象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

「野球とニューヨーク」その6〜タマニーホールとW•トウィードの悪の産物

2018年05月03日 13時33分47秒 | 野球とニューヨーク

 今年は大谷のお陰で、一時よりもMLBに人気が集まってます。NHKもアニメ”メジャー”を流し続け、故意に人気を煽ってるようですが。不景気になる程、野球に人気が集まるのも、時代の自然な流れでしょうか。

 でも、大谷だけでは寂しすぎるので他の選手も頑張って欲しいんですが、如何せんインパクトがなさ過ぎるというか。ダルビッシュ有にも期待ですが、いつも打たれっ放しで。4シームとスライダーは特急品なんですがね。肘を手術してから力まかせになり、全盛期の球のキレがないように感じます。

 ルースが言うように、ピッチングは奥が深いんですね。来た球を打つように簡単じゃないと。


 マー君にしても、スプリットオンリーで全く絵になりませんね。ヤンキース以外のチームだったら、二桁勝利なんて夢の夢で、今頃は楽天かオリックスでしぶとくプレーしてるでしょうか。

 でもNY球団にとっては、オプトアウトを行使させずに済み、結局安上がりの買い物になったのでは。プロは絵になってナンボのものですもの。ブサイクな顔も少し笑えば、サマにならないか(悲)。

 それに比べたら、大谷は絵になりますね。球は速いし、脚は速いし、打球も速い。数字がどうのより、それだけで絵になり話題になる。総額20億とか言われてるけど、エンゼルスにしてみれば、既に元を取ったんではないかな。
 
 でもそんなメジャーリーグも日本の野球とは大きく異なり、不正と汚職の負の歴史と共に歩み、大きく繁殖したんですね。そういう点を振り返りながら、MLB中継を見ると楽しみが増えるかもです。
 

 さて本題に戻ります。

 当時のアメリカは、今もそうだが、WASP(W=白人、AS=アングロサクソン、P=プロテスタント)が主導権を握り、”ブルー・ロー”と呼ばれる安息日を厳格に守ってたが、これに反発したタマニー派は日曜日でもゲームを行おうと、ライバルのドジャースと協調し、”サンデーベースボール”を画策する。

 そこで、ドジャースのオーナーに君臨したエベッツは、スコアカードを入場券代りにし、法の穴をくぐり抜け、ブルー・ローを無効化します。


 1919年には禁酒法が成立し、野球場は”もぐり酒場”のメッカとなり、球団は一層利益を得る。翌年にはジャイアンツの球団社長には、チャールズ・ストーンハイムが就任し、”ジャイアンツも悪徳ギャンブラーの手に”と揶揄された。

 結局、ツウィード一味の息を完全に止める事は不可能で、ジョン・リンゼイ市長(1966〜1973)の時代まで、彼らのNYでの影響力を何とか保ってたのだ。
 1958年にSFに移転できたのは、それまでタマニー派から逃れる事が出来なかった事を意味しますが。


 しかし、SFジャイアンツになって新たな歩みを西海岸で刻むも、球団きってのヒーローであるバリー・ボンズのステロイド問題で、再び疑惑に包まれた球団となる。
 名門と言われる球団だが、常に付き纏う不純な雰囲気。ベースボール本来の性格から来たものだと割り切れば致し方ない事か。


 かつて、ユニオンスクエアに構え、栄華を誇ったタマニーホールですが。少しおさらいをしますね。(ウィキ参照です)

 1790年代から1960年代にかけてに存在したアメリカ民主党の派閥で、”タマニー協会”を前身とし、1772年に慈善団体としてフィラデルフィアで結成され、1789年ニューヨークに設立されたんですが。

 19世紀に入ると、政治的側面が色濃くなり、NY市議会における民主共和党勢力の中心として台頭。タマニーホールがユニオンスクエアに完成した1830年から民主党に合流です。
 以後、前述した様に、当時拡大の一途を辿るアイルランド系移民区を票田とし、NY市政を牛耳る”ツウィード・マシーン”にまで成り上がるんですな。

 80年代半ばに、このウィリアム•M•トウィードが君臨した時が全盛期で、票の買収操作の代名詞となる。しかし、20世紀に入ると市政改革運動や1934年の市長選で、共和党及び民主党内の改革派に敗北したのを機に勢力が減退。1960年代半ばに解散します。


 1870年代のNYは、ユニオンスクエアを中心とした2マイル以内にNY市民の85%が住んでた。まさにタマニーホールはNYの中心で、トウィードは選挙の度にここに立ち、”我々には権利がある。我々には力がある”と叫んだ。

 実は、このタマニーホールだけでなく、NY名物のブルックリンブリッジも旧郡裁判所もブロードウェイの広い歩道もセントラルパークもトウィードの産物なのです。

 全く、不正は選挙や野球だけでなく、豪勢なNY名物にも及んでたんですな。開いた口が塞がります(笑)。

 ブルックリンブリッジでは前金で6万ドルとその上、7万5千ドルを掠め取った。旧郡裁判所も完成に1400万ドル掛かったが、その内1000万ドルを着服。この裁判所が”ツウィード裁判所”と書かれてるのも頷ける。


 しかし、この悪の帝王W・M•トウィードが、アイルランド系移民に、娯楽として、やるスポーツとして、見るスポーツとして、儲かるスポーツとして積極的に推し広めたのが、このベースボールであり、MLBなのだ。

 判りやすく言い換えれば、良くも悪しくも生まれたばかりのベースボールの性格を決定づけ、ビジネスモデルとして大きく膨らましたのだ。何だか辛くなってきた所で今日はお終いです。



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