱地所所有のビルと三菱一号館(復元)
この新旧を対比させた景色が好きで、季節ごとに撮っています



三菱一号館の裏手にある中庭でコンドルの世界に浸ります



三菱一号館にある cafe 1894(1894年 コンドル42歳の作品)
『半沢直樹』などのロケ地にもなった建物は、かつて銀行の営業室でした。



隣接する美術館帰りの方が多く、いつも満席で並びます。


 20代の若さで来日して、時代に翻弄されながらも日本で生き抜き、

67歳でその生涯を閉じるまで、多くの作品を遺したジョサイア・コンドル。

折しもコロナ禍が少しだけ落ち着いてきたため、秘書にゃんことの外出が叶い、

以前訪れた旧 岩崎邸やニコライ堂も含めて、都内にあるコンドル建築はほぼ鑑賞しました。

さて、お次はどこに参りましょうか。


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