象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

1976年のアリと猪木(前半)〜アリは最後までプロレスの味方だった

2019年07月13日 03時07分07秒 | ボクシング

 「アリ対猪木 ジョッシュ•グロス著」(棚橋志行訳)は、アメリカの視点から見た”アリ対猪木”というより、「1976年のモハマド•アリ〜アリだけが戦っていた」とも言うべき作品だ。
 ビブ•ブライソン的に言えば、”1976年の東京の夏、アリは仕方なく戦い、猪木は寝転んだ”という事になろうか。

 この試合が行われる1年前のアリvsフレイジャー戦をYouTubeで見た。やはりボクシングは究極の”セメント”だと思った。いやセメントの次元を超えていた。それに比べれば、ボクシングvsプロレスは、ショーにすらならないと思った。事実その通りになった。
 敗戦国日本で行うこのチンケな異種格闘技は、アリにとってお遊びだった。しかし、猪木にとっては自らのプロレス人生を掛けた全てであった。

 アリにとっては、楽に大金を稼げる”ワーク”の筈だった。しかし試合が進むにつれ、ワークからリアルファイトに、そしてセメントに変貌してしまった。
 勿論、アリのパンチが一発でも当たれば、猪木は終わってたし、猪木がアリを捕まえれば、アリは腕をへし折られてた。これは試合前から解りきってた事だ。 


仕組まれた筈のフェイク?

 立ち技禁止の変速ルールは、アリサイドではなく、猪木側の策術だとされてる。敢えて不利なルールを受け、ガチのセメントに持ち込む作戦でもあった。アリの左足を破壊するプランは、こうして計画された。
 それはアリがプロレスを理解し、異種格闘技を理解してたのを、猪木サイドが知ってたからだろう。
 事実、アリは悪役レスラーをボクシングのリング上でも上手く演じてみせた。どうやったら観衆の憎しみを煽り、興味を引き、最後には、愛され尊敬される存在になり得るのか?
 往年のブッチャーみたいに、愛され尊敬され、それ以上に憎まれる、偉大なボクサーを演じてみせた。

 ボクシングという”リアルファイト”では、肉体的にも興行的にも限界がある。フレイジャーやフォアマンとの死闘に疲れ果てていたアリは、もっと楽に稼げる方法を常に模索していたのだ。
 事実、36歳になるアリはボクサーとしては既に峠を越しつつあった。数百万ドルを稼ぎ出す様なリアルファイトは、肉体的にも無理な要求になりつつあった。でも何とか楽をして大金を稼ぎたい。一度頂点と大金を手にした者の愚かで正直な強欲でもあった。 


”アリ対猪木”誕生の瞬間

 そこでアリは、ルスカと異種格闘技をした無名の猪木にターゲットを絞った。確実に勝てる全世界が注目する”格闘技世界一決定戦”だ。その格好の相手が、敗戦国日本の猪木だった。
 NYの鉄板焼きレストランで、アリは日本レスリング協会会長の八田一朗に声を掛け、”100万ドル(3億円)用意するから、俺と闘う日本人レスラーはいないか?”と問いかけた。これを聞いた猪木は、”1000万ドル(30億円)出すから、俺と素手で闘え”と対抗した。
 アリは、これに化学反応を引き起こした。”俺はプロレスというファンタジーの世界へ足を踏み入れる。そして史上最大の観客を動員してみせる”
 ”アリ対猪木”誕生の瞬間だった。

 しかし何故、アリは猪木との異種格闘技に踏み切ったのか?
 ”ワーク”ではなく”リアルファイト”になると知りつつもだ。そうでなくとも茶番になる可能性も高かった筈だ。 


アリは実はプロレスの味方だった?

 実は、アリはプロレスのファンだったのだ。アリは、プロレスが結末の決まったショーである事を理解していた。
 ボクシングというリアリズムの世界に疲れ果てたアリが、プロレスという亜種な世界に平気で足を踏み入れる。これこそが、”アリ•ザ•グレーテスト”である所以なのだ。

 アリは、プロレスから既に多くの事を学んでいた。ボクシングはプロレスとは異なり、リアルファイトである。無口で無骨な男同士が殴り合った所で、誰も関心は持たない。
 そこでアリは、ボクシングのリング上で悪役レスラーを演じたのだ。ショーとリアルの融合を演じてみせた。”殴り合い”の中にファンタジーを組み込む事で、ボクシングを一夜にして大金を稼げる”ワーク”に仕立て上げようとした。

 アリはカシアス•クレイ時代から、結果には拘らなかった。勝とうが負けようが、観客を魅了し、大金が稼げればそれでよかった。負けたとしても、”アイツは偉大だ”と思わせればそれでよかった。
 事実1964年に、当時のヘビー級王者ソニーリストンに初挑戦した時は、”アンタに負けたら、俺はこの国を出ていく。でも、俺がいなけりゃこの試合は売れっこない。勝とうが負けようが、俺は最高なんだ。何処へ行っても満員の観客を引き寄せる事が出来る”と記者に語ったのは、有名な話だ。

 アリの”ビッグマウス”は、プロレスラーの影響を強く受けてたのは明らかだ。つまりモハマド•アリは、生まれながらの”天才悪役レスラー”だったのだ。 


難航したギャラの交渉

 しかし、相手が全くの無名の、何処の馬の骨かわからない”INOKI”だと話は違った。
 勿論アリにとっては、確実に勝てる安全牌の”ワークアウト”の筈だった。故に、最悪セメントになったとしても、負ける訳にはいかなかったのだ。

 NYでの正式な記者会見では、アリは猪木を”ペリカン野郎”と罵った。猪木はアリの事を”この虫けらが”と言い放った。
 これには流石のアリも我を忘れ、激高した。ビッグマウスなアリも、猪木のビッグな”アゴ”には、一歩譲った形となった。
 肝心のギャラの交渉では、アリ側の1000万ドルと猪木側の600万ドルで決裂しそうになったが。試合前に180万ドル、試合後に120万ドル、クローズドサーキット収入の310万ドルの合計610万ドルで決着した。

 口惜しい猪木はアリをからかった。”賞金を総取りにしようぜ”と。アリの手が震えた。”賞金にはお前の妻も入ってるのか”
 猪木は、”バカな質問はよせ!その代わり特注のギブスを用意した”と切り返す。
 因みに、肝心の興行が失敗に終わった為、実際に猪木側がアリ側に支払った金額は、180万ドルに留まった。

 しかし、後から振り返ってみると、”口撃”でアリを打ち負かした猪木が、ギャラの交渉でも優位に進めていたのが解る。
 ”スタイルはファイトを制す”と言うが、”トークがファイトを制し”た瞬間でもあった。事実、この時点では猪木にとってアリとの試合は勝てた筈の試合だった。 


アリ陣営の誤算

 肝心のルールだが。当初アリは、猪木が本気で掛かってくるとは思いもしなかった。俺に睨まれたら、猪木はビビるだろうと見下してたのだ。事実、猪木は目の前で鋭いジャブを放たれても、全くビビらなかった。
 一方、猪木の公開スパーを見た瞬間、アリの背筋は凍りついた。”奴は俺を本気で殺そうと思ってる、奴は俺にセメントで勝負を挑むつもりだ。この試合は真剣勝負になる”

 その時、アリのプランは全て狂った。スパー程度のエキシビジョンで大金(610万ドル)が稼げると見込んでたのだ。相手は”INOKI”ではなく、正真正銘の”アントニオ猪木”だったのだ。
 TVで見るプロレスと、実際に見るプロレスでは大きな違いがある。レスラーの”凄さ”はそこにある。彼らの練習量は想像を絶する。
 事実、私の知人にレスラーがいたが、彼の話を聞いただけで、背筋が凍りついた経験がある。

 アリは引くに引けなくなった。アリ陣営は猪木サイドの弱みに付け込んで、”雁字搦めのルールを受け入れられないのなら、この試合はナシだ”と、逆に詰め寄った。
 殆どのプロレス技が禁止になるという極端なルールは、アリ陣営が普通のプロレス対ボクシングの試合なら、勝つ事が難しいと悟った為である。 


揉めに揉めたルール

 アリ側から求められたルールは、”空手チョップもドロップキックもなし、グラウンドの相手に打撃を与えない”というものだった。勿論、猪木サイドはこれに従った。
 しかし、猪木は言い放った。”要求にも限度がある!これじゃ手足を縛られたまま闘う様なものだ”

 猪木の怒りが通じたのか、実際はそれ程極端ではなかった。禁止事項は、頭突き•ヒジ打ち•膝蹴り•頸椎や喉への打撃•蹴り(膝をついたり、しゃがんでいる状態の時の足払いは許される)というものだった。
 因みに、喉と喉仏を除いた部位への掌や掌底部での攻撃は認められた。相手を倒す為に脚を掴んで投げたり、引っ張るのも許された。
 紙面上(契約)のルールと実際のリング上でのルールは、当然異なる。
 ボクシングもプロレスも殺人は勿論、認められてはいないが、死ぬ事は度々ある。殴り殺したり、絞め殺したからとて、犯罪に問われる事はない。

 猪木もアリも、それは最初から解ってた事だ。故に、表向きは雁字搦めのルールが、猪木に不利に働いたとは思えない。例外が多々あった分、有利に働いたと言えなくもない。

 長くなったので、前半はここにて終了です。明日は後半へ進みます。



4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
異種格闘技戦の元祖2 (kouunh)
2019-07-13 04:34:38
学生時代にこの世紀の一戦を昼過ぎ頃、学食のテレビで観た記憶が蘇る。「ナンだよ~、こんなのアリ~」かなんて、ガックリさせられたね。八百長とガチンコ勝負の狭間の、「八百ガチコ」だった。猪木の師匠だった力道山が、柔道家木村とPART1を遣ってたから、面白さは半減してた。リッキーの方が、最後、マジ切れして、ガチコに切り変わっちゃったけどね。でも、それで相当シラケた不愉快さが残ってシマッタぞなモシ。塩梅と云うか加減がムツカシイね。
返信する
kouunhさんへ (lemonwater2017)
2019-07-13 09:30:33
お早うございます。

記事とは関係ないですが。村田は良かったですね。最初からどんどん距離を詰めていった。それだけブラントが弱かったかもですが。やはり攻めの気持ちがないと男はダメですね。

安倍にはその攻めの気持ちが全くないんです。金と謝罪で全てを解決しようとする。だから舐められるし、距離を詰めきれない。逃げ腰外交では誰も相手にしないし、されない。

昨日のボクシングを見て、安倍がダメなのがはっきりしました。それに村田は試合を重ねる度に成長してますね。ホントに良かった。

猪木vsアリに関しては、試合そのものよりも舞台裏の様々な駆け引きがずっと面白いですね。でも印象を言えば、猪木は逃げたかな。攻めの気持ちが少なかった様に思う。

アリとの舌戦で疲れたんかな。
返信する
Unknown (paulkuroneko)
2019-07-14 21:29:30
アリ対アリ。
そういう試合だったと思います。
異種格闘技とか格闘技世界一決定戦とかいう視点で見ると、どっちが勝ったか?どっちが強いか?っていう色合いが強くなるんでしょうが。
この試合は、アリのアリによるアリの為の闘いだったような気がします。そういう視点で見た本ですか。でも結局、猪木はアメリカでは全くの無名です。これが哀しい現実です。
返信する
paulさんへ (lemonwater2017)
2019-07-15 04:20:29
そういう見方があったんですね。

確かに、世界を見渡せば猪木より有名で強い格闘家って沢山いますものね。そんな中で日本の猪木に喧嘩を売ったのは、セメントになったとしても負ける事はないと踏んでたのだろうか。

そういう意味では、”アリ猪木”はアリサイドの自作自演だったかもです。
カッとなった力道山は、木村を空手チョップで破壊するという暴挙を犯したが、お陰で二人の格闘家の人生は終わった様に思う。
でもアリは上手く振る舞う事で、自分も猪木も傷つける事なく、逆に猪木は少しは有名になった。

そういう意味においても、アリは偉大なんですね。

返信する

コメントを投稿