象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

『ファウンダー』マクドナルドの創業者レイ•クロックに見る20世紀のビジネスモデル。その7〜マクドナルドを救った”12使徒”とソナボーンを支えた影武者と〜

2018年05月28日 17時45分04秒 | マクドナルド

 コールガールブログのバックナンバーを読んで下さった方、更に『水車小屋攻撃』のネタバレブログを読んで下さった方、ホントに有難うです。

 
 前回は、マクドナルド兄弟が叩き付けた270万ドルの要求に応じ、マクドナルドの全ての権利を奪い取った所まででしたね。

 この270万ドルの資金繰りに、大きな壁が立ちはだかる。かつて、1500万ドルを融資してくれた3つの保険会社に行くも当然ダメ。だが、ここにても救世主ハリー・ソナボーンの登場である。

 ただ、レイ•クロックはこの時の心境を”あの時は眠れない日が続いた。正直自殺も考えた”と。これは彼の自伝では語られてない。

 
 ソナボーンはNYで何とか金づるを見つけた。名前はジョン•ブリストル。大学やチャリティ施設でファイナンスアドバイザーをしてる男だ。彼はアメリカの資本主義に新しい道を作った。ソナボーンも彼の”複雑な融資デザイン”を喜んだ。

 ブリストルが依頼する、12社からなるプリストルグループから、何とか270万ドルの融資を受ける事に成功した。内訳は、まず全マクドナルド店の総売上の0.5%を15年の3期に分けて支払う。
 第1期の最初の5年は0.4%を支払い、第2期にては0.5%を。第3期は0.6%を支払う。0.1%ずつ上げるのも憎いですな。

 元金と総売上の0.5%の差額のローンにては、270万ドルの6%の利子で計算。当然、返済が長くなる程に、貸し方が大幅に儲かる仕組みだ。
 計画では1991年で完済だったが、マクドナルドは元金の270万ドルを僅か6年以内で支払い、残りの利子(ローン)は1972年に払い終えた。実質10年で返済し終えた事になる。
   

 一時は融資がキャンセルされた事もあった。銀行家からクレームが付いたのだ。”外食産業は他業種に比べ倒産率が高いですから”と。しかし、ソナボーンが必死に説得し、何とか事なきを得た。
 ”うちは元々不動産業なんです。ただ、15セントのハンバーガーを売った方が地代や家賃を稼ぐに最も手っ取り早いんですよ”と。

 この時ソナボーンは、ハンバーガーについては殆ど触れず、不動産の説明に小一時間の熱弁を振るった。ハンバーガーに心底打ち込んでるクロックからすれば全くの邪道であろうが、金融マンを説得するには、ソナボーンの論法しかなかった。

 流石のソナボーンも疲労困憊で、”あの時は血の気が引いた。恐怖がハッキリと自分の顔に写った”と回想する。


 ブリストルは、270万ドルの元金以外に、総額700万ドルから900万ドルが投資者に転がると計算した。彼は融資を強力に勧め、12の依頼主全員から承諾を取り付けた。お陰で、マクドナルドの経営陣は狂喜乱舞し、ブリストルの依頼人を”マクドナルドを支えた12使徒”と呼んだ。

 この”12使徒”からの返済条件も、ソナボーンや彼の影武者であるリチャード•ボイラン(地震博士のボイラン氏とは別人)の知略のお陰で比較的楽なものになった。ボイランはこの多額の融資の返済に、一寸した工夫を加え、毎月マクドナルド兄弟に払ってた総売上の0.5%よりも、20%少ない0.4%の返済で済ませ、マクドナルド兄弟の全てをもぎ取ったのだ。

 これはまさに、マクドナルドにとって、運命の瞬間だったのだ。


 ここで、リチャード・J•ボイランとはどんな人?

 ソナボーンが不動産買収の資金を探しを始めた1958年初め、マクドの純利益は僅かに2万4千ドル。店も38しかなく、その殆どが不動産管理が出来ない遠方にあった。彼はその年内に50店舗を増設し、350万ドル相当の不動産を目標にした。誰もがそんな芸当は不可能だと思った。


 しかし、1960年代終わりには、228店舗に膨れ上がり、うち75%の不動産を支配した。これら不動産の価値は総額1600万ドルに達した。
 この偉業は、ソナボーン率いる不動産チームの傲岸不遜の戦略や、クロックのバカ正直な情熱だけで成り上がったのではない。ソナボーンが不動産に手を拡げ始めた時、まず取引の相手になったのは百戦錬磨の投資家や金融業者だったのだ。

 彼らはマクドナルドの財務状態が健全であるかに注目したが。1958年当時のマクドナルドの懐ろ具合はとても酷く、他人に見せられるようなものではなかった。投資家や銀行に見せても恥ずかしくない様な財務シートでなければ、ソナボーンの不動産取得戦略なんて、夢のまた夢なのだ。 


 そこでソナボーンは、単純な解決策を思いつく。財務シートが見栄えする様に”計上の仕方”を考えたのだ。そこで、ソナボーンは”舞台裏の名人”を雇った。8年の国税局任務のキャリアを持つ会計士のリチャード•ボイランだ。

 彼は法律に触れない範囲で財務赤字を改善する技術を持っていた。ソナボーンもマクドナルドの経理の外面を良く見せようと必死だったのだ。

 ボイランは数週間の内に、国税局の査定方法を応用する事で会社の公称資産を飛躍的に増やすのに成功する。フランチャイジーから入る将来の賃貸料には、資産として公表できる”現在の価値”があるとみなした。その価値は当時、マクドナルドが店舗から徴収する賃貸料の10倍。彼は一瞬の内にこの膨大な”資産”を財務シートに加えた。


 ”番外編”でも述べた様に、マクドナルドが地主から賃貸した不動産は、フランチャイジーに又貸しする時は値上げされ、新たな店舗を開く度に、将来の所得が増える仕組みとなった。

 つまり、ボイランはフランチャイジーへの賃貸物件を資本化し、将来の所得になる分を資産として計上したのだ。

 1960年、お陰でマクドナルドのバランスシートは、総資産1240万ドルに達し、前年比約4倍に。その殆どが、”資産価値の評価換えによる未実現の増価”と揶揄された、僅かに一行の注釈のせいだが。資本化された賃貸物件は580万ドルに達した。


 1964頃には、賃貸物件の資本家は更に進み、マクドナルドの財務シートは大手貸付機関向けに、更に”装飾”された。

 こうやって、マクドナルドは急成長し、フランチャイジーの多くが順調に営業を続けるのとは裏腹に、本社の収益は情けないほど低かったのだ。フランチャイズ拡大に伴うコストが、新店舗からの収入を常に上回った。
 

 1958年、マクドナルドが不動産業に首を突っ込むと、利益は殆どゼロにまで低下。この年の総売上は前年の2倍以上の1000万ドル。しかし、マクドナルドの純益は僅かに1万2千ドルで、前年の半分にも満たなかったのだ。

 ”これではカネは作れん、何とかせなアカン”ソナボーンは、ボイランにボヤいた。
 ボイランは、急上昇する不動産に目をつけた。削減は出来ないものの、損益計算書を目立たない様に、変える事は可能だと考えた。
 そこで、この不動産関係費を、用地開発に要する時間を見込んで、9ヶ月後に計上すべき数字だと理屈を付けた。

 つまり、不動産経費をずらす事で収支の釣り合いを取ったのだが。現実にはこの不動産支出は、新店舗が開店するまでは、全く利益を生み出さないのだが。

 同じ理屈で、店舗建設中の不動産ローン関係の利子費用を資本化し、フランチャイズ契約の20年の全期間に渡り、償却させる事にした。以上の2つの方法により、マクドナルドの積極的な拡大策に伴い、急増する支出の報告を遅らせた。
 ボイランのこの決算マジックは、損益計算書に魔法を掛け、以前には全くの白紙の所に、帳簿上の収益を作ったのだ。


 こうやって、1960年には純益10万9千ドルを計上。1958年の約10倍である。全てはボイランの革新的な”計上手腕”のお陰である。彼のやり方は必ずしも、会計原則に合わなかったが。狙いは金融業者であり、会計士にどう思われようが、ソナボーンは意に介さなかった。

 若い会社が壮大な計画を持てば、常に現金不足に陥るのは当然の事。初期のフードフランチャイザーには、この”負の現実”に目を背け、長期に渡って利益を生むに必要な投資を、怠る者が多かったのも事実。多くのフランチャイザーは、そうやって次々と消えていった。


 しかし、レイクロック自伝では、ボイランが雇ったゲリーニューマンという若い会計士が10万ドルを生み出したと暗に語ってる。

 この『我が豊穣の人材』と、レイクロック自伝の『成功はゴミ箱の中に』の質と内容があまりに異なるので、困惑してはいるが。どちらが信憑性が高いかといえば、火を見るより明らかであろう。

 この『マクドナルド〜我が豊穣の人材』については、あまりにも物語の濃度が密過ぎて、高度過ぎて、じっくりと腰を据えて読みたいですね。それに比べ、『成功はゴミ箱の中に』は幼稚な絵本というか。



2 コメント

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20世紀のビジネスデザイン (paulkuroneko)
2018-05-29 06:01:42
おはようございます。

これはもう、ビジネスモデルというより、華麗なるビジネスデザインですね。不動産ビジネスというより不動産モデル。そう考えると、マクドナルドの闇に光が差し込みそうです。

クロックもソナボーンもボイランもターナーも、典型の逸脱したデザイナーだったんですかね。アイデアがアイデアを産み、経営基盤を形作り、大きくした。

多種多様な多岐に渡る、知性と知力と知略の複雑な統合体こそが、マクドナルドの底知れない世界だったんでしょうか。

勿論そこには、クロックが嫌う学とか学歴とかは皆無なんですが。
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Re:20世紀のビジネスデザイン (lemonwater2017)
2018-05-29 14:55:21
こんにちわです。

 モデルというよりデザインだと。一杯食わされましたね。まるで、”絵を書く”様に、経営基盤を築いたんですかね。オイラーが”息を飲む”ように、数学をしたのと同様です。

 レイクロックは、ピアノ奏者でもあったから、”音を奏でる”様に、フランチャイズモデルをデザインしたんでしょうか。

 ピタゴラスではないんですが。音と絵と数を融合させたビジネスデザインだったのかも知れません。

 
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