例年同様に、今年も”おせち”を食うことはなかった。
正月といっても、大掃除も正月飾りもお供えもしなかったし、年賀状も書かなかった。
勿論、これも例年通りである。
つまり、私にとっては何もしない事が正月であり、恒例の年末年始の行事とも言える。
親父が生きてた頃は裕福だったせいか、正月といっても、優雅に静かに何事もなく過ぎ去ってた様に思える。
あの頃も、正月は何もしなかった様に思う。
故に親族で集まった記憶も、おせちを食った記憶も年末の大掃除の記憶も、年越しそばも初詣も、何もかもその殆どが記憶にない。
記憶にあるのは、小学低学年ではもらい過ぎのお年玉だけであった。
親父が死んで、母は型や縁起に拘る様になった。
年末になると張り切って大掃除をし、おせち料理を大げさに準備し、冷蔵庫の中は年越しそばなどの正月料理の具材で溢れかえり、子供の私もウンザリであった。
(アウシュビッツ程でもないが、半ば強制的に)親族で集まる様になったのも、親父が死んでからである。
つまり、裕福な頃は正月行事を選択する自由があったのだ。
貧乏になり、お年玉の額も数も極端に目減りし、私にとってのお正月は実質的に死滅した。
それでもおせち料理が美味しければ、これで”一年が終わり新しい一年が始まるんだな”って、多少は感慨に耽る事も出来た筈だ。
しかし、我が家のおせち料理は不味かった。無機質な精進料理そのもので、少なくとも美味しくはなかった。
かまぼこに黒豆に数の子、それに、焼きイワシに生イワシ。締めは年越しそばに雑煮。
かまぼこは百歩譲るとして、数の子には毎年の様に嫌気が刺したものだ。”粒の多さが子孫繁栄を連想させる”との(おめでたい?)縁起があるらしいが、不味いのは不味い。
味も食感も香りも、全てがダメなのだ。
それ以来、正月と言うと”数の子”を連想するようになり、正月そのものが嫌いになっていく。
それでも雑煮だけは、私も兄も大のお気に入りだった。
我が家の雑煮は、とてもシンプルである。
昆布と椎茸とスルメで出汁を取り、具はモチだけで他は何も入れない。この愚直なまでのシンプルな雑煮こそが、我が家の正月料理の唯一の自慢であった。
以来、我が家の正月からは、まず数の子と生イワシがなくなり、次に焼きイワシがなくなった。
結局、最後に残ったのは雑煮だけである。
故に、私にとって”正月とは雑煮”なのだ。それ以外は正月とは呼べない。
正月と”おせち”の起源
12月といえば、師が走り回るほどに忙しい事から”師走”という俗説が、平安時代末期の文献にも載っており、年の暮れの忙しさは今も昔も変わらない。
師走の忙しさの一つは年内に片付けなければならない事を済ませる事、もう一つは大掃除や正月飾り、年神様へのお供えなど新年を迎える準備をしなければならない事にある。
以下、「新年を迎える日本人の心を知る」より一部抜粋です。
かつては、大みそかから正月には家族が家に揃い、年越しそばを食べ、おせち料理を囲み、初詣に行くというのが通例だった。
今ではその過ごし方も多様になり、連休を利用して海外旅行へ出かけたり、(街のど真ん中での)大勢の人での年越しカウントダウンなどの光景は毎年の風物詩になっている。
とはいえ、(心身を清め、おめでたい)正月を盛大に迎えるという日本人の心は、時代を超えて伝承され続けている。
では、なぜ正月はおめでたいのか?
それは、”年取りの祝い”だったからだ。かつては誕生日ではなく、正月が来るたびに皆が一斉に年を取る”数え年”だった。
人々に新しい年齢と一年を生き抜く生命力や幸運を与えてくれる”年神様”がやってくるのが正月であり、古くから我々日本人にはこの年神様を盛大に招く為の行事こそが、正月だったのだ。
つまり、元日は年神様を迎える大切な日で、この日は家族揃って自宅や地域の氏神様を祀った神社にこもり、年神様の来訪を待つのがかつての過ごし方だった。
年末大掃除も旧年の災厄を払い、嫌な事を忘れるという年忘れの為の大切な行いとされる。
初詣に関しては、江戸時代中期、その年によって変わる年神様のいる方角を”恵方”と呼び、恵方にある社寺に参詣する”恵方参り”が初詣の起源の1つとされる。
現在の様に、各地の社寺に大勢の参拝客が訪れる様になったのは、明治時代以降に東京など都市部から広まった新しい風習である。
お供えの食べ物は神様からの賜り物と考えられ、特にコメを使った鏡餅は神様の力が宿り、これを食べる事で一つ年を取る事ができるとされた。この(有難い)餅を親が子に与えたのがお年玉の起源で、江戸時代には着物を(新調して)贈ってた。戦後になり、現金を贈るのが広く一般的になったとされる。
肝心のおせち料理だが、宮中で元日や節句などの”節日”に神様に供えてた”節供(せちく)料理”に由来する。
貴族の風習だったが、江戸時代から庶民にも定着し、年神様に供えた料理のお下りを頂く事で、一年を生き抜く力を授かれると考えられてきた。現在の様に、重箱に料理を詰める様になったのは明治・大正時代以降といわてれいる。
こうした行事は、災厄や疫病・悪運など不幸を払い、年神様と共によい運気と福徳を迎え入れる為の行いだが、農業や漁業を背景としていた行事は、昭和30~40年代の高度経済成長期を境に廃れてしまう事も少なくなかった。
とはいえ、身を清め、除災招福、気持ちも新たに新年を迎えるという年末年始行事の由来は、”一年を良い年に”と願う気持ちと共に、時代を超えて根強く伝承されていくものである。
以上、國學院大學メディアからでした。
最後に
親父の死と共に、実質的に死滅した(本来はおめでたい筈の)お正月だが、私には本来、正月という行事がどうもしっくりと来ない。
それに、年末年始のスーパーのクレイジーな賑わいを見てると、”貧乏国ニッポン”の悲しい未来を露呈してるみたいで、お正月が悲しいお祭りにも思えてくる。
それでも、お正月は”神の国”日本のおめでたい信仰とも言えなくもないが、”一年を良い年に”とは誰(人間なら)でも願う事である。
しかし、一年がいい年になるか否かは、本人の能力や才能、それに運や努力やタイミングに大き左右される。
日本人は”縁起”を担ぐ生き物であるが故に、こうした年末年始の行事には、血眼になって張り切る傾向にある。
勿論、気持ちは解るが、人それぞれの(個人やお財布や家庭の事情の)”お正月”があってもいいじゃないかって思いたくもなる。
子供の頃は、紅白やレコード大賞を見て、正月を迎えたもんだ。
それは紅白が面白かったからではないし、歌手やアイドルが憧れの存在であったからでもない。ましてや、正月が特別であったからでもない。
つまり、正月は誰にでも与えられたごく普通のありふれた日常だったからだ。
当り前のように年が過ぎ、新しい年を迎える。お寺の鐘が鳴り、1年が終わり1年が始まる。だたそれだけの事なのだ。それ以上もそれ以下もない。
正月とは、元々そういうもんだろう。
流石だと思います。
強度の不安遺伝子を受け継ぐ日本人は
こうした縁起や祝祭や迷信をも受け継ぐんですよ。
そうしたものは神話に変わり、更に強迫観念が追い打ちをかけ、年中行事としての大衆の文化に定着する。
そうなると、もう抜けられない。
結局は全ては人間が自己満足の為に作り上げた虚構だけど、時が過ぎ去るというのはそれだけで目出度いのかもしれませんね。
こちらこそ、今年も充実したポエムを楽しみにしています。
正月や初詣はともかく
おせちやお年玉の起源は
意外と単純かつ幼稚なもので
こういうのを長々と受け継ぐ日本人は
言われるように平和そのもの
時は当たり前のように過ぎていく
正月も何もなかったように過ぎていく
縁起も祝日も同じように
誰も気づかずに風化していく
風化することで新たな何かが生まれる
時代とはそういうものだろうか
昨年はいろいろとお世話になりました
今年もよろしくお願いします
日本人は縁起担ぎ過ぎって気もします。
私はにとって正月とは、何か特別に良い事があった時ですかね。
”盆と正月がいっぺんに来た”って言うじゃないですか。アレですよ。
只々正月を待つなんて平和ボンボンな日本人らしいですが、私はイヤですね。
という事で、こちらこそ宜しくです。
コマを回して遊びましょ
早く来い来いお正月
って歌がありましたね。
自分で歌ってて懐かしいです。
子供の頃はお正月は1年で最大のイベントでした。
昔は年を越すとは縁起が良いとされてきた。
でも今は縁起という言葉自体が時代遅れのようにも思う。
ということで今年もよろしくお願いします。
日本には祝日が多すぎますよね。
初詣も多く賑わってる所は避けたいです。その前に行く気もないんですが。
冠婚葬祭も同じで、家庭単位で質素にやるのが何より一番だと思います。
旧年はお世話になりました。今年も宜しくお願いします。
これからの主流になるでしょうね。
それにただでさえ祝日が多いのにも、流石にウンザリですから。
初詣もオミクロン株の影響で、時や場所を分散する必要も出てきます。
紅白がなくなり、レコード大賞がなくなり、おせち料理もなくなるかもしれませんが。逆に各家庭でユニークなお正月が目立ってくるかもしれません。
今みたいに、ネットで色んなチャンネルを選べなかったですから、お茶の間のTVが数少ない娯楽の1つだったんですね。
今はTVや映画よりも連続ドラマが主流になりつつありますが、面白いのは最初だけで後は引き伸ばしですもん。
YouTubeも飽きちゃったし、ネットの次は何が流行るんでしょうか。
旧年中はお世話になりました。今年も宜しくです。
昔も見たくて見てたんじゃなかったんだよ。
正月の番組って、この2つしかなかったんだな。
それから欽ちゃんの裏番組が始まって
年末年始の番組は戦国時代になっちまった。
どっちが良いのかわからないけど
流行りのドラマも含め、テレビが詰まらなくなったのは、正月が衰退した大きな原因かもしれない。
ということで
今年もよろしくお願いします。
若者は紅白もレコード大賞も見るはずもないですよね。Netflixらのネットストリーミングサービス全盛の時代ですから。
このままで行けば、お茶の間のかつてのTVの時代は呆気なく終わるかもです。
言われる通り、我ら親父は除夜の鐘で感慨にふけってた方があってますよね。
人間もいろいろ
若者たちは同士でカウントダウンイベントで盛り上がり、
私達中高年は除夜の鐘を聞いて旧年を振り返りその余韻に浸る。
ごく普通のありふれたコメントですが
今年もよろしくです。
カウントダウンで盛り上がるんですね。
日本も若い連中は、仕事中でもカウントダウンをします。
私は古い世代なので、正月の方がイベントって感覚が強いです。
今年もよろしくです。
年明けのカウントダウンイベントのほうが盛り上がるのかな
お祝いっていう意味では同じことなんだけど
何もしない何も足さないっていう
転んだサンの姿勢もピュアでシビレますね