昭和から平成にかけて住んでいた町を久しぶりに訪ねました。
当時は商店街などを歩く日々の暮らしの中に溶け込んでいた風景が、
実は歴史的な名所だったのだと、再認識する休日となりました。

『泉岳寺』 寛永18年(1641年) 江戸城の近くより高輪に移転
赤穂藩主浅野家の菩提寺であったことから、赤穂義士の墓所となりました。

『水琴窟』
柄杓で水を掬って瓶(かめ)に注ぐと、何とも神秘的な音がします。

『赤穂義士墓地』 元禄16年(1703年)
討ち入りを熱望していたものの周囲の反対に遭い、
討ち入り前に自決した1名を含めて、墓碑は四十八あります。

『松島屋』 大正7年(1918年)
豆大福が有名で、ご覧のように朝から客足が絶えません。
お店の中に、懐かしい氷の冷蔵庫を発見

『高輪皇族邸』 昭和47年(1972年) 旧 高松宮邸
昭和天皇の皇太子時代には「東宮御所」であり、
令和の幕開けと共に、上皇上皇后両陛下の仮のお住まいとなります。
松島屋さんとは道路を隔ててお隣同士。
甘い物がお好きだった昭和天皇もご所望されたとか。

『高輪消防署 二本榎木出張所』 昭和8年(1933年)
近代建築の遺産として保存建築物に指定
かつては火の見櫓から東京市が一望できたそうです。

日本基督教団 高輪教會 昭和7年(1932年)
フランク・ロイド・ライトの門下であった教会員 岡見健彦が設計。
アメリカのライトのアトリエで学び、帰国直後の作品であるため、
ライトの影響を強く受けた作品と言われています。

グランドプリンスホテル高輪『貴賓館』 明治44年(1911年) 旧 竹田宮邸

橋を渡れば、奈良県より移築した観音堂
中に安置されている像は室町時代の作。
高輪と新高輪プリンスホテルの間にあり、宿泊客に限らず散策が出来、
季節の花々を愛でながら、都心に居ることをしばし忘れさせる時間と空間。

帰宅して松島屋さんの豆大福を味わいながら寛ぐ秘書にゃんこ
御朱印帳も2冊目になりました。
平成も残すところ僅かとなりました。
来る令和が皆様にとって良き時代となりますよう祈念いたします。
Juliet & 秘書にゃんこ
お読みくださいまして、ありがとうございます


当時は商店街などを歩く日々の暮らしの中に溶け込んでいた風景が、
実は歴史的な名所だったのだと、再認識する休日となりました。

『泉岳寺』 寛永18年(1641年) 江戸城の近くより高輪に移転
赤穂藩主浅野家の菩提寺であったことから、赤穂義士の墓所となりました。

『水琴窟』
柄杓で水を掬って瓶(かめ)に注ぐと、何とも神秘的な音がします。

『赤穂義士墓地』 元禄16年(1703年)
討ち入りを熱望していたものの周囲の反対に遭い、
討ち入り前に自決した1名を含めて、墓碑は四十八あります。

『松島屋』 大正7年(1918年)
豆大福が有名で、ご覧のように朝から客足が絶えません。
お店の中に、懐かしい氷の冷蔵庫を発見


『高輪皇族邸』 昭和47年(1972年) 旧 高松宮邸
昭和天皇の皇太子時代には「東宮御所」であり、
令和の幕開けと共に、上皇上皇后両陛下の仮のお住まいとなります。
松島屋さんとは道路を隔ててお隣同士。
甘い物がお好きだった昭和天皇もご所望されたとか。

『高輪消防署 二本榎木出張所』 昭和8年(1933年)
近代建築の遺産として保存建築物に指定
かつては火の見櫓から東京市が一望できたそうです。

日本基督教団 高輪教會 昭和7年(1932年)
フランク・ロイド・ライトの門下であった教会員 岡見健彦が設計。
アメリカのライトのアトリエで学び、帰国直後の作品であるため、
ライトの影響を強く受けた作品と言われています。

グランドプリンスホテル高輪『貴賓館』 明治44年(1911年) 旧 竹田宮邸

橋を渡れば、奈良県より移築した観音堂
中に安置されている像は室町時代の作。
高輪と新高輪プリンスホテルの間にあり、宿泊客に限らず散策が出来、
季節の花々を愛でながら、都心に居ることをしばし忘れさせる時間と空間。

帰宅して松島屋さんの豆大福を味わいながら寛ぐ秘書にゃんこ

御朱印帳も2冊目になりました。
平成も残すところ僅かとなりました。
来る令和が皆様にとって良き時代となりますよう祈念いたします。
Juliet & 秘書にゃんこ
お読みくださいまして、ありがとうございます


