秘書にゃんこ*子規庵

2019-12-28 | 建築が好き
 観光客でにぎわう谷根千(やねせん)には何回か訪れたことがあります。

「谷根千」とは、文京区~台東区にある「谷中」「根津」「千駄木」の総称。

かつて漱石や鴎外が暮らしていたこの界隈は「文豪の町」と呼ばれています。


 今回は、谷根千とは線路を隔てた反対側の「根岸」に「子規庵」を訪ねました。


     
     まずは日暮里(にっぽり)名物「羽二重団子」に立ち寄りました。
     子規の句には何度も、そして漱石の「吾輩は猫である」にも登場する老舗です。
     こちらは「漱石セット」 
     最中がにゃんこの形で、テーブルにはお団子の穴


     
     根岸「子規庵」
     関東大震災(大正2年)後に解体、空襲(昭和20年)で焼失、昭和25年再建。
     

 35歳の若さで生涯を閉じるまで母や妹と約8年間暮らした家は、

病の床で句を詠む子規にとって、病室 兼 句会の場であったと言えるでしょう。

その住まいに足を運び交流を重ねた夏目漱石との友情は生涯に亘って続き、

「漱石」という雅号は、子規が使っていた数多いペンネームのひとつでした。

若い漱石が足取りも軽く、千駄木の自宅から根岸の正岡邸まで通う姿を想像します。


     
     長く病に伏していた子規ですが、食欲は旺盛だったようで、
     子規庵には献立や、「うなぎ7串」と記された帳面が展示されています。


     
     「子規 終焉の間」
     病床にある子規にとっては、ここから見える景色がすべて。
     妹 律は兄が季節感を味わえるようにと庭の手入れをしていたのでしょう。


     
     歩行はもちろん座ることも難しくなった子規のために、
     片膝を立てられるよう手前の部分をくり抜いた文机。


     
     子規の庭には病にも効く糸瓜(へちま)を多く見かけます。
     いずれも糸瓜を詠んだ絶筆三句から、命日を「糸瓜忌」と言います。

 
 皆様、今年も拙い記事をお読みくださいまして、ありがとうございました。

どうぞお元気で佳きお年をお迎えになりますよう、お祈り申し上げます。

来る2020年も、秘書にゃんこ共々どうぞよろしくお願いいたします。

 にほんブログ村 資格ブログ 秘書検定へ 
コメント (2)