日本酒を呑んで寝てたら、年を越してた。
昨日は、昼からずっと「ヒロシのぼっちキャンプ」を見てた。今は「迷宮グルメ」を見てる。
昨年は、コロナで始まりコロナで終わるかと思いきや、”ヒロシ”で終わってしまった。
結局、2020年の大晦日はおせちも紅白も不要だった。というより今の私には、ヒロシだけで十分だったのだ。
因みに、大晦日の夜はチキングラタンと純米酒でした。勿論、グラタンもホワイトソースも手製です。
私はヒロシを見てると、とても他人には思えない。彼も私と同じ、一度は”自分を見失った男”だ。
そういう私は自慢じゃないが、3度ほど自分を見失ってる。最初は親父が死んだ時、2度目は大学入学の時、3度目は兄が死んだ時。
年齢で言えば、9歳→19歳→31歳と、約10年に一度の周期で自分を見失ってる事になる。
つまり、今の私には、失う自分すら存在しない様な気がする。そういう訳か、私のブログには”絶滅”ネタが多いような気もする。
失う事への尊厳
”失う”という意味では、昨年はコロナによっていろんな物を失った。そして今年も、より一層いろんな物を失うような気がする。
一般に、失うという事は悪い意味で用いられる。しかし、ブッダの教えでは”失う事は無に帰す”事であり、”無我”という境地を手に入れる事が出来る。
所詮、これらの教えは自己満足に過ぎないかもだが、数学的に言えば、”無=ゼロ”であり、ゼロの発見は指折り数える幼稚な算術の世界を近代数学へと大きく飛躍させた。
”数はどこからやってきた”でも書いたが、”ゼロとは無が存在”する事であり、虚無とは意味合いが全く違う。
”ゼロ”を定義したのは、7世紀のインドの数学者ブラフマグプタ(598−665)でした。彼は負の数にも触れ、現代算術の基盤を築く。
ゼロの定義が偶然じゃなく、必然的に編み出されたものとすれば、”失う”という事も偶然じゃなく、必然的に襲ってくるものだ。
”ゼロの脅威”は、つまり”失う事の脅威”は、古代ギリシャの偉人もローマ法王も西欧のキリスト教徒をも畏れさせた。
故に、キリストが創り上げたわざとらしい人工建造物には、何ら躍動も戦慄も感動も覚えない。
私がインドのガンダーラ美術に魅せられるのは、そういった”失う事への尊厳”がそうさせるのかもしれない。
逆を言えば、キリスト教は未だに失う事を怖れ、人間の強欲が支配する世界最大の宗教かもしれない。
昨日の”妖艶なモデル”でも書いたが、どんなに若く可憐で美しい女性も、いつかはその全てを失う。美を失う事を恐れる程に、女性は醜くなり果てる。
老いを畏れる事は劣化を加速させ、老いと劣化の間に潰され苦しみながら、死に至るのだろうか。
つまり、自然の摂理に逆らえば、人類は急速に脆くなり、やがて絶滅するという事か。
確かに、旧年中のコロナ渦はその一番の教訓かもしれない。ウイルスがワクチン如きで駆逐できると思ったらアカンよって、神の囁きが聞こえそうだ。
”さだ”もおせちも紅白もいらない
年末年始のNHKの地上波は、紅白とさだまさしが主役らしい。
今どきの地上波は既に死滅した感があるが、ここまで酷いとは思わなかった。”さだ”と”紅白”という文字を見ただけで、吐き気がするのは私だけだろうか?
幽霊と化したさだまさしと誰も見なくなった紅白の組み合わせは、今や公共放送(NHK)や「24時間愛は地球を救う」(日テレ)と並ぶ絶滅危惧種なのかもしれない。
そういう私も昨日は、約30年ぶりに”おせち”をと思い、近くのスーパーに買い出しに出かけた。
しかしそこにあったのは、蒲鉾と鉢盛りの肥溜めだった。少なくとも私にはそう思えた。
私が正月のおせち料理が嫌なのは、その創造力のなさにある。
まず蒲鉾の(伝統ある?)無味乾燥な歯応えと味わいが許せない。それに、がめ煮(筑前煮)と数の子がどうも好きになれない。まるで、お寺の精進料理をそのまんま継承した様な無機質で凡庸なレパートリーには、毎年ウンザリしたもんだ。
正月や大晦日と言えば、1年を締め括る大きなイベントでもある。七面鳥とは言わなくとも、クジラの分厚い刺し身くらいは安く提供してくれよって言いたくもなる。
果たして、コストコでもマンネリ化した無味乾燥なおせち料理は、バカ売れだったのだろうか?
果たして、おせちを頬張りながら、死肉と成り果てた、さだと紅白を見た日本人が何人いるのだろうか?
さだよりもヒロシ、紅白よりも「ヒロシぼっち」と思うのは、私だけだろうか?
謹賀新年が”A Happy New Year”に変わったあの冬に、日本からは紅白もおせちも死滅してたのかもしれない。
そして、心が温かくなりました
世の中の動きや風習にとらわれず、自分らしく生きる年にしたいと思います
ありがとうございました
単に、さだとおせちが嫌いなだけなんですが(笑)。
でもシンプルな思考ほど複雑になる傾向にあるから難しいもんです。
こちらこそ宜しくです。
お坊さんも偉そうな事言う前に、お経代を安くしろって言いたくもなりますが(笑)、口では何とでも言えますよね。
そういう私も単にさだが嫌いだけで、書いてる事に深い意味はないんですよ。
でも失うとはやはり辛い事ですね。
ヒロシの飾らない性格がぼっちのキャンプと実にマッチしてます
これからは飾り立てる時代から飾らない時代へと移行するんでしょうか
そうでもないと今年もコロナでやられちゃいますよね。
それに、謹賀新年も殆ど聞かなくなりました。
それに元旦恒例の年賀状も全てがメールに置き換わるんでしょうか。
そうでなくても、コロナが全てを一掃してくれそうですが。
でも、純米酒とヒロシとお手製グラタンは今年の大ブレイクになりそうですかね。
それとも孤独のグルメかな。
今年も辛口のブログ楽しみにしてます。
素朴でシンプル。これからの生き方はこれに限りますね。
今年も宜しくです。
大晦日に手製グラタンというのも悪くなかったです。何とか”脱おせち”を企てたかったんで、そういう意味では満足でした。
ただ純米酒は甘口でイマイチですが、寒い時期は日本酒に限りますね。
「孤独のグルメ」も松重豊サンの素朴な所が絶妙ですね。
今年も宜しくです。
こちらこそ今年もどうぞ宜しくです。