「今時のカポーティ回想録(後半)」に寄せられたUNICORNさんのコメントにこうあった。
父は詐欺師に近く、母は高級娼婦に近かった。カポーティ(トルーマン・パーソンズ)が生まれるとすぐに両親は離婚し、父の祖母の親戚を転々とする。
しかしそこには、後のピュリッツァー賞女流作家のハーパー・リーがいた。カポーティは2歳年下のこの幼馴染と永遠の親友となる。
その影響もあってか、早熟のカポーティはすでに文章を読み解く才に恵まれた。特に、スピーチは多弁で真実を真実以上に語るのが得意だった。
彼のその明晰さは生涯多くの人を惹きつけたが、異性に対し性的欲望を持てない事は多くの障害を生みだした。
その後、母リリーはNYの富豪で(キューバ人)のホセ・カポーティと再婚し、9歳の子供はトルーマン・カポーティとなる。「ティファニーで朝食を」のホリーのモデルは実母のリリーである。事実彼は、ホリーの役にヘップバーンではなく、モンローを起用したがってた。
早熟すぎた同性愛者のカポーティは、NYアッパーイーストという富裕街で一人孤独と闘います。しかし、母に同性愛者の自分を拒否された事で学校をやめ、17歳で雑誌「NewYorker」の助手(雑用)となる。
19歳で書いた「ミリアム」は文学界に衝撃を与え、米史上初の同性愛小説とされる「遠い声遠い部屋」は、カポーティを時代の寵児と持ち上げ、更にNYの社交界に深く食い込んだ。
それは母ですら到達できなかった場所であった。
”ここまで書けば、カポーティが孤独と同性愛と社交場を言ったり来たりしてたのがわかるだろう。そんなカポーティが「冷血」で自身の人生が大きく転覆したのも、当然とは言えやしないだろうか”で締めくくる。
全くその通りである。
そして、もう1つのpaulさんのコメントにある様に、カポーティは「冷血」で”清潔なまでに事実そのもの”と芸術作品であるがごとく評価されました。お陰で「叶えられた祈り」では”観察した全てを抽出”しようとしますが、そこには”現実を小説的手法を用いて”ではなく、現実をそのまま暴露してしまいます。
思うに、「冷血」をペリーが犯した殺人と同じく、偶然の事件として捉えれば、「叶えられた祈り」も必然的に起きた事件とみなせば、理解できなくもない。流石の稀有の天才カポーティも、孤独と同性愛とマンネリ化したセレブ社会には耐えきれなかったのかもしれない。
そこで今日は、「カポーティ回想録」の最後として、知られざるもう一人のカポーティの影を追ってみたいと思います。
以下、「毒親育ちの少女を救おうとした鬼才作家」(by Keiichi Koyama)から一部抜粋です。
孤独と同性愛とセレブリィティ
10代でデビューしたこの天才作家は、低い背と婚姻歴のある10歳年上の作家ジャック・ダンフィとのスキャンダルなどのお陰で、カポーティの特異な才能とフレッシュな存在は、NYの社交界の退屈なセレブたちにとって奇異ではあるが、憧れの要素に満ちていたのかもしれない。
しかし、彼は最初から気付いていた。”俺はちっとも楽しんでなんかいない。そのふりをしてるだけさ。決して愛されている訳ではなく、社交界のおもちゃとして認められているだけだ”
カポーティの突飛な行動や皮肉に満ちた毒舌は生存戦略の1つに過ぎない。それに、ダンフィとの恋愛は非常に不安定で孤独を癒すには程遠かった。
派手な生活、悲劇的な子ども時代、波乱に満ちた愛憎関係、自己演出に長けたリアリティセレブ・・・
話題になったドキュメンタリー「トルーマン・カポーティ、真実のテープ」(2019)で語られたスキャンダラスな人生の裏で、”毒親”育ちのカポーティが、1人の少女と親子の絆を深めていった事実は、大半が知られてはいない。
同性愛者として有名なカポーティだが、アルコールが手放せなくなっていた時期、フランクリン・ハリントンという銀行員と運命の出会いを果たす。
カポーティはやがて、彼の妻や娘ケイトも同席で夕食を一緒にとるなどの交流を続けた。
実は彼もアルコール中毒者で同性愛者だった。そんな共通点をもつフランクリンとカポーティは一線を越えてしまう。そして、彼はついに妻と娘を棄て、カポーティの元へ奔るのだ。
妻子から夫を奪った男として、娘ケイトはさぞかしカポーティを恨んだろうが、実情は正反対だった。
”父は本当にひどい人だったし、私にはとても怖い存在だった。小さい頃からアル中の父を世話し、私たち親子は立場が逆転してたの。母は経済力がなかったし、私がトルーマンの養女になって引き取られた後、彼とは実の親子の様に過ごせたの。とても優しくしてくれたし、私に必要なものを与えて続けてくれた。
父と彼(カポーティ)の関係が破局し、私たちを置いてカリフォルニアに去っていった13歳から、トルーマンの追悼式が開かれた24歳まで一度も父とは会わなかったわ。私は実の父を失い、トルーマンに父親を求めたからこそ私たちは仲良くなれたの”
カポーティのもう1つの顔
父親がアル中になり、機能不全に陥り、健全な成長ができてなかった娘ケイトを、カポーティはマンハッタンに招いた。彼女の実父であるパートナーが逃げ去った後、それまで築いた人脈を総動員し、娘ケイトを救ったのだ。
ケイトはカポーティに言われるがままに、ファッションエディターのダイアナ・ヴリーランドのアシスタントとして、1年間を身を粉にして働いた。人生の中で最もハードな経験だった。
お陰で彼女は、映画の衣装デザイナーとして大成。名監督ジョン・マクティアナンと結婚を果たす。
カポーティは自分が両親から愛されなかった分、ケイトに愛情を注いだ。
結果的に、毒親育ちでゲイのカポーティが毒親育ちの少女をどん底から救い出す事となった。なぜ、こんな皮肉な事が起こり得たのだろうか?
彼女はこう答える。
”これは私の個人的な視点だけど、困難な子ども時代を過ごした人が子を育てるのは時として難しい。でもその分、他人に優しい人は多い。トルーマンがまさにそうで、センシティビティ(感性)があった。自分が手にできなかったものを相手に与えようとする、生まれながらに優しい人でした。あんなに楽しくて、ユーモアのセンスがあり、そして親切だった人はいないわ。私を育てる事ができたのは、そういった天性の優しさがあったからだった様な気がする”
しかし彼女はこうも語る。
”私はあなたを愛してるのに、なぜそんなお酒を飲むの?と反対したら、その時トルーマンがこう言ったの。<まだ十分じゃないんだ。十分になったらやめるよ>と。
彼は書いている間はシラフだったの。飲み続けては書き、書き終わったら飲む。癒しの為のお酒だったわ。でも、最後の4年間は流石に辛かった”
カポーティはアルコールと薬物に依存し、1984年に同じく毒親育ちのジョアン・カーソン宅で突然60年の生涯を閉じた。
自分の毒親は救えなかったが、毒親である恋人の娘を慈しみ育て、何とか救い出す事に成功した。
もしそれがカポーティの本望だったとしたら、社交界に寄生した”逝かれた”作家とは裏腹に、カポーティは自分自身を救う事なしに持てる資産を、他の人に捧げた“幸福の王子様”だったのだろうか。
晩年のカポーティは、“スワン”(白鳥)と呼び、交流していた女性セレブたちの告白を暴露した「叶えられた祈り」により、バラされた女性のひとりが自殺するまでに至り、”友人を裏切った”と非難される。
結果として、社交界から締め出されてしまったのだが、その真意を”これは社交界の男性に対する攻撃だった。彼は女性を敬愛していたから”と分析するのは、作家のジュディ・グリーンだ。
カポーティのこの理解し難い行動は、男たちに抑圧され、陰でガス抜きするしかない“籠の中の白鳥”たちを救いたかったのだと考えれば納得できる。
つまり、”籠がイヤなら籠を壊してしまえばいい。僕が代わりに壊してあげる・・・”とカポーティは考えたのだ。
しかし、多くの女性の解放の為に、カポーティが人生を賭けた、そのラディカルな行動に堪えうるほど、NYの上流社会とはいえ、所詮は村社会の柔らかな鎖に繋がれ生きるセレブ女性たちの人生は、そこまで単純なものではなかった。
たった、それだけの事だったのかもしれない。以上、elle.comからでした。
最後に〜物事はそう単純じゃない
まるで、等身大のもう一人のカポーティを眺めてるようだった。いやこの人が、私が一番見たかったカポーティなのかもしれない。
毒親に育てられ、社交界にその毒を撒き散らした格好となったが、それこそがカポーティに許された唯一の”癒やし”だったのかもしれない。
その一方で、もう1人の毒親に育てられた娘ケイトを養子として立派に育て上げる事も、カポーティの孤独を癒やす、はけ口だった筈だ。
そう考えれば、「冷血」以降のカポーティは人が思うほど、苦悩に満ちたものじゃなかったのだろうか。
他人の人生は自分が思う程に単純じゃない。勿論、自分の人生もブログや日記に出来るほど、単純なものでもない。しかし、カポーティの人生は複雑すぎた。
彼が敢えて、自らの生い立ちや養子の事を語りたがらなかったのは、そういう事なのかも知れない。逆に彼は、自分を取り巻く環境を”毒”とみなす事で、奇才カポーティらしく、最後は純朴に表現したかったのだろうか。
事実「叶えられた祈り」では、人様の事をあからさまに書いた事で、大きなトラブルを生んだ。しかしそれは、上流社会の真実を的確に突いてはいた。
つまり彼は、初戦は村社会に過ぎないセレブ界の闇を純粋に描いただけだ。私たちが僻んだ視点で彼らを誹謗中傷するのとは、大きく訳が違う。
売上を名声を、いやそれからの人生を考えれば、自分の事も他人の事ももっと面白おかしく書けたであろうか。
しかし彼は、自分の描き方を貫いた。つまり、沢木耕太郎さんが言った様に、何を書くか?ではなく、どう書くか?がカポーティの全てだったのだ。
しかし、「叶えられた祈り」では、”何を”書いたが大きな問題になった。
もし、批評家らが”どう”書いたかに焦点を当ててたら、もっと違った展開になったかもしれない。第一章が出版された時、周りがそれに気付いてたら、カポーティの天才ならではの苦悩は、少しは和らいだだろうか。
例えば、セレブの実情を書くではなく、カポーティが描きたかったもう一人の「ティファニーで朝食を」を、”毒親”の視点でドキュメンチックに書けば面白かった。しかし、「叶えられた祈り」では”何を”に拘った。なぜか?私にはわからない。
もしかしたら、もう1人の本当の自分を曝け出したかったのかも知れない。孤独の同性愛とに挟まれた抑うつとは、とはそういうものかも知れない。
弱みを曝け出し同情を誘うか?毒を吐いてでも自分を貫くのか?
多分カポーティは、毒を吐いてでも「冷血」を超える新しい何かを、「叶えられた祈り」で書きたかった筈だ。しかし、”何か”に拘った瞬間に全ては崩れ去った。
そう、人生も小説も人が思うほどに、単純じゃないのだろう。
ただ、他人を思いやり愛情を注ぐという高質な感受性にては、ビコさんのお父さんもお兄さんもカポーティと瓜二つだった様に思います。
これからはこうした他者への感受性の高い人を数多く輩出しないと、日本は確実に衰弱しますね。
カポーティは同性愛というより孤独のほうが深刻だったかもしれません。
「遠い声遠い部屋」で自らの生い立ちをモデルに、「ティファニーで朝食を」では母をモデルにして、「冷血」ではもう一人の自分(ペリースミス)を。
そして「叶えられた祈り」では、自らを取り巻くセレブの世界を描いてますが。本当は慈悲深い本当の自分を描きたかったんではないだろうか。
そう思うと、全てが繋がってるようにも思えるんです。
コメント長々と引用して下さり、有難う。
確かに、養子のケイトから見れば、上流階級のセレブなんて腐った生き物に見えたんでしょうかね。
お陰で、色々と勉強になりました。
養子のケイトさんが言ってるように、カポーティの”センシビティ”さがつまり繊細さが、もう一人の慈悲深い自分を描くどころか、自ら救おうとしたセレブたちに毒を吐いてしまった。
でも、養子のケイトの面倒を生涯を賭けてみてるうちに、何かが少し変わってきたのかな。
彼女の必死で生きる無垢な様子を見て、セレブ連中が敵に見えたのかもしれないです。
養子のケイト嬢の存在がカポーティの運命を大きく買えたのかも知れませんね。
一端の父親になる事で、自分の周りを見る目が変わったんでしょうか。
人生って単純じゃないんですね。