○3月27日
宜興より浙江省湖州市長興縣水口郷顧渚山へ移動し、
顧渚紫筍茶の製茶を見学。
顧渚紫筍茶は、陸羽の茶経にも登場する有名なお茶で、
唐代には献上茶として国を代表するお茶でした。
顧渚紫筍茶の新芽はうっすらと紫がかった色をし、
筍のようにぷっくりとした形をしていることから、
紫筍茶といわれています。
新芽は一芯一葉~一芯二葉で、
一斤(500g)のお茶を作るのに、6万から8万の新芽を摘むそうです。
お茶の製造は機械化が進む中、
伝統の釜で作る製茶法も見せていただきました。
このお茶は烘青と炒青を両方行う製茶工程を経て
作られるお茶です。
明前の新芽で作られた顧渚紫筍茶は、
採れたての筍のような息吹を感じ、
まるで春の香に包まれたかのような、
甘くて柔らかい味わいのお茶です。
○3月28日
唐代の皇帝は献上茶とされていた顧渚紫筍茶を
製造、監督するために国営の製茶工場「貢茶院」を設立しました。
雄大な敷地に復元されたその「貢茶院」を訪問しました。
立派な陸羽閣や広い貢茶院の様子。
当時のお茶を製造する様子も再現してありました。
洗茶(Wash tea)→蒸茶(Steam tea) →搗茶(Mash tea)
→拍茶(Press tea)→晾茶(Air tea) →串茶(Punch tea)
→焙茶(Bake tea) →封茶(Pack tea)
当時の献上茶は真ん中に穴を開けた、
丸い形をした小さな餅茶でした。
次に向かったのは陸羽のお墓。
陸羽の晩年はこの浙江省湖州市で過ごし、
茶経を完成させたとされています。
我々は陸羽の墓石前で無我茶会をし、
陸羽に一杯のお茶を献茶いたしました。
ここから山頂の三癸亭まで階段を上っていきます。
顧渚紫筍の茶樹も眺めつつ、
途中、皎然霊塔もありました。
皎然は禅僧の達人であり、詩の師匠のみならず、
唐の時代の茶の師匠でもあり、
陸羽が茶経を著述したのは、
皎然との友情に負うところが大きいそうです。
更に進むと、李自強宗師の寄贈された石碑が置かれています。
「新加坡和中国的茶人友誼常青」
~シンガポールと中国の茶人の友情は永遠である~
私も改めてこの旅で茶友の大切さを学びました。
李宗師の寄贈石碑を眺めつつ更に登っていくと、
見晴らしの良い頂上に三癸亭があります。
三癸亭は陸羽の詩の友、有名な書道家でもあり、
湖州の行政長官でもあった顔真卿が
陸羽のために造った亭とされています。
陸羽もこの地で美しい風景を愛でながら、
詩を詠んだりお茶を楽しんでいたのかと思いを馳せると、
とても感慨深く、しみじみといたしました。
陸羽の墓を後にし次に向かったのは、
浙江省杭州市余杭区径山にある仏教禅寺径山寺です。
径山寺は日本とのゆかりが深く、
禅の修行のため日本から何人もの修行僧が
ここで学んだと言われています。
禅僧たちはいろんなものを持ち帰り、
日本茶道に影響を及ぼしたとされ、、
径山寺味噌(金山寺味噌)や醤油も径山寺が由来とされています。
径山寺からのすばらしい景色。
今回の旅で唯一心残りなのは径山茶が手に入らなかったこと。
今年の茶摘みは1週間後からとのことでした。
この日の夜はまだまだ続きます。
中国人の茶友の紹介で得光清茶館へ。
川べりにたたずむ素敵な茶芸館でした。
優雅な雰囲気の茶館で、茶友の淹れたお茶や点心を楽しみました。
この後更に腹ごなしをしに夜の屋台へ繰り出した私達。
ホテルに着いた頃には日をまたいでいて(笑)、
とても長い一日でした。
浙江省杭州市の獅峰龍井茶につづく・・・
宜興より浙江省湖州市長興縣水口郷顧渚山へ移動し、
顧渚紫筍茶の製茶を見学。
顧渚紫筍茶は、陸羽の茶経にも登場する有名なお茶で、
唐代には献上茶として国を代表するお茶でした。
顧渚紫筍茶の新芽はうっすらと紫がかった色をし、
筍のようにぷっくりとした形をしていることから、
紫筍茶といわれています。
新芽は一芯一葉~一芯二葉で、
一斤(500g)のお茶を作るのに、6万から8万の新芽を摘むそうです。
お茶の製造は機械化が進む中、
伝統の釜で作る製茶法も見せていただきました。
このお茶は烘青と炒青を両方行う製茶工程を経て
作られるお茶です。
明前の新芽で作られた顧渚紫筍茶は、
採れたての筍のような息吹を感じ、
まるで春の香に包まれたかのような、
甘くて柔らかい味わいのお茶です。
○3月28日
唐代の皇帝は献上茶とされていた顧渚紫筍茶を
製造、監督するために国営の製茶工場「貢茶院」を設立しました。
雄大な敷地に復元されたその「貢茶院」を訪問しました。
立派な陸羽閣や広い貢茶院の様子。
当時のお茶を製造する様子も再現してありました。
洗茶(Wash tea)→蒸茶(Steam tea) →搗茶(Mash tea)
→拍茶(Press tea)→晾茶(Air tea) →串茶(Punch tea)
→焙茶(Bake tea) →封茶(Pack tea)
当時の献上茶は真ん中に穴を開けた、
丸い形をした小さな餅茶でした。
次に向かったのは陸羽のお墓。
陸羽の晩年はこの浙江省湖州市で過ごし、
茶経を完成させたとされています。
我々は陸羽の墓石前で無我茶会をし、
陸羽に一杯のお茶を献茶いたしました。
ここから山頂の三癸亭まで階段を上っていきます。
顧渚紫筍の茶樹も眺めつつ、
途中、皎然霊塔もありました。
皎然は禅僧の達人であり、詩の師匠のみならず、
唐の時代の茶の師匠でもあり、
陸羽が茶経を著述したのは、
皎然との友情に負うところが大きいそうです。
更に進むと、李自強宗師の寄贈された石碑が置かれています。
「新加坡和中国的茶人友誼常青」
~シンガポールと中国の茶人の友情は永遠である~
私も改めてこの旅で茶友の大切さを学びました。
李宗師の寄贈石碑を眺めつつ更に登っていくと、
見晴らしの良い頂上に三癸亭があります。
三癸亭は陸羽の詩の友、有名な書道家でもあり、
湖州の行政長官でもあった顔真卿が
陸羽のために造った亭とされています。
陸羽もこの地で美しい風景を愛でながら、
詩を詠んだりお茶を楽しんでいたのかと思いを馳せると、
とても感慨深く、しみじみといたしました。
陸羽の墓を後にし次に向かったのは、
浙江省杭州市余杭区径山にある仏教禅寺径山寺です。
径山寺は日本とのゆかりが深く、
禅の修行のため日本から何人もの修行僧が
ここで学んだと言われています。
禅僧たちはいろんなものを持ち帰り、
日本茶道に影響を及ぼしたとされ、、
径山寺味噌(金山寺味噌)や醤油も径山寺が由来とされています。
径山寺からのすばらしい景色。
今回の旅で唯一心残りなのは径山茶が手に入らなかったこと。
今年の茶摘みは1週間後からとのことでした。
この日の夜はまだまだ続きます。
中国人の茶友の紹介で得光清茶館へ。
川べりにたたずむ素敵な茶芸館でした。
優雅な雰囲気の茶館で、茶友の淹れたお茶や点心を楽しみました。
この後更に腹ごなしをしに夜の屋台へ繰り出した私達。
ホテルに着いた頃には日をまたいでいて(笑)、
とても長い一日でした。
浙江省杭州市の獅峰龍井茶につづく・・・