京から数えて31宿目、金谷宿です。
遠景の山々は、今の牧之原台地の北東縁にあたるそうです。
しかし高くなっているような山は存在せず、広重の構図作りで描かれたもののそうです。
昔は大井川を境にして駿河と遠江に分けていました。
山麓の家屋のあるところが金谷坂で、金谷宿はこの麓になるようです。
現在は、大井川橋がかかっていますが、当時は幕府の政策で徒行(かち)渡しとなって
いて、大勢の渡し人足が働いていました。
別角度からです。
原画はこちらです。
兎にも角にも、小さい人物を大勢制作して疲れましたが、完成するとまぁまぁでした。
遠景の山々は、今の牧之原台地の北東縁にあたるそうです。
しかし高くなっているような山は存在せず、広重の構図作りで描かれたもののそうです。
昔は大井川を境にして駿河と遠江に分けていました。
山麓の家屋のあるところが金谷坂で、金谷宿はこの麓になるようです。
現在は、大井川橋がかかっていますが、当時は幕府の政策で徒行(かち)渡しとなって
いて、大勢の渡し人足が働いていました。
別角度からです。
原画はこちらです。
兎にも角にも、小さい人物を大勢制作して疲れましたが、完成するとまぁまぁでした。