図書館の読書会に参加するようになって、自分ではあまり手を出さないようなジャンルの課題図書を読むようになった、このお勧めの味なエッセイ、面白かった。
当日司書さんが選んで机の上に出してある課題図書関連本の山を眺めるのも嬉しい。私の読書とは違った世界から湧いてくるようにやってくる。司書さんが差し出してくれる本というごちそうがどれもおいしそうで、部屋に積んでいる山のことなど忘れて、いつも三冊くらいはホクホクで借りてくる。
「これ借りていっていいでしょうか」「はいどうぞどうぞ」というとき司書さんは心底嬉しそうな顔をする。私も本屋さんで買うのとは違ってワクワクが倍増ししている。
この本は料理の世界から図書館に来た。旬の作家20名の食物絡みのエッセイで、表紙の浅井リョウほかというのが目についた。中に北村薫さんの名前もあった。
食べるのも作るのも好きで、子供のころから母と台所にいたからか、家事の中でも調理はあまり苦にならない。だからこういった作家の食べることについてのあれこれが面白かった。
ただ食に限っていても作風の違いに含蓄がある、日常の食をはみ出して自由に楽しんで書いていたり、素材にこだわりがあったり、思い出話だったり、面白かった。
そんな食べ物とのかかわりが文章になっていると、やはり人柄も偲ばれるものだ。いいなぁと共感した話は、短いプロフィールで紹介されているこの方の代表作をすぐ読んでみたくなる。
どこがどうだったか忘れないために書いておこう。
* 沖方丁さん、今は肉食万歳だそうだが、子供のころ暮らしたネパールの風習のせいで肉がしばらく食べられなかったそうだ。エッセイでも端正な文章は独特のSF作品や歴史絡みの作品からのイメージ通りだと感じた。土いじりから野菜の生存競争(生きていく知恵)を実感した話には、今年狭い庭でうまく玉ねぎを作れなかった私は大いに共感した。「え!玉ねぎは苗を土につっこんでおくと勝手に丸くなるのに」と菜園ベテランの友がいった。くっ敵もさるものそうはいくまい。
* 川上弘美さん
この方の作品は大好きなのね。だから、お鍋が苦手というのもいっしょいっしょと喜ぶ。
なんだかまわりの人に気を使いながら、おじやまでのコースを耐えなくてはならない。具の形も崩れてくるとあんた何者?しっかりしろと味どころでなくなる。親睦鍋には水を差せない、なんだか微妙な気持ちも邪魔をする。
そういえば、「今夜何食べようか」と聞くと、」必ず「鍋がいいなあ」と答える男の人とつきあったことがある。
すぐさま、別れた。
たぶん、人として自分には何か欠陥があるのだ。
都会の孤独。
人に心を開けない寒々しさ。
ひずみの多い現代人。
わかるのねぇ、そんなに人が苦手でもないし潔癖症でもないけれど食は自由に楽しみたい。
同じ鍋をつつく間柄というのは気が置けなくて痛みを分かち合える家族だけ、と大きく出てみた。
* 北村薫さんの思い出の話。
北村さんは「クオレ」で読んだ焼きリンゴに感激した、でもそれは後年読み返した岩波になかったそうだ。薄荷菓子の話も懐かしい。
そうだ私も中学にもなって焼きリンゴを食べたことがなかった。一方的に友人にされて連れていかれた家でほかほかの焼きリンゴが出た、珍しくておいしかった。味よりもリンゴの変形具合に驚いた。riリンゴは皮があってもなくてもかわいらしい形が好きだった。クリームもシロップもリンゴ味に溶け込んで違った世界から来たもののように異様に見えた。
昔、紅玉は牛の餌にするという東北の農家で余るほど貰って作ってみた、おいしかった。ふじなどでは紅玉のように酸味がないのでおいしくないと思いつつ、このごろあまり店先で見なくなったので作らなくなった。
* 葉室麟さんは、食べ物の話も時代小説のような落ち着いた香りがした。
「つくしの卵とじ」しばらく前まで近くの里山にたくさん生えていた。下草を刈らなくなって、いつもの場所でもう見かけなくなった。早春の一日は摘んできて袴をとって下茹でをしておく、春の行事だった。卵とじや巻寿司の具にもした。
葉室さんの熟成肉の話も面白かった。ニューヨークで海外産の肉の味に驚いて味に目覚めたのだそうだ。そうか話題の熟成肉。
* 平野啓一郎さんの「昼食は、ほとんど毎日カプレーゼ」
読んですぐ私もそうだそうだと、お昼のカプレーゼのために買い物に行った。お昼一人の献立は残り物がないときは何にしようかなと思う。モッツァレラチーズ、バジルはある。トマトもでっかいのを三つ買ってきて。三日は食べようと思った、あのモチモチジュワットくるチーズ味は,チンしないで食べたことがない。やっぱり、一回でお腹いっぱいになった。平野さん5年も食べているそうな。うちのチーズオタクでも感心しきり。
* 平野洋子さん「ハッシュドポテト」の来歴。
1976年、伊丹十三さん訳の「ポテト・ブック」を読んで作り始めたとか。おいしいですハッシュドポテト。
残念ながら最近糖質にこだわり根菜類を気にしている私。いつも新じゃがなどはを茹でて皮をむき冷凍していたのにもうない。ジャガバタやフライドポテトやコロッケを出すと、ドイツの主食だから夕食は米なしでいいよ、と喜ぶのに。ドイツは主食なのかなと、同じせりふで同じように首を傾げる日本的な私。
「何も入れないすっぴん茶碗蒸し」好き好き。
* 穂村弘さん
カップラーメンの歌
海老らしき物体やはり海老らしいカップ麵には四匹と半 岩間啓二
「半」おーなんか実感。
でも 夕食の後すぐにカップ麺食べると許さん、礼儀に反する息子よ。遠慮してせめて一時間くらい後にしろと私は怒るのだ。
* 堀江敏幸さん
「響きのない鐘を撞く」
山から掘ってきた自然薯をすり鉢でこすっておろす。痒い手をこすりながら私の仕事だった。おいしかった。
ゴリゴリがなくなるまで、響きが聞こえなくなるまで。
やっぱりうちでもだし汁で伸ばして食べるけど。
今日はにしんそばにとろろかけもいいな。
* 万城目学さん
「鰻」好きなのだが、だんだん舌が進化していく様子がなんとも、あるあるです。
たまぁに「極上の物など」頂いたりすると「もういつものものが食べにくくなくなった」と家族が言う。それが柔らかくジューシー且つ皮の柔らかいぽってりしたプルーンなどでも。
食通なんかではなくても、万城目さんの言うローヤルミルクティーであっても。
⋆ 湊かなえさんは淡路島だよりを書いている。
「はも」
夏の柔らかいはもを骨ぎりして湯引きで食べる。同級生が魚市場に勤めていて、何かの集まりに獲れたてを差し入れてくれた。これよりおいしい鱧を食べたことがない、それで今も懲りずに「はも、はも」と探しているけれど。
* 森見登美彦さん
料理は苦手だけれどお父さんの手料理がおいしかった思い出。
孤島で生き延びる話と文章の組み合わせの話。
やはり料理苦手ということで食のエッセイは、少し精彩にかけていたが、面白かった。
⋆ 柚木麻子さん
回転ずし巡りだけれど、あまり面白くなかったな。
でも地元のお寿司屋さんって、変わったものまで回っているのね。旅に出たら本屋さんと道の駅とお寿司屋さんにも行こう。
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HNことなみ