若くして病死した”500年先を行く偉業を・・”で有名な天才数学者アーベルだが、大の酒好きだった。ノルウエーの国会議員だった父親も失政が原因でアル中に陥り、アーベルが18の時に亡くなった。
そもそもノルウエー人は老若男女皆が酔っ払うのだ。アーベルもその例外ではなく、パリ留学先の宿でも毎日ボトル2本の蒸留酒シュナップスを平らげてたとか・・・
昨今の日本でも、コロナ渦の後遺症により、晩酌をする輩も多くなったのではないだろうか。一方でコロナ渦が開け、都心部では”路上飲み”をする若者も増えたという。
気持ちは解らなくもない。
「甲類焼酎のお湯割り」でも書いたが、私も毎日の様に晩酌を楽しんでいる。若い頃みたいにお酒の量は多くはないが、一時はストロング酎ハイ(以下、スト酎)のロング缶をよく飲んでた方だ。1日1本強程のペースだが、これがなかなか辞められなかった。
何でもそうだが、やめるには覚悟とキッカケが必要なのだ。つまり、立派なアルコール依存症という事になる。
因みに、500ml缶のストロング系(アルコール度数9%)に含まれる純アルコール量は約36gで、これは何とテキーラのショットグラス約3.75杯分に相当する。
一方で、厚生労働省が定義する”生活習慣病リスクの飲酒量”(男性)の1日の純アルコール量が40gというから、僅か1本のロング缶スト酎で、即イエローカードという事になる。
確かに、テキーラをジュースの様にゴクゴク飲めば、一発でアウトかもしれない。
スロトング酎ハイの甘い罠
東洋経済のコラムニストで、コロナ渦の影響で、在宅ワークの巣籠り状態になった千駄木雄大氏だが、重度のアル中状態になり、コスパのいいスト酎ハイのロング缶10本を毎日の様に続けて飲んでた所、γGTが2410と平均値の60倍に跳ね上がり、ドクターストップが掛かった。
アルコール依存症専門の病院で治療薬と睡眠薬をもらったが、薬を飲み始めた翌日から全く酒への執着はなくなったという。それから、1年半が経過したが、薬を飲み始めてから一度もストロング系はおろか酒を一滴も飲んでいないという(「悪いのはお酒か自分の弱さか・・」(東洋経済)より)。
これは”ストロング系の危険”というより、アルコール依存が重篤化した危険性でもある。ただ、ストロング系酎ハイが”安くて手軽に”飲めるという利便性が、著者の慢性的な依存症に追い打ちを掛けた事になる。
勿論、お酒が薬に代わっただけで”依存症”そのものは克服できてないだけに、油断は禁物である。
過度の飲酒だけでなく、かねてストロング系の健康被害は専門家たちによって指摘されてきた。”危険ドラッグとして規制した方がよいのでは”との声もあった程だ。
ストロング系特有の危うさとして”アルコール度数が高い”というものもあるが、もっと危険なのは”ジュースの様にゴクゴク飲める”事にある。
上述した様に、厚労省が定義する1日のアルコール量の危険水域は男性で40g、女性で20gである。量の算出方法は”摂取量(ml)×度数/100×0.8(比重)”とある。
前述の千駄木だが、純アルコール量は約300g以上にまで跳ね上がってた結果、γGT値が2410(旧γGTP値で1157)ドクターストップが掛かった。その当時はまだ29歳だったが、医者からは”30代だったら肝硬変だったよ”と最後宣告されたという。
一方で、「今夜全てのバーで」(講談社)の中島らもさんが、アル中依存で入院したのが36歳の時だった。
”γGTPが1300だって!生きてるのが不思議なくらいだ・・・一体どれくらい飲んでたんだ”
”毎日1本くらいですね”
”それを何年くらい?”
”18からですから、17年くらいかな”
最後に
今年60になる私は、スト酎から日本酒を経由し、今は35度の乙類焼酎をストレートで約200ml飲むので、純アルコール量は56g。
つまり、危険水域を16gもオーバーしてる事になる。それも毎晩である。
そんな典型な慢性アル中だが、健診結果では、γGT値は24で基準値の半分以下である(因みに健康年齢は50歳)。
若い頃なら今の量の3倍は飲んでいた(多分)。それでも健診で引っ掛かった記憶はない。
ただ、スト酎は人工甘味料や香料のせいで後味が悪く、少しでも呑みすぎると極端に悪酔いするし、日本酒や乙類焼酎の方が合成物や不純物がなく、身体に優しい気もする。
勿論、乙類焼酎も呑み過ぎは禁物だが、度数が高い分、ストレートで飲むには不思議と制御が効く。
千駄木氏は、”国が酒税法でビール会社を締め付けた結果が、ストロング系を生み出した一因だと言い切るのはやや主観が過ぎるか・・・”と語る様に、全てを酎ハイのせいにするのは、明らかに無理がある様にも思える。
安くてどこでも飲めて、そして美味しいストロング系酎ハイだが、経験上病みつきになるのも十二分に頷ける。一方で、これほど中毒性の強いインスタントなアルコール飲料も他にはないだろう。
ただ、人間長く生きてると何かに縋りたくなるのは人情である。それを単なる”依存症”という言葉でで片付けるのも大人気ない気がする。
つまり、人は何かに”依存”して生き長らえている。故に、それを拒絶する事は誰もできない筈だ。
そう考えると、アルコール中毒もストロング系酎ハイ依存も、起こるべくして起きた日常に潜む危険な罠の1つなのかもしれない。
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