数字にばかり拘って物事の全体像を見失う事を”マクナマラの誤謬(ごびゅう)”という。
この言葉は、かつて神童と呼ばれたベトナム戦争当時の米国防長官の名前に由来する。
ロバート・マクナマラは、データ分析を駆使してベトナム戦争に勝利しようとしたが、数値では計れないベトナム人の愛国心やアメリカ市民の反戦感情に目を向けず、300万以上の犠牲者を出す泥沼の戦争を招いた。
1965年11月から1975年4月にかけ、南北に分断されたベトナムの統一をめぐって展開されたベトナム戦争。当時は冷戦時代の米露の代理戦争とも呼ばれ、アメリカは南ベトナムを支援し、北ベトナムの共産主義者を壊滅させる為に膨大な数のアメリカ兵を送り込んだ。
結果、約300万のベトナム国民と、85万の兵士が死亡し、その内の6万人は米軍兵であった。
以下、「マクナマラの誤謬とは?」を一部参考です。
マクナマラは”科学的管理法”で知られるフレデリック・テイラーの下で確立された科学的測定方法を学び、”定量的指標”を用いてベトナム戦争に勝てると考えた。
マクナマラは”米兵の死亡数と敵兵の死亡数の比率”に着目し、”米兵よりも多く敵兵が死亡してる限り、アメリカは勝利する”と判断した。しかし彼は、戦争が莫大な数の民間人を巻き込む事を考慮していなかった。事実、ベトナム戦争の犠牲者の9割は民間人である。
マクナマラは、”測定できない物を管理する事はできない”と、死者数以外の定量化(数値化)できない指標は”戦争の勝敗とは無関係”と主張し、考察から除外した。
マクナマラの誤謬はアメリカがベトナム戦争に敗北した理由の1つとされたが、彼の致命的失態は以下の3点に尽きる。
①現実の定量的モデルが常に他のモデルよりも正確であると勝手に思い込んだ。
②最も簡単に計算できる定量的測定こそが最も適切だと考えてしまった。
③定量的測定基準で使用されるもの以外の要因を無視し、大した影響はないと矮小化した。
つまり、定量的指標を用いる事が間違ってるのではなく、マクナマラのように”定量分析が常に最も効果的なオプションである”と決めつけた事自体が間違いである。
昨今のデジタルビジネスでは、ネット上で収集した膨大な量の定量的数値データがマーケティングや商品開発などあらゆる分野で利用されている。
マクナマラの様な致命的なミスに陥らない為には、分析の視点を広く持ち、量的及び質的指標を様々な視点からチェックし、課題を検討する事が重要で、特に表面的な調査だけでなく定性的な調査も同時に行うべきであり、その場合はインタビューが重要なツールになる。
しかし、マクナマラはベトナム戦争終結後、当時の北ベトナム軍指導者に会い、”なぜあれだけの数の死者を出しながら、和平交渉に応じなかったのか?”と尋ねた所、当時の将軍は”我々は100年でも戦うつもりでいた”と答えた。
結局、マクナマラはこの言葉を理解する事なく、2009年にこの世を去る。
悲しいかな、この男は自分の能力を過信したが故に、”誤謬”を生んだとも言える。
数字に拘る事が、データを重要視する事が、定量的指標を用いた事が間違っていたのではない。単に、自身に都合のいい考えや数字に凝り固まってた事が、歴史的な失態を生んだとも言える。
ペンタゴン・ペーパーズ
NHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」では、”ベトナム戦争の真実”が特集されていた。
高度1万メートルで飛行できるB29爆撃機は命中率が低い。それこそが、日本各地を襲った無差別爆撃を作戦立案した根拠の1つとされる。
その立案者の1人が、後に米国防長官を7年務めたロバート・マクナマラ。”データ分析の天才”と謳われた人物だ。
彼は、”命中率が低くても、無差別爆撃なら死者の数という明確な数字でコストを抑えて成果が出せる”と考えた。
大戦後は、軍での輝かしい実績を持ってフォード社へ、そして社長に。更にケネディ大統領に請われ国防長官となり、退任後は世界銀行総裁をも務めた。
マクナマラは敵軍の戦死者の数を”ボディカウント”と称し、特にベトナム戦争では、キルレシオ(味方と敵の消耗比率=米軍1に対しベトナム軍10以上の損害)を成功の指標に設定した。数値目標が掲げられ、現場の兵士らは”殺人に対する意欲を異様に高めた”と常軌を逸した当時を振り返る。
だが、ベトナム軍は消耗比率が1対10を遙かに超える損害を出しても戦い続ける。
この戦争では、”敵軍”の枠組みは曖昧で、民間人が武器を手に取る事もあるし、兵士を装う事もある。そんな戦時下で発表される敵死者の詳細も曖昧である筈だ。
つまり、数字という指標が曖昧になっていた事を、データ分析の天才はどれほど把握していたのか。
事実、マクナマラは(ある時期から)”軍事行動だけでは自殺行為に等しい”と考えるに至り、ケネディ大統領に派兵の縮小を打診するも、大統領は暗殺される。
ケネディを引き継いだジョンソン大統領だが、ベトナムからは手を引かず、北ベトナムの攻撃(トンキン湾事件)をでっち上げ、北爆を始めた。1967年の11月、マクナマラは北爆の停止とベトナム戦争への介入の段階的な縮小を提案するも、大統領に拒絶され、ペンタゴンを去る。
しかし、(データ収集の天才でもある)マクナマラは膨大な記録を残していた。
それが後の「ペンタゴン・ペーパーズ」に繋がる訳だが、その文書には、”(ベトナム戦争の目的の)1割は南ベトナムの為に、2割が共産主義への牽制、そして7割が(大統領の)メンツの為に・・”と書かれてあった。
結局、マクナマラが記録した「ペンタゴン・ペーパー」の暴露が、皮肉にもベトナム戦争の終結に決定的な役割を果たした事になる。
最後に
こうしてみると、マクナマラは自ら弾き出した数字(指標)の限界に気づいてたのではないか?
第二次世界大戦とベトナム戦争では、戦争そのものの本質や全体像が異なっていた。つまり、数字やデータでは判断できない要素がたくさん詰まっていた。
そう考えると、傲慢な天才の過ちというより、凡人にありがちな単純な失敗とも言えなくもない。
自分が理解できる基準や考えだけに引きこもる。暴力を振るった人物は自身の認識に引きこもり、自分を被害者、相手を加害者と決めつける。
マクナマラの供述からも、それに近い心境にあった事が明らかになっている。
勿論、”病んでいた”と言えばそれまでだが、現状を自分に都合よくする為に、認識を歪める。更に、身近な因果関係に答えを求め、敢えて視野を狭める事で全体像を無視する。
マクナマラが眺めたベトナムの真実とは?
ベトナム戦争終結から半世紀近くが経つが、悲しいかな今も”メンツ”を重んじる無能な指導者が愚かな侵略戦争を犯している。
それも、ベトナム戦争と同じく犠牲者の多くが民間人である。
軍事評論家はデータや数字だけを挙げて、ロシア=ウクライナ戦争の行方を予想するが、それだけでは正確な考察が出来ないのは明らかである。事実、(コロナ渦同様に)多くの専門家の予想は外れた。
多分、ウクライナ兵は北ベトナム軍と同じく、ロシアが降伏するまでは”100年後も戦争を続ける”だろう。
この世には、数字(指標)では測れないものが数多く存在するという事を、指導者も我ら庶民を理解すべきである。
キエフを簡単に陥落できると踏んでいたことにあるんですが
ロシアの軍事力の(定)量を過信してたこともあります。
数が条件や計算によっては流動的であるように、蓄積されたデータも状況や視点によってはアテにならない場合もあります。
アメリカもベトナムの歴史と国民性を理解していたら、表面上の数的指標だけで戦争を考察するという歴史的失態は避けられた筈です。
同じ様に、プーチンもウクライナの歴史を理解してたら、侵攻も誤算もなかったでしょうか。
ウクライナの起源は9世紀後半のキエフ大公国とされますが、ロシアもベラルーシもキエフ大公国を文化的祖先とし、両国の名の由来もキエフ大公国の別名である”ルーシ(Rus)”とされます。
特にキエフは”ロシアの母”とされてました。
つまり、ウクライナからロシアが誕生した歴史をプーチンは理解しなかったんでしょうか。
勿論、ロシアはモスクワ大公国として独立し、分裂したキエフ公国を侵食するんですが
数的優位性に拘り、歴史の全体像を見誤ったプーチンの誤謬とも言えますね。
今や、両国はベトナム戦争以来の険悪な米露の代理戦争になりつつあります。
プーチンとマクナマラ
立場は違えど、戦争というものを単純に捉えすぎたが故の歴史的な大失態にも思えます。
でもマクナマラは途中で自分の失敗に気づきましたが、プーチンの場合、一方通行そのものです。
”ロシアは世界一の核保有国だ”という単純な数的指標を過信した、狂った独裁者の誤謬に終わりそうな気がしますね。
ウクライナの歴史、勉強になりました。
有り難うです。
転象さんの記事で今更ながらベトナム戦争の問題を考えさせられましたし、paulさんのコメントでウクライナ、ロシア戦争の問題点を教えていただけました。それと戦争の愚かしさを…。いったん始めるとやめられないのが戦争ですね。どちらも絶対負けられないですから。勝てば官軍で、一旦負けてしまえば、全て悪者扱いにされますから。
日本など未だに敗戦国扱いをされていますから、第二次世界大戦での負けは大きかったです。
が、現実問題として、中国や韓国が日本の領土を奪おうとしているのを何もしないで見ているのも馬鹿ではないかと思えます。
戦争は愚かなものではありますが、奪われるまま何もしないのも、やはり愚かではないかと。
そう考えれば、戦争は必然かもしれませんね。
同じ様な事を中国も韓国もやろうとしてるかもですが、時代も戦争の形態も大きく変わりました。
つまり、彼らも今のままではマクナマラと同じ事をやろうとしてんですよね。特に、中国はメンツを重んじるから余計にです。
日本はそういう所を上手く付いて、外交的に台湾有事を回避すべきでしょうね。
でも戦争が始まったら、日米同盟があるとは言え、日本は一瞬で丸焦げになります。
”歴史は繰り返す”というけど、過去と同じ事をやろうとすれば、確実に失敗する。それは歴史が証明してますね。
確かに、何もしない事は愚かに思えますが、戦争をしなくても済む様に持っていく事はとても重要な事で、高い知能を必要とします。
特に資源のない国は・・・です。
ロシアとウクライナの様に、戦争は時として必然にも思えますが、アメリカとロシアの出方次第では避けられたのも事実です。
しかし戦争が始まった以上、莫大な数の犠牲を出す惨劇になるのも必然の結果ですよね。
いつもコメントありがとうございます。
まず数的流動性ですが
2−3と3−2では当然ながら結果は違います。
2÷3と3÷2も同様です。
同じ2と3という数の組合せですが、演算子が異なれば、答えも異なる典型の例です。
それに、2は10進法では2ですが、2進法では10に飛躍します。
これも条件よっては数字(結果)が変わるという例ですね。
マクナマラは、こうした初歩的な事は理解してたでしょうが、第二次世界大戦でのアメリカの物量作戦がまんまと功を奏した事で、戦争の本質を定量(指標)という数字に求めます。
この時点でマクナマラの視点は盲目になっていた。
プーチンも2014年のクリミア半島を無血開城で落としたことで天狗になってました。
マクナマラもプーチンも数的優位という大国の論理に埋没し、北ベトナムやウクライナといった肝心な初期条件を無視した結果の誤謬とも言えますね。
マクナマラの誤謬、
大変勉強になりました。
何事かを成し遂げる時、戦争であっても、
データと数字の分析に基づく仮説は指針になり得ますが、
組み立てた予測に溺れてはならない。
---と言えるでしょうか。
貴兄の過去投稿スターリンとヒトラー。
数字やデータよりも狂気を優先し、
シンプルな野蛮に染まった末路は、
いわば「意志の誤謬」ですが、
本質は似ている気がします。
人は不確かな未来に向かって歩みだす時、
何かにすがりたくなる。
根拠を求めてしまう。
自分自身も「己の虜囚」にならないよう気を付けたいものです。
とりとめない長文、失礼しました。
では、また。
これに尽きますね。
数字というデータも様々な角度から眺める必要があるし、
時代や条件によっても数字の扱い方は違ってくるので、
データと刃物は取り扱いに注意というところでしょうか。
こちらこそコメント参考になりました。
”人は何かに縋りたくなる”
これこそが”意思の誤謬”を招くかもですが
言われる通り
根拠を求めすぎると”己の虜囚”になる。
さすがボートをやってられるだけあって
うまいとこ突きますね。
コメント勉強になります。
では・・・