寄せられたコメントにある様に、”二つの世界大戦はチャーチルの余計なでしゃばりが生んだ”とあります。
特に、第二次大戦でのイギリスは中立を保ってればよく、ただ指を眺め、独露の争いを傍観してれば良かった。対独強硬とか反共などと、ドイツやソ連を極端に反目する必要は何処にもなかったんです。
ただ日本との違いは、スターリンはチャーチルの挑発に乗らなかった。戦わずして、守りに徹し、第二次大戦を上手く乗り切ったんです。
そういう意味では日本がチャーチルの挑発に乗った時点で、トルーマンのアホがチャーチルに踊らされたお陰で、原爆投下の悲劇は決まったと言えますね。
スターリンも笑ってましたね。トルーマンの”バカ顔”を見た時、コイツに何が出来るのかって。
戦わずにして勝つ?
学のない?筈のヒトラーも当初は、戦わずして勝つを展開してました。事実、オーストリアもチェコも北欧もパリも殆ど戦わずして、手に入れた様なもんです。
ヒトラーは英国とは戦いたくなかったし、戦う必要は全くなかったんです。事実、フランスとの国境には殆ど兵は置かなかった(まやかしの戦争)。だから何度もチャーチルに講和を申し出たんです。
しかし、チャーチルは”戦う”事を選択します。そういう意味ではヒトラーの方がチャーチルよりも頭がいいという事なんでしょうが。ダンケルクの失敗やバトル・オブ・ブリテンでの愚策を見ると、どっちもどっちかなという感じですね。
この”戦わずして勝つ”という戦法は、昔も今も健在です。数学でも全く同じ事が言えます。数学バカは難題に対し、最初から真正直に戦いを挑むんです。
何のイメージも洞察も直感をも用いる事なく、無謀にも思考のみで戦いを挑み、知の消耗を繰り返し、頓挫し、数学バカとしての生涯を終えるんです。そういう数学の教授を腐るほど知ってます(笑)。
つまり、解らないなら何処が解らないかを探るべきだし、難しいのならどれだけ難しいのかを計るべきです。それすらヤラず、無謀にも攻撃的になる。結局彼らは数学に痺れを切らし、数学をコケにする事で自らを慰める。
チャーチルが戦争に突入する事で、自らのコンプレックスや失態の連続を慰めたように。
そういう意味では数学的思考は戦争をも支配すると言えますね。
愚痴っぽくなりましたが、本題に入ります。前回”その5”では、めでたくチャーチルが首相に君臨し、ヒトラーに殴り込みを掛け、ボロボロにされる所まででした。
”ダンケルクの撤退”の真相
因みに、映画「ヒトラーから世界を救った男」(2017英)は、”ダンケルクの撤退”を美的に描いた作品だ。チャーチルが仏に派遣した40万の兵はダンケルクに閉じ込められるも、ドイツの追撃を許さず徹底抗戦し、本国に生き延びたとあるが。
実は、アラスの戦い(1940/5/21)で、英仏軍の本格的な反攻を警戒&誤認したドイツは、酷使した機甲部隊の温存を計る為、ダンケルクに閉じ込められた英仏軍を、空爆のみで壊滅させようとします。しかし、英空軍の活躍と砂浜が空爆の威力を減衰させた事もあり、英仏軍の殆どは海からの脱出に成功しました。
でもこの戦いで、英軍は約3万人の兵を捕虜として失い、戦車や火砲、重装備の大半を放棄した。数十万の兵がほぼ丸腰で帰還し、英軍は深刻な兵器不足となった。
故に、この”ダンケルクの撤退”で仏軍は意気消沈し、この11日後にはパリが陥落、仏はナチスに降伏する。
結局、この勇気ある撤退も英国内では”謎の奇跡”と称され、勝利を収めたかの様に喜びに湧きあがったが。流石のチャーチルも弱気が刺した。
”万が一英国本土が占領されたとしても、我々は戦いをやめない。海の彼方にも広がる我が帝国は、新世界から海軍を使って旧世界の救援と解放を目指す”と語り、新大国アメリカの支援の期待と大英帝国植民地に英政府を移す覚悟を示唆したと。
結局、アメリカあってのチャーチルだったんですな。
パリを陥落させたドイツは、その勢いで南フランスに進軍する。
一方、チャーチルはドイツが仏海軍の艦隊を全て接収するのではと警戒し、”英仏連邦”という身勝手を唱えるも、仏政府からは、”死体(英国)と結合するくらいならナチスの占領下に入った方がマシ”と揶揄される始末。
つまり、イギリスの陥落は時間の問題と見られてたのだ。
因みに、ヒトラー(51)とよく比較されるチャーチル(65)だが、”もう一人の出来の悪いヒトラー”と揶揄される程に、学はないが支配的という点ではよく似てるが、気質や性格的には対照的でもある。それは演説を見れば明らかだ。括弧内は当時の年齢。
甲高い声で威圧的なヒトラーに比べると、チャーチルは控え目で論理的でユーモアに溢れる。大衆を圧倒するというより、諭すという感じか。
バトル・オブ・ブリテン
1940年夏のイギリスは破滅の一歩手前だった。西欧諸国や北欧諸国の殆どがナチスに占領されるか、またその衛星国家になっていた。東欧も独ソに分割占領され、またドイツは日本やイタリアと同盟関係を結んでいた。
アメリカ参戦だけがイギリスの唯一の希望だったが、アメリカの国民世論は不戦&不干渉主義が根強く、大統領ルーズベルトもチャーチルの誘いには乗ってこない。
結局イギリスは、独力でブリテン島の守りを固めるしかなかった。チャーチルはこの時、”イギリスの最後の審判の時が今刻まれようとしている”と、心情を吐露する。
前述した様に、フランスに勝利したヒトラーはイギリスに和平を提唱したが、チャーチルは拒絶した。
この拒絶こそが、大英帝国を崩壊させ、本格的な真の第二次世界大戦を引きおこした。もし、ヒトラーとチャーチルが手を組んで、ソ連に対抗してたら、スターリンは一溜りもなかたろうに。哀れなコッテ。
故に、英国上陸を企むドイツは英国本土の制空権を握る必要があった。
一方チャーチルも、ドイツ空軍の襲来を予期した。敢えて英国本土を空爆させ、敵の空軍力を消耗させる作戦を取る。
ドイツ空軍の空襲は同年8月10日から開始され、英軍機がこれを迎え撃つ、”バトル・オブ・ブリテン”と呼ばれる、英国本土上空での激闘が始まった。
最初は英空軍優勢ではあったが、8月24日を境にイギリス軍機の撃墜も目立ち、消耗戦になる。それでも王立空軍は最後までドイツ空軍に制空権を渡す事はなかった。
ロンドン空爆(誤爆)の報復として、チャーチルも1000機の爆撃機をもって最初のベルリン空襲を敢行したが、戦果は乏しく、逆にヒトラーの怒りを買う。
復讐に燃えるヒトラーは我を忘れたのか、制空権を握れていないに関わらず、愚かにもロンドン空襲を開始した。これがドイツ側の重大な判断ミスとなり、ドイツ軍機の急激な消失を招く。
英雄チャーチルの誕生?
チャーチルは、”ドイツ空軍がロンドンを攻撃してくれて助かった”と、葉巻を加え、勝利の”逆Vサイン”をして見せた。これはやがて彼のトレードマークとなり、チャーチル人気は大いに高まり、ついには独裁的地位を確立する。
前回”その5”で書いた様に、この逆VサインはFACKという意味だが、大衆はこの意味を知らず、”勝利のVサイン”としてチャーチルを英雄化した。
実はこの”バトル•オブ•ブリテン”の勝利こそが、チャーチルにもう一つの大きなプレゼントをもたらした。
同年11月、アメリカ大統領選挙で3選したルーズベルトは、平和を求める国民世論を無視し、モンロー主義を放棄する。
ルーズベルトは、”英国が敗れれば、全ヨーロッパと全世界がドイツに征服され、人類の自由と幸福は失われる”と、ブリテン島での英空軍の輝かしい勝利を絶賛した。そして公然とドイツを批判し、英国支持を主張する。
翌年3月にはモンロー主義派の反対を押し切り、”武器貸与法”を制定、イギリスに武器や兵器を提供し始めた。
ドイツもイギリスも非常に優秀な数学者や自然科学者を排出してますが。戦争時で生かされる事は全くなかったですかね。
つまり、戦争には整理も論理も倫理も道徳も何もない。あるのは腕力による優位性だけです。故にバカほど独裁者に向いてんですかね。でも彼らが英雄視されるのにはウンザリです。
ヒトラーに関する本格的な書物も読んだんですが、彼の場合チャーチルとは異なり、取り巻きが複雑すぎましたかね。ヒトラーだけを悪とみなす事は危険すぎると思います。
それに比べたら、チャーチルは悪と無能そのものですか。でもバトル島の戦いでは超人的な忍耐を披露してます。これを機にアメリカは、独を見放し、英国寄りになるんです。
tokoさん言う程に書いてて疲れる事もなかったんですが、愛着すら湧いてこないんですね。チャーチルは全く不思議な化物です。
ドイツもイギリスも優秀な人材はゴマンといた筈なんですが。結局最後は饒舌なワルを国民は選択したんですが。
戦争とは大衆も指導者も全てを狂気に巻き込み、異様な空間の中に人々を送り込む。壮大な実験ですか。たった一人の独裁者が引き起こすクレージーな物語だと思ったね。
この狂気のチャーチルを全9話で描いた転んださんも大変だったんでしょうが。読む方も結構大変でした。チャーチルを一言で表そうにも無理っぽだな。