トリノオリンピック直前の2006年2月、サピコにアイススケートを体験させようと近場のスケート場を検索。そして相模原の銀河アリーナを知ることになります。こんな近くにスケート場があったとは・・。さっそく連れて行きました。
初スケートの娘と25年ぶりのわたし。その危うい滑り出しも2時間後にはやや上達。帰り支度をしながらリンクを見ると、ホッケ靴じーさんの豪快な技、フィギュア小学生のキュートなジャンプ、メタボ親父の華麗なスピンに目を奪われました。あんな技ができるようになって、おんな子供の注目をあびたい。これがスケートにはまるきっかけでした。その後、荒川静香のイナバウアーを目指して週1,2度の滑走、現在に至っています。
そのころの家族はというと、サピコはジャニーズとプロ野球、ママは暗号解読、別のものに興味を持ち始めていました。結果、家族でスケートを楽しむというかたちにはならず、わたし一人でのスケート三昧になります。
初スケートの娘と25年ぶりのわたし。その危うい滑り出しも2時間後にはやや上達。帰り支度をしながらリンクを見ると、ホッケ靴じーさんの豪快な技、フィギュア小学生のキュートなジャンプ、メタボ親父の華麗なスピンに目を奪われました。あんな技ができるようになって、おんな子供の注目をあびたい。これがスケートにはまるきっかけでした。その後、荒川静香のイナバウアーを目指して週1,2度の滑走、現在に至っています。
そのころの家族はというと、サピコはジャニーズとプロ野球、ママは暗号解読、別のものに興味を持ち始めていました。結果、家族でスケートを楽しむというかたちにはならず、わたし一人でのスケート三昧になります。