今から10年後、医療技術が進んで、脳から意識だけを取り出すことができるようになった。病んだ、壊れた肉体から一時離れることができるという、身近な誰でも持つような思いが理解できるようなSF小説。
この作者には「百年法」という前作があって、これは長いのでこちらから先に読んだ。作風をちょっと覗いてみるつもりだったが、荒唐無稽とも言い切れない、少し身近に引き寄せて現実に照らしてみるとこのSFの面白さがわかった。
意識を取り出せるということになったらメリットはなんだ。
それから話が始まる。意識という定義しづらいものを扱っているので、一応脳の中にある組織体の働きをひっくるめた「もの」という風に読むしかない。
私は医学的に脳や意識のメカニズムはよくわからないので、意識体という「もの」があると想像すればなんだか後の流れについていきやすかった。
脳のすべてをコピーできるナノロボットが開発され、それを注射して代わりの体に入れる。
受け入れ先は人工的に作った体を用意する。
大雑把なところ、そういうことに付随して、人々が右往左往するストーリーだ。
人間はみんな死ぬ。でもすべての人が死に時だと納得して消えていくのではない。多分死にたくないと思いながら受け入れて死んでいくのだろう。
私は幸い今は切羽詰まって自分の死を目前にしていないので自分が死に時にどう思うのかまだ想像できない。究極の運命というものは判らないながら。
それでも。現実を享受していて、あるいは生きる苦しみの裏にある生きる楽しみの真っただ中にいる人間もいることだろう。
目的達成途中で光が見えている人、それぞれに死に時でないと感じている人は、突然の死から逃れるために代体を恵みだと思うだろう、いかに高価なものであっても利用できるなら利用したい。長く生きてほしい人たちもいるのだから。
そういった人たちの物語が様々に絡み合い、その研究で大きな利益を得るための組織ができる。
不法な利益を見張る政府機関ができる。
代体利用者を募り、代体を売る会社の営業マンがいる。
基本的には、損壊の激しい肉体を修復して、一度写した意識を戻す。30日以内にという制限がある。
その期限に肉体が生きていなければ死を受け入れなくてはならない。
そこで葛藤が起きる。
しかし命や意識というものの扱いは難しく、その上で生き続けようとする人たちの中には意識と肉体の同化の中でほころびが出る。自分とは何だろう、命とは意識とは、意識を埋め込まれ記憶を操作された人たちは、他人の気配を纏いながら生きていく、考えさせられるところもある。
技術の進歩に連れて人間の欲望は膨らんでいくが。一概にそれが醜いといえないのが読みどころで、古来から生きることについて様々な考証がされてきた。哲学といってもいい。
有限の生命の中で生きている身にとって興味深く面白かった。
そして非常に面白い医療科学の進歩が、何か今にも実現しそうな筆で書かれていると、この作者のテーマにする命というものが作り物でなく、その思いがしみてくるシーンもある。
平常心に戻ってみればまずあり得ないだろうという正直な感想とともに、こういった世界に遊んで、命というものを見直してみることもいい機会だった。
最後はごく人間的な締めくくりで、ここまでの登場人物の騒ぎが一瞬で鎮まった思いがした。
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HNことなみ