紫式部を訪ねて その2*滋賀 石山寺

2024-03-28 | おでかけ
 京都二日目の朝、訪ねようと思っていた所が3か所ともお休みと気づいて、急きょスケジュール変更。

ふと思い出したのが、いつぞやブログのお友だち hirorin さんが投稿していらした「石山寺」の記事。


 平安時代、紫式部は新しい物語を作るため、石山寺に七日間参籠。

琵琶湖に映る名月を眺めて、源氏物語の着想を得たと伝わります。

ならば今回の旅の目的にぴったりと、いそいそと出かけました。




まずは京都駅へ。




JR 琵琶湖線と京阪線を乗り継ぎますと、30分ほどで「紫式部の世界」
ここから石山寺まで、およそ10分歩きます




「月見橋」
風流な名の橋の下には、琵琶湖から流れ出る瀬田川。




この郵便ポストに投函するなら、レターより「文」でしょうか。




石山寺に到着




大津市観光キャラクター「おおつ光ルくん」(なぜか「ル」)は「21世紀版 光源氏」




売店も「紫」




今にも姫君や公達が姿を現しそうな牛車




手水舎には、今年の干支である




本堂(国宝)
斜面に建てられた懸造(かけづくり)
別料金を払って堂内に入り、御本尊を間近で拝観しました。




本堂の一角にある「源氏の間」は、紫式部が執筆した部屋。




「梅つくし(~3月18日)」と「桜まいり(3月19日~)」
この日も寒く、両方を愛でることができたのはこの場所くらいでした




多宝塔(国宝 鎌倉時代に源頼朝の寄進により建立)
硅灰石(天然記念物 この付近に噴き出した花崗岩の熱作用により形成)




広い広い境内の奥に位置する光堂を仰ぎ見ます。(この辺りで軽~く迷子)




紫式部像


「石山寺」の名の由来は、先ほどの写真にある「硅灰石」だそうで、

起伏のある境内は、「上る」より「登る」と書いた方が相応しい、急傾斜の石段とでこぼこ坂道。

案内図を片手に歩いたものの、広すぎてどこに居るのか分からなくなり、職員さんに尋ねたことも。

各地の寺社を詣でましたが、石山寺に関しては「参拝」と言うより、ほぼ「アスレチック」かと

それでも、桜や紅葉の季節の素晴らしさ、湖面に映る月の美しさに思いを馳せては、

むしろ当初の予定が流れてよかったとさえ思いながら、帰途に着きました。

スマホアプリの歩数計によりますと、この日はなんと25000歩

しかも、持参した水以外は飲まず食わずって、私、、どれだけ燃費がいいんでしょ。

駅までの道の「名物さくら餅」のお店までお休みなんですもの。。いただきたかったわ



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紫式部を訪ねて その1*京都 蘆山寺 梨木神社 平安神宮

2024-03-25 | おでかけ
 今年度の仕事を終え、新学期が始まるまでの春休みを利用して、関西方面へと旅に出ました。

計画を立てるとき、「修学旅行をなぞる」「レトロ喫茶」などテーマを設定することが多いのですが、

今回は時流に乗ったといいますか、単なるミーハーといいますか、「紫式部を訪ねる旅」に決めました。

恥ずかしながら、『源氏物語』も「紫式部」も学校で教わった程度の知識しか持ち合わせていないものの、

学生時代と違って試験が待ち構えているわけではありませんので、大人になったからこその気楽な旅です。



新幹線が発車するなりおやつを開くのは毎度のこと。
これね、期間限定なのかあまり見かけないのですが、美味しいんです
道明寺の桜餅がお好きな方には ですよ。




蘆山寺(ろざんじ) 
京都御所の東に位置し、紫式部が人生の大半を過ごし、『源氏物語』を執筆した邸宅址。




源氏庭 
6月から9月末まで、紫色の桔梗が静かに花開くそうです。




「京の冬の旅 非公開文化財 特別公開」が、実に37年ぶりに行われ、
幸いにも私が訪れた日は最終日とあり、与謝野晶子自筆の「源氏物語礼賛」を特別拝観。
御朱印は通常の2倍サイズで見開きの「若紫」


ちなみに「若紫」とは、光源氏にとって父の妻であり憧れの女性である「藤壺」の姪。

どうりで美しい義母 藤壺と面差しが似ているはずで、18歳の光源氏は年端もゆかぬ美少女に心を奪われ、

やがて妻の一人である「紫の上」となる、『源氏物語』の主要な登場人物です。




梨木神社(なしのきじんじゃ)
蘆山寺の西隣。
「空蝉(うつせみ)」や「花散里(はなちるさと)」が住んでいたとされるのは、
この辺りだったのではと伝えられています。




今年限定、数量限定の御朱印 2種「空蝉」「花散里」




京都三名水のひとつ「染井(そめい)の御神水」
梨木神社の授与所で空のペットボトルを買い求め、手水舎の蛇口から汲みます。


遅ればせながら今年の初詣となった蘆山寺と梨木神社を拝観し、お次は平安神宮へ。

そのうちバスに乗ればいいと思いながら歩くうちに、到着してしまいました。

札幌育ちの私にとって、同じく碁盤の目のような京都の町はとても歩きやすいんです



平安神宮
幕末の戦乱で荒廃した京都の復興の象徴として、1895年の平安遷都千百年祭に建立。




平安神宮は紫式部の時代にはありませんでしたが、平安京を再現した佇まいは、
大河ドラマ「光る君へ」の撮影に相応しいロケ地だったようです




平安神宮から程近い「岡北」で「京の彩りうどん」
北風ビュービューの一日でしたので、とろみのある温かいおうどんに、寒さも疲れも癒されました



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英国展*新宿伊勢丹

2024-03-12 | 建築が好き
私、生まれは渋谷区ですが、京王線沿線のため、母曰く「買い物は新宿伊勢丹」。

さらに「デパートといえば、当時は伊勢丹しかなかったのよ」とも。(年がバレそう

明治時代、神田にあった前身の屋号が「伊勢屋丹治呉服店」だそうですから、いかにも年上。

現在の場所に新宿本店が開業したのは昭和8年(1933年)。

その伊勢丹で恒例の英国展が開催されると聞いて、いそいそと出かけました。

ちなみに私、日本橋三越と伊勢丹の英国展は、これといって買いもしないのに、ほぼ皆勤です

「イギリス」ではない「英国」という言葉の持つ雰囲気に憧れているんです



入場制限が敷かれる中、「1081組目」の順番が来てようやく入場。
英国は好きですが混雑が大の苦手ゆえ、ショートブレッドを買い求めて早々に退散
待ち時間の方が長いって、何しに来たんでしょ・・・。


一方こちらは、駅の反対側の西口。



京王百貨店(昭和39年)と 都営バスのりば
同じく「私より年下」の小田急百貨店(昭和37年)は既に営業を終了。
再開発に伴い、この辺り一帯の景色も大きく変わりそうです。




建築家 坂倉準三(明治34年~昭和44年)による晩年の作品「新宿駅西口広場」




高層ビルなど無かった昭和40年代前半、この地下広場に大勢の若者が集いました。
ギターを弾いて歌うフォーク集会が、やがて反戦を訴えシュプレヒコールが飛び交う場に。
そんな時代の喧騒に思いを馳せながら広場から眺める空も、見納めです。




英国展の特設カフェの混雑を尻目に、麻布十番に移動。


目指すは、かつて日本橋三越に店舗があった JURI'S TEAROOM の移転先。
都内にスコーンをいただけるお店は数あれど、私の中で TOP に入るジュリスティールーム。




以前と変わらぬ美味しさにホッとひと息。
ただ、日本橋と違って、このためだけに足を運ぶには不便で、
お店の広さやインテリアなどは三越の頃に及ばず、少し残念に思いました。
でも、やっぱり美味しかった~


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ミモザの日*蔵前神社

2024-03-08 | おでかけ
朝起きたら、一面の銀世界

どうしましょう。。と思いながら出かける支度をしているうちに、空が徐々に明るくなり、

もしまた降ったら降ったで、雪景色も風情があってよいわと意を決して外出


今日3月8日は「ミモザの日」

1984年(昭和59年)まで国技館が在った、大相撲と縁の深い蔵前には、

1693年(元禄6年)に5代将軍 徳川綱吉が創建した「蔵前神社」(「蔵」は正式には「藏」)があり、

毎年この時期になりますと、ミモザと早咲きの桜のコラボレーションを愛でようと、

内外から多くの参拝客が訪れます。



鯔背なおにいさん




こぢんまりとした境内を覆うように彩る桜とミモザ




「ミモザの日」念願の日付 (御朱印は書置きのみ 枚数制限あり)
「江戸の北斗七星」徳川幕府は、江戸城の守護と江戸の都市計画にあたり、
古来より信仰の対象となってきた北極星ならびに北斗七星を重用しました




ミモザの花言葉は「感謝」「思いやり」「真実の愛」など。
3月8日は「国際女性デー」でもあります。


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新橋駅前ビル と 2月に読んだ本

2024-03-02 | 建築が好き
明日は桃の節句

この日ばかりは、いくつになっても女の子



帝国ホテル(館内3か所に、3月4日まで展示)


 さて、前回は新橋駅の東側にある「ニュー新橋ビル」(昭和46年)をご紹介しましたが、

今日は駅を挟んで西側正面に建つ、その名も「新橋駅前ビル」に参りましょう。



新橋駅前ビル1号館  竣工:昭和41年(1966年)



2号館(右)
ゆりかもめ(1995年 開業)の方が目立ちますね。

でも、ニュー新橋ビル同様、内部はオジサマ方の憩いの場として絶賛営業中ですよ。



昔の映画のセットみたいでしょ



今にもお店の扉が開いて、ギターを抱えた流しのおにいさんが現れそう
こういう路地のような通路が何本かあって、方向音痴の私は同じ所をグルグル。



「古い建物の階段」に萌える私も、さすがにこれは別世界への入口のようで・・・



パーラー キムラヤ(ビルの開業と同時に開店 看板のロゴも創業当時のまま)



幾何学模様の壁に飾られた写真は、煉瓦造りだった頃の「新橋驛」



もちろんメニューも THE 昭和


「ニュー新橋ビル」「新橋駅前ビル」共に、当初の計画では既に解体されているはずでしたが、

多くの人が行き交う様子に、閉館や取り壊しという気配は全く感じられませんでした。

とはいえ、どちらも半世紀を超えていますので、この先ずっと、、というわけにはゆかないでしょう。

「作り物ではない昭和」に浸りたいお方は、ぜひ一度。





『明治人の作法』幕末から明治、そして戦時中から戦後。日本の作法は転換期を迎えました。
『かかわると面倒くさい人』他人の目に自分がどのように映っているかを想像する習慣のない人。
『キャンティ物語』80歳前後の著名人が、川端康成や三島由紀夫の前で若造だった時代のお話。



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