閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

「ホワイトデー」&「グリーンスリーヴズ」

2024-03-14 05:45:17 | 今日は何の日

       

今日は「ホワイトデー」、ネットで買って隠してあった千疋屋の羊羹、「何これ?」と前夜に
見つかってしまいました。良いことも悪いことも隠し事はできません。
1日早く二人で美味しく食べました。
           
きのうの朝、日の出を過ぎて雲が動いて富士山が姿を見せてくれましたね。しかし、午後からは
雲が上がって姿を消しました。
           
きのうの朝は、「クラシック倶楽部」で「ベンヤミン・アップル バリトン・リサイタル」を
聴きました。バリトンのいい声でしたが、馴染みの曲に私の大好きな「グリーンスリーブス」が
ありました。
残念ながら Youtube には彼の声がなく、King's Singers の歌声を掲載しました。
【英語】グリーンスリーヴス (Greensleeves) (日本語字幕)
レディ・グリーンスリーヴス(緑の袖の貴婦人)と呼ばれる恋人を慕う男の歌で、16世紀頃に出来たと言われるイングランド民謡の代表曲のひとつ。レディ・グリーンスリーヴスが誰なのかについては謎のままですが、証拠が確認できないものの、英国王ヘンリー8世(1491-1547)の誘惑をかつて拒絶したアン・ブーリンのことで、ヘンリー8世が彼女のために作曲した、という伝説も流布しています(ちなみにアン・ブーリンはその後ヘンリー8世の2番目の妃となり、後年に不義密通の罪で処刑)。画像はイングランドの画家ロセッティ(D. G. Rossetti, 1828-1882)によるレディ・グリーンスリーヴスの肖像。英国の声楽グループ、キングス・シンガーズ(King's Singers)による歌。 
 
「クラシック倶楽部」で唄われた曲目です。
作曲: シューベルト 作詞: ヘルティ 「幸福 D.433」   
作曲: レーガー  作詞: ラファエル 「子どもの祈り」
作曲: ブラームス 作詞: アイヒェンドルフ 「月の夜」
作曲: シュレーカー 作詞: ヤコブセン[/アルノルト(訳詞) 「森の孤独」
作曲: リヒャルト・シュトラウス 作詞: ギルム 「万霊節 作品10 第8」
作曲: シューベルト 作詞: マイアホーファー 「夜の曲 D.672」
作曲: プーランク 作詞: アポリネール 「ハイド・パーク」
作曲: イギリス民謡 編曲: ブリテン 「グリーンスリーヴズ」
作曲: ヴォーン・ウィリアムズ 作詞: ロセッティ 「静かな真昼」
作曲: ビショップ 作詞: ペイン  「ホーム・スウィート・ホーム」
作曲: ウォーロック 作詞: ベロック 「わが祖国」
 
きのうは8時に歩いてKI病院へ。胃カメラ検査を受けましたが、前回(12月)と同じような
結果で薬服用の効果はなかったですね。それで、胃炎の薬は貰いませんでした。一方、ピロリ菌
検査の結果は陰性で課題はひとつクリアしました。
ただ、職業柄か、また、胃の細胞を一つ取って検査に回されましたね。
帰ったら、往復、3,512歩でした。      
           
今朝は3℃と、また冷え込んで来ました。今日はいいお天気の予報で、妻は美容院に行くと
昨夜言っていっました。私はどうしようかしら・・?
 
今日の日の解説は不要ですが、発祥元の長い解説がありました。

2月14日の「バレンタインデー」にチョコレートなどを贈られた男性が、返礼のプレゼントをする日。

バレンタインデーのチョコレートに対して、キャンデーやマシュマロ、ホワイトチョコレートなどをお返しするのが一般的になっている。

ホワイトデー

ホワイトデー(全飴協説)について

日本でバレンタインデーが定着するに従って、若い世代の間でそれにお返しをしようという風潮が生まれた。これを受けたお菓子業界では昭和40年代に入ってから、個々に独自の日を定めて、マシュマロやクッキー、キャンデーなどを「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになった。

この動きをキャンデーの販売促進に結びつけ、全国飴菓子工業協同組合(全飴協)関東地区部会がホワイトデーとして催事化した。そして、1978年(昭和53年)に全飴協の総会で「キャンデーを贈る日」として制定され、2年の準備期間を経て1980年(昭和55年)に第1回の「ホワイトデー」が開催された。

ホワイトデーを3月14日に定めたのは、西暦269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策に背いて結婚しようとした男女を救うためにバレンタイン司教が殉教したが、その1ヵ月後の3月14日に、その2人は改めて永遠の愛を誓い合ったとされていることや、古事記および日本書紀で日本において初めて飴が製造されたとされる日が3月14日前後とされていることに由来する。

リンクホワイトデー公式サイト

ホワイトデーの起源については諸説あり、上記の「全飴協説」のほかに、「不二家・エイワ説」「石村萬盛堂説」がある。

不二家・エイワ説について

洋菓子や菓子類を製造・販売する株式会社不二家は「リターン・バレンタイン」という名称でバレンタインデーのお返し用菓子類の宣伝販売を行うようになり、1973年(昭和48年)にマシュマロを中心とした菓子を製造・販売する株式会社エイワと協力して3月14日にマシュマロを販売するキャンペーンを開始した。

エイワのハートマシュマロ
エイワのハートマシュマロ

リンク不二家エイワ

石村萬盛堂説について

株式会社石村萬盛堂は、1905年(明治38年)に創業し、福岡県福岡市博多区に本社を置く製菓業者で、黄身餡をくるんだ白いマシュマロ菓子の「鶴乃子」などの和菓子を販売する老舗菓子屋「石村萬盛堂」のほか、「ボンサンク」のブランドで洋菓子を製造・販売している。

三代目社長・石村善悟は、1977年(昭和52年)にバレンタインデーのお返しにせめてマシュマロでも渡してほしい旨の文章が少女雑誌に掲載されているのを目にした。石村萬盛堂はこの文章に触発され、バレンタインデーの返礼としてマシュマロを渡す日を創設し、返礼用マシュマロ菓子として「バレンタインデーに君からもらったチョコレートを僕の優しさ(マシュマロ)で包んでお返しするよ」というコンセプトで、黄身餡の代わりにチョコレートをくるんだマシュマロを売り出すこととした。

この「マシュマロデー」は、福岡随一の百貨店であった岩田屋(現:岩田屋三越)のアドバイスで、当時大型のイベントが無かった時期に当たる3月14日に設定され、1978年(昭和53年)3月14日からキャンペーンが開始された。後に、他業界にもこのキャンペーンを拡張するため、1980年代に百貨店側からの申し出により名称を「ホワイトデー」に変更した。

石村萬盛堂のマシュマロ

一般社団法人・日本記念日協会には「ホワイト・デー」の名称で、石村萬盛堂が制定した記念日として登録されている。また、石村萬盛堂は同協会より第11号「記念日文化功労賞」を受賞している。

リンク石村萬盛堂Wikipediaコトバンク 

コメント (2)
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