前回お伝えした『日本で活躍した外国人建築家』では著名な6人の建築家が取り上げられましたが、
演者である小川氏は、「おまけ」と言って7人目をご紹介くださいました。
J・H ・モーガン。
聞き覚えのある名前だと思いましたら、横浜の山手西洋館でお馴染みの建築家でした。
折しも「元町チャーミングセール」の最終日とあり、足取りも軽くいそいそと
元町ショッピングストリートがにぎわうチャーミングセールの歴史は古く、昭和36年から数えて今年で62周年。
神戸のニュートラに対して、1980年頃に流行したハマトラ(横浜トラディショナル)の時代、
私は横浜に住んでいましたので、年2回開催されるチャーミングセールは、ほぼ皆勤賞
今年のポスターはグレース・ケリー(バッグの Kitamura にて)
大変な人出の中、店頭でコーヒーやワインの試飲が振舞われる光景を久しぶりに目にしました
さて、喧騒を逃れて山手へ。
J・H・モーガンの作品を4つご紹介します。
外国人墓地の正門(大正時代の作品)
山手111番館(昭和元年)
スパニッシュスタイルでまとめられていて、3連アーチの上部は屋根のない藤棚。
「港の見える丘公園」の施設として公開されています
ベーリック・ホール(昭和5年 横浜市認定歴史的建造物)
山手111番館と同じく玄関の3連アーチがスパニッシュスタイル
シュロやヤシなどの木々が印象的
47畳のリビングルームには石張りの暖炉
獅子頭のある壁泉とアーチの窓がスパニッシュスタイルらしい建築
主人の寝室を書斎として復元
横浜山手聖公会聖堂(昭和6年 横浜市認定歴史的建造物)
多くの外国人建築家がそうであったように、モーガンも仕事を終えたら帰国する予定でしたが、
携わった「丸の内ビルディング」が竣工した年、関東大震災に遭遇。
それまでの建築概念が覆るほどの衝撃を受け、68歳で他界するまで日本に滞在したそうです。
講演では、ご町内の皆さんとお祭りの法被を着て太鼓を叩くモーガンの写真が披露されました。
お読みくださいまして、ありがとうございます。
ベーリックホールの意匠も見事な階段 に、
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演者である小川氏は、「おまけ」と言って7人目をご紹介くださいました。
J・H ・モーガン。
聞き覚えのある名前だと思いましたら、横浜の山手西洋館でお馴染みの建築家でした。
折しも「元町チャーミングセール」の最終日とあり、足取りも軽くいそいそと
元町ショッピングストリートがにぎわうチャーミングセールの歴史は古く、昭和36年から数えて今年で62周年。
神戸のニュートラに対して、1980年頃に流行したハマトラ(横浜トラディショナル)の時代、
私は横浜に住んでいましたので、年2回開催されるチャーミングセールは、ほぼ皆勤賞
今年のポスターはグレース・ケリー(バッグの Kitamura にて)
大変な人出の中、店頭でコーヒーやワインの試飲が振舞われる光景を久しぶりに目にしました
さて、喧騒を逃れて山手へ。
J・H・モーガンの作品を4つご紹介します。
外国人墓地の正門(大正時代の作品)
山手111番館(昭和元年)
スパニッシュスタイルでまとめられていて、3連アーチの上部は屋根のない藤棚。
「港の見える丘公園」の施設として公開されています
ベーリック・ホール(昭和5年 横浜市認定歴史的建造物)
山手111番館と同じく玄関の3連アーチがスパニッシュスタイル
シュロやヤシなどの木々が印象的
47畳のリビングルームには石張りの暖炉
獅子頭のある壁泉とアーチの窓がスパニッシュスタイルらしい建築
主人の寝室を書斎として復元
横浜山手聖公会聖堂(昭和6年 横浜市認定歴史的建造物)
多くの外国人建築家がそうであったように、モーガンも仕事を終えたら帰国する予定でしたが、
携わった「丸の内ビルディング」が竣工した年、関東大震災に遭遇。
それまでの建築概念が覆るほどの衝撃を受け、68歳で他界するまで日本に滞在したそうです。
講演では、ご町内の皆さんとお祭りの法被を着て太鼓を叩くモーガンの写真が披露されました。
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