前回”3の2”では、ディリクレとL関数(ゼータ関数)と素数との繋がりについて述べました。
そして、このディリクレの素数研究に大きな影響を与えたオイラーの無限和の考察こそが、素数が無限個ある事を突き止めます。
そこで今日は、オイラーが発見したこの”無限和”の考察(オイラー積)が、ギリシャ時代の素数物語をゼータ関数に結びつけ、ディリクレを経由し、如何にリーマンに結びつけたかを述べたいと思います。
「素数の音楽」(マーカス・デュ・ソートイ著)を参考にしてますので、関数式は殆ど出ませんから、多少長くても一気に読めると思います。
音楽と素数と数学とピタゴラス
数学者がこの無限和に興味を持ったきっかけは音楽にあり、元を辿ればギリシャ人に行き着く。数学と音楽の関係に初めて気付いたのはピタゴラスだ。
彼は水を入れた壺を叩き音を立てた。水の量を減らしながら、1、1/2、1/3、1/4・・・が調和する事に気付いたピタゴラスは、”音楽こそが宇宙を支配してる”と信じた。
事実、バロック作曲家のフィリップ・ラモー(仏)は”数学の助けによって、初めて私の考えがはっきりした”と記した(1722)。
因みに、ピタゴラスと音楽の関係は「音楽と数学の交差」(写真)を薦めます。
一方オイラーは、音楽を数学の一部と位置づけ、”音が美しいのは背後に素数が潜んでるからだ”と信じた。更にライプニッツの言葉を借りれば、”音楽こそが人間の頭脳が知らず内に経験する悦び”と共鳴した。
G・H・ハーディーは”創造性あふれる芸術としての数学しか興味がない”と述べるが、ナポレオンが創設したアカデミーに属したフランス人数学者にとって、数学が心を踊らせるのは、数学が現実に応用できるからではなく、数学そのものが美しいからだ。
ある楽曲を繰り返し聞くうちに新しい響きに出会う様に、数学者も証明を何度も何度も読み直すうちにエレガントな筋書きに行き着く。
ハーディーは、”この世に醜い数学に安住の地はない。数学の証明は、単純でくっきりとした星座の様なものであり、ばらまかれた銀河であってはならんのだ”とも述べる。
確かに、日本の数学は未だに受験用の醜い数学のままです。これじゃ数学そのものが理解されるのは何時の事になろうか?
ピタゴラスからオイラーヘ
数学と音楽は、美的領域のみで繫がってる訳ではなく、音楽の物理的な特質は、数学の基盤に根付く。
例えば、クラリネットは1、1/3、1/5、1/7、、、の倍音が生まれ、バイオリンはピタゴラスの音と同様に、1、1/2、1/3、1/4、、、の倍音が生まれる。
故に、1+1/2+1/3+・・・という無限和は”調和級数”と呼ばれ、これはζ(1)の値(無限=極)でもある。しかし、このゼータ関数(級数)に1より大きな自然数を入れると値は有限になり、この事はオイラーも気付いてた。
しかし、ζ(2)=1/1²+1/2²+1/3²+・・・に関しては当時はかなりの難問で、8/5に近い程度の事しか判らなかった。
流石のオイラーも”努力したが、これ以上の事は解らないだろう”と匙を投げた。しかしオイラーは、この級数を弄くり回すうちに無鉄砲な分析だが、1+1/4+1/9+1/16+・・・=π²/6という驚異の発見をする(バーゼル問題=1735年)。
バーゼル問題の詳細で濃密なドラマに関しては、後で述べます。
このオイラーの無限級数がπに結びつくという発見は、ゼータ関数が素数に繋がる事を偶然にも発見するきっかけとなる。
つまりオイラーは、ギリシャ人の素数物語を自ら発見したゼータにより書き換えたのだ。これこそが”オイラー積”の発見であり、ゼータ関数と素数の接点を結びつけたのだ。
この発見は”バーゼル問題”にも負けるとも劣らない大きな発見でもあった。
今更ですが、オイラー積とは(1+1/2ˣ+1/4ˣ+・・・)×(1+1/3ˣ+1/9ˣ+・・・)×・・・×(1+1/pˣ+1/p²ˣ+1/p³ˣ+・・・)×・・・=1/1ˣ+1/2ˣ+1/3ˣ+・・・=ζ(x)の事である。
オイラーは、ζ(2)=π²/6という無限和の値の展開を分析しようとしてた時に、”あらゆる数は素数をかけ合わせて作られる”事に気づいた。つまり、どんな数も素因数に分解できる事から、素数を掛け合わせれば全ての数は作られるのだ。
故に、”自然数は素数の積に一意的に表される”事から、今日では、オイラー積は”オイラーの積表示”と呼ばれ、自然数に渡る和と素数に渡る積がイコールで繫がる事になる。
しかしオイラーは、素数の性質をこの様に書き換えた意味を完全に理解してた訳でもなかった。それにギリシャ人が2千年も前に作り上げた素数物語を、違う形で表現しただけだったのかも知れない。
オイラーからディリクレへ
オイラーは自ら発見したオイラー積により、素数が無限にある事を証明します。つまり、ζ(1)=1+1/2+1/3・・・が無限に飛び散るのは、素数が無限個あるからで、素数がゼータ関数と結びついた瞬間でもあった。
しかし、ディリクレが19世紀の視点に立ち、オイラーの積表示を眺めた事で、新たな数学の地平線が見えてきた。
”見慣れたものを新しい言葉で表現するとそれまで見えなかった何かが見えてくる”
ディリクレはオイラーのこの素数の再公式化に触発され、”時計計算機に素数を入れると常に1時を指す”という”フェルマーの小予想”をゼータ関数を使い、証明しようとした。
素数が無限にあるというユークリッドの背理法だけでは、このフェルマーの直感を確認する事は不可能だ。しかしオイラーの証明により、この時計計算機で1時を指す素数だけを数えるだけでいい。
この証明はまんまと成功し、ディリクレは素数の謎の発見にオイラーのアイデアを活用した初の人物となる。前回”3の2”(Click)でも述べたが、彼は素数が無数にある事を証明する為に、オイラーが発見したゼータ関数の親玉であるL関数を初めて使ったのだ。
今ではこれを”算術級数の素数定理”(1838)と呼ぶが、これこそが”解析数論の始まり”とされる。
これはオイラーが書き換えた素数物語を大きく進展させた一歩だったが、素数の謎の解明にはまだまだ遠かった。
ディリクレからリーマンへ
ディリクレがゲッティンゲンに移ったからには、ディリクレのゼータ関数と素数の繋がりがリーマンに伝わるのも時間の問題だった。
ディリクレはリーマンにゼータの破壊力を語った筈だ。しかしリーマンは、未だコーシーが切り開いた虚数の魔力に浸っていた。
そのうちリーマンの目の前に新たな風景が差し込んでくる。抽象的な複素関数の先に素数の世界が広がっていたのだ。
素数の個数に関するガウスの予想(素数定理)がなぜ、ガウスの予想通りに正しくあり続けるのか?
その理由を説明する何かが突然見えてきたのだ。
ゼータ関数を使えば、ガウスの素数定理を解く鍵が手に入る筈だ。ガウスの直感をガウスが切望した様な確実な証明に変える事が出来る筈だ。
数学者たちも、ガウスの対数積分の値と素数の個数との差が、数が大きくなるにつれ小さくなる事に気づき始めていた。
しかし、リーマンの発見はそれだけでは留まらない。それは素数を全く新しい視点から眺めてる事に気付いた。つまり、ゼータ関数が素数の謎を明らかにする音楽を奏で始めていたのである。
1955年からゲッティンゲンに赴任したディリクレだったが、実質リーマンを指導したのは2年間だけであった。
事実、ディリクレの静かな生活は長くは続かなかった。1858年夏には急性の心臓病を患い、一時小康を得たが、レベッカ夫人が急死した後に再び重篤に陥り、1859年5月、54年の生涯を閉じた。
リーマンは当初、素数定理に関する論文を発表する気はなかったとされる。完璧主義者の彼にとって、未完成の論文は耐えられなかったのだろう。
しかし、ディリクレの死の2ヶ月後、彼の跡を埋める様な形で正教授に任命され、すぐにベルリン・アカデミーの通信会員として採用された。これは第3の論文である「アーベル関数の理論」(1857)が高く評価されたからだ。
10年ぶりにベルリンに行くと、クンマー、クロネッカー、ワイヤシュトラス、ボルヒャルトといった錚々たるメンバーが出迎えた。
特にワイヤシュトラスは、リーマンの素数に関する研究に大変興味持っており、ぜひとも発表する様に薦めた。
しかし私が思うに、4年前のガウスの死と6ヶ月前のディリクレの死がなかったら、この論文はなかったと思う。つまり、2人の死を弔う為の論文だと思えるのだ。
未完の論文
そしてリーマンは、1859年11月、「与えられた量より小さい素数の個数」の論文を提出した。
この僅か8頁の報告書は、素数の存在と見方を根本から変える事になる。お陰で数学者たちは、このリーマンの論文に導かれ、不思議の国のアリスが兎の穴を通る様に、なじみ深い数の世界から直感に反する事の多い新たな数学の世界に惹かれていく。
この論文には、直感的でかつ視覚的な所があり、非常に苛立たしい傑作でもあった。それにリーマンは、ガウスの様に証明の細かな痕跡を消す癖があった。
”一応証明は出来たんだが、自分の目からすると、まだ発表する所まで行ってない”と、じれったい言葉で濁した。
事実、この論文の中でリーマンが主張した事は難解すぎて、”全てが単なる予想ではないか?”と疑われた。しかし後に、リーマンの主張した殆どの正しい事が証明され、予想とされたのは、論文の片隅にひっそりと隠れてた、未だ未解決な”リーマン予想”だけであった。
しかし、この論文には幾つかの欠陥やリーマン自身混乱した部分がある。それを思うと、リーマンが速攻で素数に関する論文を書き上げた事は奇跡と言っていい。
但し、このリーマン予想に関しては、”厳密な証明が欲しい所だが、幾度か試みたが失敗に終わった。しかしこの仮説が直接の対象となる訳ではないから、ここでは伏せておく”と、自らの限界を認めてはいる。
事実、この論文の目的はガウスの素数定理の近似を良くする事の確認でもあった。
しかし不思議な事に、素数定理を確立する上で強力な武器を手に入れてたにも拘らず、リーマンは素数定理そのものを証明するには至らない。
この論文に、素数の謎の全ての答えが盛り込まれてる訳でもないが、今日に至る数論の流れを決めるに相応しい著作でもあったのだ。
もしディリクレが生きてれば、この発見に大いに興奮したであろう。
かつてリーマンの教授資格論文に我を忘れて興奮し、道端の穴に落ちて怪我をしたガウスも、この発見を目にする事なく死んだ。
しかしこの未完の傑作のお陰で、この年の12月に晴れて、ベルリンアカデミーの正会員に任命される事となる。
少し長くなりましたが今日はここまでです。次回は再び、オイラーとディリクレの素数の考察に舞い戻り、ゼータ関数と素数の繋がりをタウバー定理と階段関数の視点から眺める事にします。
数学が音楽に結び付いたお陰で、ゼータ関数も素数と結び付き、素数の謎とゼータの謎が一致して解明される日も近いのでしょうか。
「詩のわからない者は本当の数学者ではない」って言ってるよね
何だかそういうのわかるな
音楽は感覚の数学であり、数学は理性の音楽である
と言ったかな。
結局、数学者はロマンチストで転んだサンのようにいつも夢を見てるんだよ。
だって複素数の世界も実像と虚像が入り混じった世界だものね。
という縮図ですよね。
あまりに美しすぎるから、その謎を解くのは永遠かもです。
リュシアンは詩人になるより数学者になってた方が確実に出世してましたね。
そういう意味では数学者って正直な生き物ですかね。
数学は「音の基礎」であり.音楽に存在する音それ自体の配列が注目すべき数的性質を宿します。
これは単に自然現象が驚異的な程に数学的性質を有してるからで、古代中国人やエジプト人、メソポタミア人は数学的原理を研究していました。
特に、古代ギリシアのピタゴラス教団が数の比率の比率による音階の表現を研究したが、彼らの教条は「自然界のあらゆる構成物は数から生じる」つまり、ハーモニア(調和)から成り立つというものでした。
プラトンの時代よりハーモニアは自然物理学の基礎部門の1つとして、今で言う音響学と見なされていました。
古代インドや中国の音楽理論家は、和声やリズムの数学的法則が私達の暮らす世界の理解だけでなく、人類自体の理解にとっても不可欠なものである事を示そうとしました。特に孔子はピタゴラスと同じく、小さな数である1、2、3、4をあらゆる完全性の根源であるとみなします。
音楽を作曲し、聞く新たな方法を見出す試みは集合論や抽象代数学や数論の音楽への適用を促す事となります。
音楽は人間の感性を通しどのように見えるかを表現するし、数学はこれらの対象を人間の知性を通しどのように見えるかを表現する。
この様に音楽と数学は表現に使うフィルタが大きく異なるのも事実。
しかし、音楽は対象を音という手段で”象徴的に表現”し、数学は対象を記号という手段で”抽象的に表現”する。つまり、表現するという点では同じなんだろう。
音楽は音(音符)という言語を使うし、数学は記号(数式)という言語を使うが。これは人が何かを認識する言葉とも言い換えれる。
音楽も数学も何かを表現し理解する時、対象の本質をダイレクトに主張する為に、余分な枝葉を削ぎ落とし、シンプルに見栄えがイイように再構成する。つまり両者とも出来映えの美しさを追求するという点では同じなんだよな。
そう考えると数学は、全ての学問を飲み込む壮大な学問ではありますね。
でもウィキにしてはかなり力の入った記事ではありますね。
コメントとても勉強になります。
確かにリーマンは出来栄えを意識した筈もないんですが、シンプル過ぎたが故に色んな誤解や混乱も招きました。
しかし、リーマンの主張がダイレクトすぎるが故に、多くの数学者を惹きつけた事も事実ですね。
コメントとても参考になります。