昨日、タイタニックブログを読んで下さった方、ホントに有難うです。何だか続編を書きたくなりましたな。
いよいよ、”野球とニューヨーク”も最終回です。あまりパッとしなかったんですが。ベースボールの、大リーグの本質と本性を少しでも理解して貰えたら、光栄です。
あらゆるプロスポーツの中で、これほど愛され、そして、これほど憎まれた球技もない。アメリカ社会の象徴とされる、国技としてのベースボールが、悪徳政治家の手によって操られてたとは。読み進めるうちに、興味深くも悲しく哀れにもなった。
タマニー派の悪の影響力が、ベースボールがマンハッタンに産み落とされた時から、100年以上も続いてた事を思うと、只々驚くばかりである。
ベースボールが不正に塗れた”敗者のスポーツ”と揶揄されるのも無理はない。しかし、ルースという”天の利”を得たブロンクスのヤンキース。マンハッタンという”地の利”にしがみつくタマニー派のジャイアンツ。そして、ブルックリンの熱狂的ファンという"人の利"に支えられたドジャース。このNY在住の3球団の、拮抗と色どりはそれだけでも鮮やかでユニークに写った。
それに、ヤンキースの豪華さを支えたルースとゲーリックが、共にドイツ系移民であるという事実。ハーマンとはヘルマンだったし、ゲーリックはゲーリングか。
驚く事はそれだけじゃない。悪の帝王ツウィードの遺産が、ユニオンスクエア一角にあるタマニーホールだけではなく、ブルックリンブリッジも、ブロードウェイの広い舗道も。そして、$1000万を着服したと言われる旧郡裁判所も、そして、かのセントラルパークも、タマニー親分であるWツウィードが作らせたもの。
ここまで来ると、呆れるというより、イカサマや不正が小さく見えるほど、アメリカという国のダイナミズムに圧倒されてしまう。
ただ、大リーグの歴史を語る際、タマニー派の事が殆ど話題にならないのが不思議である。"腫れ物に触らず"ではないが、良しも悪くも、彼らは生まれたばかりの、ベースボールの性格を決定づけ、ビジネスモデルとして大きく膨らましたのだ。
この本はアメリカン•ベースボールにおけるパンドラの箱を開いてくれた。NYがベースボールが、タマニー派の支配と共に成長した事を、はっきりと証明するものだ。
確かに、アメリカ白人にとって、これ以上の屈辱はない。彼らは独立戦争ではイギリスに勝利し、南北戦争では奴隷制度を打ち負かしたが、ベースボールとNYにおいては、Wツウィード率いるタマニー派に、完璧に敗れ去った。
しかし、アイルランド系移民が中心となって成長した大リーグが、黒人を参入させなかったのは、当時黒人より低く見られてた、彼らの立場を考えると、多少は納得出来なくもない。
身体能力で劣る彼らは、一応は先住民である黒人を認める訳にはいかなかった。ボクシングがアイルランド系移民のものから、黒人全盛になる歴史の変換を見れば明らかだろう。
一方、ベースボールにおいても、黒人の台頭は半端なく、Jロビンソン以降の殿堂入りの黒人の数と比率を見れば一目瞭然だ。
正直、この本を読む前までは、日本の精神性重視の無垢な野球感に、ある種の抵抗と稚弱さを感じてた。自らの犠牲を強いてまでも美徳とする、学童野球に限界を感じてた。
雑多な人種が集結するアメリカの自由奔放さと、オール天然芝で鮮やかに繰り広げられる本場のベースボールに、スポーツの原点を見出したかに思えた。
しかし、ものの見事に裏切られた。否、薄々感じてた疑惑が正されたと、言ったほうが正解か。
それでも、ベースボールは魅力溢れるスポーツで、汚辱に塗れてると判ってても見入ってしまう。不完全な球技としての特質であろうか。ベースボールに、常に根深く蔓延る不正の中に、人間の本質を見出してしまう。
勿論、フェアだけでは生きていけないし、精神論だけでは生活できない。出世したけりゃ、良い生活をしたけりゃ、多少の"正当なる不正"は必要だろう。ベースボールだって、同じ事かもしれない。必要悪はどの世界でも共通なのだ。
何だか、タマニー派の悪口ばかりが目立つが。ツウィードだって、アングロ系白人に生まれてたら、こんな悪事に手を染めてまで、アイルランド移民を救う事もなかったろうし、もっと穏やかな人生が送れた筈と、贔屓に取れなくもない。
その彼が、スコットランド系白人だったとは面白く、WASPに対抗したのも、イングランド系白人に抵抗があったのだ。
それにタマニーという団体も、元はアメリカ先住民の族長の名を継いだ反連邦主義の小さな親睦団体だった(1789年創立)のも意外だ。
歴史は繰り返すというが、ツウィード親分そっくりのワンマンオーナーのスタインブレナーが、同じNYで幅を利かせてたというのも面白い。
イカサマは彼らだけじゃない。コミッショナーだって、ストライキでの損失を埋めようとステロイドを堂々と黙認した。ここにおいても、タマニー派の悪の源流をしっかりと受け継いでいたのだ。
しかし、ツウィードは204の罪状を全て認め、ブタ箱にはいったが。彼以外の悪玉は、スタインブレナーもコミスキーもコミッショナーも何ら責任も取ってないし、追求もされなかった。犠牲になるのは、何時の世も現場の選手だけだ。
ブラックソックス事件では、8人のスター選手が犠牲になった。謹厳で知られた判事ランディスは、初代コミッショナーの座に就き、悪の根を絶ち切るどころか、表面の美しい花びらだけを千切りとった。これこそ、"正義が悪に跪いた"記念すべき歴史的出来事だったのだ。
タイトルと表紙のイラストからして、ユニーク満載な内容と思いきや、結構、ドス黒い、考えさせる奇なるストーリーに仕上ってる。
佐山氏の著作は、何時も楽しく興味深く読ませて頂いてるが、何時も感動しっ放しです。でも、もう少しタイトルとカバーデザインがね。
ベースボールはタウンボールと言われ、ローカルな娯楽とは元々程遠かったんではないかと思います。
何においてもそうですが、ローカル色を無視したら娯楽は消滅する傾向にありますね。
ベースボールもNYという世界一の大都市と共に成長し、全米中に広まりました。逆に言えばNYという大都市がなかったら、ベースボールもなかったという事になります。
つまり、都会ではあらゆるものが娯楽になりうるんですが、地方では選ばれたものしか娯楽になり得ないかと。
野球とニューヨークというタイトルには、そういった意味合いも含まれてるような気がします。
実にその通りです。都会の娯楽って飽きるのも早いですかね。故に都心部で繁栄したベースボールは、地方では殆ど流行らず、消滅の危機にあると。
逆に、田舎に生み落とされ、田舎で繁栄した娯楽なら、公平性や正義が重視され、安定して国民の娯楽に成り得るでしょうが。