マサルは玄関のガラス戸を明け、奥にある階段を上った。廊下も階段も、学校サイズと言えるほど広かった。二階の西側の部屋がマサルの部屋だった。マサルは部屋の前で溜息をついた。マサルの父親Sが所有するマンションだった。
マサルは幼いころから、小児喘息を病んでいた。大きくなれば改善するという医師のことばとは裏腹に、高校になっても激しい発作に襲われることが多かった。ものすごい息苦しさの中でチアノーゼが現れ、救急病院に駆け込むこともあった。Sは一人息子のマサルにあまり期待しなくなった。政治家として生きていくには体力が最も重要な要素であると考えていたSはマサルを後継者として考えなくなっていた。大学に入るころになるとステロイド系の噴霧器方の薬を持ち歩くようになり、発作の恐怖自体からマサル本人は解放された。しかし、Sは既にマサルを放任していた。マサルは自分の場所が解らなくなっていた。
病弱なマサルに父親は甘かった。マサルの母親も甘かった。と、いうよりも、母親も身体が丈夫なほうではなかった。G党の幹部の娘だった母親はT大を卒業し、当時の大蔵省に勤務していた。三十代半ばで初当選したSを自分の派閥に入れるためにマサルの祖父は、就職してわずか一年の娘とSを結婚させた。そして、マサルが生まれた。マサルが病弱なことが解ると夫婦関係は表面上のものだけになった。母親はよい母、よい妻を演じていたが、家事はほとんど家政婦がしていた。マサルは母の手料理という記憶はなかった。欲しいものは何でも手に入った。
マサルのリビングには音楽スタジオ並みの機材がそろっていた。
マサルは幼いころから、小児喘息を病んでいた。大きくなれば改善するという医師のことばとは裏腹に、高校になっても激しい発作に襲われることが多かった。ものすごい息苦しさの中でチアノーゼが現れ、救急病院に駆け込むこともあった。Sは一人息子のマサルにあまり期待しなくなった。政治家として生きていくには体力が最も重要な要素であると考えていたSはマサルを後継者として考えなくなっていた。大学に入るころになるとステロイド系の噴霧器方の薬を持ち歩くようになり、発作の恐怖自体からマサル本人は解放された。しかし、Sは既にマサルを放任していた。マサルは自分の場所が解らなくなっていた。
病弱なマサルに父親は甘かった。マサルの母親も甘かった。と、いうよりも、母親も身体が丈夫なほうではなかった。G党の幹部の娘だった母親はT大を卒業し、当時の大蔵省に勤務していた。三十代半ばで初当選したSを自分の派閥に入れるためにマサルの祖父は、就職してわずか一年の娘とSを結婚させた。そして、マサルが生まれた。マサルが病弱なことが解ると夫婦関係は表面上のものだけになった。母親はよい母、よい妻を演じていたが、家事はほとんど家政婦がしていた。マサルは母の手料理という記憶はなかった。欲しいものは何でも手に入った。
マサルのリビングには音楽スタジオ並みの機材がそろっていた。