皆様に割り箸の種類をご紹介しようと思い立ってからというもの、外でお食事をする時には、
お料理よりも目当ての割り箸を探し求めながら、お店を決める秘書にゃんこです。
とはいえショーウィンドウを見ても、お料理のサンプルにお箸が添えてあるとは限らず、
それはメニューを見ても同様で、実際に提供されて初めて分かるケースがほとんどです。
そんな中、「元禄箸」 を使っているお店がありましたので、ご覧いただきましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/80/7c53060318467cc77f96ed49d61b6d59.jpg)
こちらが 「元禄箸」 です。
といっても、これではよく見えませんよね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0162.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/50/5c86ac5ab0740d47923f3179c5dd7ec4.jpg)
拡大してみましたが、今度はいかがでしょう?
切り口が八角形で、お箸全体に溝があるのがお分かりいただけますでしょうか?
さて、元禄箸の名前の由来となった元禄時代は、17世紀後半から18世紀初頭の十数年間。
「生類憐れみの令」 を発布した 第5代将軍 徳川綱吉の時代。
松尾芭蕉が奥の細道の旅に出たのも、赤穂浪士の討ち入りがあったのも元禄年間です。
90年以上も流通していた 「慶長小判」 の摩耗や破損を機に、新しい小判に切り替え。
ところが幕府の財政窮乏により金の含有量を減らしたため、重さこそ変わらないものの、
品位も品質も低下してしまったこの小判は 「元禄小判」 と呼ばれるようになりました。
「元禄箸」 は元禄時代からあったわけではなく、明治の半ばに出来たものですが、
角を削り、さらに全体に溝をつけることで、材料である木が少なくなることから、
金の含有量を減らした 「元禄小判」 になぞらえて 「元禄箸」 と呼ばれるようになりました。
でも、角を削ったことで滑らかになり、溝をつけたことで割りやすくなったのですから、
小判と違ってこの工夫は人々に喜ばれ、今に続いているのですね。
ちなみに、「小判箸」 という割り箸もあります。
こちらも切り口が小判の形をしていますが、溝は下半分にしかついていないため、
下から割った際に、上の部分がキレイに割れないことが多々あります。
元禄箸が出来る十年ほど前から使われていたもので、割り箸としては最も古いそうです。
さて、お次はどんな割り箸をお目に掛けられるか、秘書にゃんことのお箸の旅は続きます。
お読みくださいまして、ありがとうございます。
クリックしていただけますと励みになります![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0237.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0237.gif)
![](https://qualification.blogmura.com/secretary_shiken/img/secretary_shiken125_41_z_shobu.gif)
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とはいえショーウィンドウを見ても、お料理のサンプルにお箸が添えてあるとは限らず、
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拡大してみましたが、今度はいかがでしょう?
切り口が八角形で、お箸全体に溝があるのがお分かりいただけますでしょうか?
さて、元禄箸の名前の由来となった元禄時代は、17世紀後半から18世紀初頭の十数年間。
「生類憐れみの令」 を発布した 第5代将軍 徳川綱吉の時代。
松尾芭蕉が奥の細道の旅に出たのも、赤穂浪士の討ち入りがあったのも元禄年間です。
90年以上も流通していた 「慶長小判」 の摩耗や破損を機に、新しい小判に切り替え。
ところが幕府の財政窮乏により金の含有量を減らしたため、重さこそ変わらないものの、
品位も品質も低下してしまったこの小判は 「元禄小判」 と呼ばれるようになりました。
「元禄箸」 は元禄時代からあったわけではなく、明治の半ばに出来たものですが、
角を削り、さらに全体に溝をつけることで、材料である木が少なくなることから、
金の含有量を減らした 「元禄小判」 になぞらえて 「元禄箸」 と呼ばれるようになりました。
でも、角を削ったことで滑らかになり、溝をつけたことで割りやすくなったのですから、
小判と違ってこの工夫は人々に喜ばれ、今に続いているのですね。
ちなみに、「小判箸」 という割り箸もあります。
こちらも切り口が小判の形をしていますが、溝は下半分にしかついていないため、
下から割った際に、上の部分がキレイに割れないことが多々あります。
元禄箸が出来る十年ほど前から使われていたもので、割り箸としては最も古いそうです。
さて、お次はどんな割り箸をお目に掛けられるか、秘書にゃんことのお箸の旅は続きます。
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