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「名画で読み解くロマノフ家12の物語」 中野京子 光文社文庫

2021-06-02 | 読書
 
 
家系図(抄)を参考にしながら、前史リューリク朝(イワン雷帝)からロマノフ朝(ニコライ二世)までの帝政ロシアの歴史を12枚の「怖い絵」とともに読んだ。なんという衝撃、知らなかったロシアの歴史にビックリ。
中野京子さんの「怖い絵」の書評を読みながら、絵の怖さは、解説を読めばもっと怖くなるかな、などと思いながら、そのうち必ず読もうとは思っていた。怖いなら積んでおくのも怖いなぁとも思いつつ。

図書館でふと目についたこれ、ここから中野本に入門してみよう。読みかけのブルガーコフの「犬の心臓」もあるしと借りてきて読み始めた。


これは大変、怖い絵をしのぐ怖い歴史の一端をなぞってある。後発のロシアは、怖い絵になるころにはすでに恐怖政治も真っただ中、極寒の中から立ち上がり、強権の皇帝をいただいて領土を拡大して一大帝国を築いていた。

その歴史は目を見張るものがある。
映画にもなった「イワン雷帝」。ごく普通の皇帝だったころもあった。アナースタシアとの穏やかで幸せな暮らしが崩れたのは彼女の急死からだった。実母の例もあって毒殺されたと確信した。そして彼は精神の均衡をなくして暴君になった。有名な息子殺しの逸話が彼の狂気を絵にもとどめている。しかし精神にブレはあっても其れをバネに領土を拡大、ロシアの基礎を作った。
名誉と権力を突き詰め、自己のものにするために権謀術数を張りめぐらした。ツァーリ(皇帝)の座を巡って、ロマノフ朝の恐怖政治はここから始まっていった。

次に帝位を巡って母と子の悲劇(庶子ドミトリーの暗殺)もあるこの混乱に乗じた他国からの侵略。
ついにアナースタシアの血筋にあたる(だという触れ込み)のミハイル・ロマノフが戴冠、ここからロマノフ朝が始まる。気の進まない位に着いた若いロマノフは、父親の支えもあって32年間の治世で中央集権を強化し安定した国を作り上げた。

次のツァーリ、アレクセイはロシア正教会の統一の名のもとに異端者弾圧を強めていた総教主ニコンを放擲、分派が多い教会の支配権を統一してその上に立った。遅れた信仰の方針がやっとここで定まった。ステンカ・ラージンの乱が起き、彼を抑え極刑に処した。あの歌の事件はこの頃だったのか。

再婚して生まれたピヨードルが三世になる、彼を田舎に追放し姉ソフィアはイワン三世を祭りあげた、成人したピヨードルは力をつけ姉を修道院に押し込め安心して海外視察の旅に出た。その間に国内で動乱が起きピヨードルは関係した多数を処刑、拷問惨殺、姉は幽閉され6年後に死亡した。
だが息子のアレクセイは遁走亡命。怒りのピヨードルは息子を拷問し死刑判決を下す。息子は謎の死を遂げた
ピヨードルも52歳で死に、側近の愛人だったマルタがピヨードルと再婚していた。エカテリーナ1世が誕生する。歴史に残る放埓な生活がたたって二年後、43歳で病死。夢のような玉の輿生活が終わる。
次がエリザヴェータ、二回も結婚の夢が破れた彼女を担ぎだしそうとしたが失敗またもやロシアは混沌。

亡命を試みて破れたアレクセイに息子がいた。ピヨードル2世だ。それが周りの思惑が外れ結婚前に死去。次がイワン5世の娘アンナ、まずまず建国に尽くしたが、後半はアンナ狂騒曲、もう先がないと悟ったが、エリザヴェータはいけない。大嫌い。そこで浅智慧か、行き詰ってかまだ生後二か月のイワン6世に継がせた。
だがエリザヴェータのクーデターでイワンは逮捕され看守に刺殺された。
エリザヴェータは評価は低いものの、20年の治世で多くの改革をなした。
だが彼女も後継者選びに失敗した。出来損ないのピヨードル3世の子に望みを託した。ゾフィが浮上、彼女が後のエカテリーナ大帝に育った。新婚当時皇太子に嫌いに嫌われた、皇太子にしてみれば愛人でもいい子供をという儚い望みで別居、9年目に男子出生。
ドイツびいきの皇太子はペチコート作戦に巻き込まれた。嫌いな妃(エカテリーナ)の排除を目論んだが、これがドイツ化していて嫌われ者の皇太子は、軍を味方につけた度胸のエカテリーナに即敗れて逮捕殺害されて終わった。

エカテリーナ二世はこうして女帝に即位。絶対君主「大帝」と呼ばれた。彼女は広大な国土を持ち農奴から吸い上げた莫大な資産で今に残る美術品を一括購入、有名なコレクションを手にいれた。「ここからここまで全部」のまとめ買いだったかも。34年間の在位期間にますます国土は広がり、先進の周辺国に交じっても存在感を増してきた。もはや遅れた貧相な寒い国ではない。
迷わず強権を発動し、絶対君主として君臨するべし。彼女はそう言って来た。
「フランス革命」も対岸の火事ではなかった。側近が馬鹿なせいだと決めつけた。
彼女は愛人21人。晩年まで派手に暮らした。で、そのせいか脳卒中で急死する。
お互い気に入らなかった息子パーヴェルが即位。女帝の政策を否定した政治で嫌われ5年後に殺害された。
夫が継いだがまたも懲りない反エカテリーナ政策は大失敗、クーデターで殺された。
これを見て見ぬふりをした息子のアレクサンドルが即位。祖母のスパルタ教育を受けて成長し、見目もよく振る舞いも洗練された青年になったが彼は子供時代から不幸を見過ぎてちょっとヘンだった。密かに「父殺し」と噂された。

さぁここからナポレオン登場。未熟なアレクサンドルは戦い巧者の老将軍を見抜けず遠ざけた結果二度にわたって敗戦。
わが地の利を得、冬将軍にも助けられて勝利、天才ナポレオンもエルバ島に流された。

そして「ウィーン会議」ナポレオンに勝ったと鼻高々のアレクサンドル1世は見かけがいいだけで評価は低かったが気がつかないお坊ちゃん。だが運悪くナポレオンが脱出してウィーン会議は踊ったまま。だがまたも敗れたナポレオンはセント・ヘレナ島へ。
アレクサンドルは失意のまま帰国、外の文化を見た彼は自国の政治を投げ出した。代わりの軍人政治は人間性を無視した過酷なものだった。アレクサンドルは僻地を視察途中で急死。

次に弟のニコライ1世が即位。一層の恐怖政治で、処刑、シベリア流刑 圧制、弾圧の強化。ここでドストエフスキーが銃殺前に辛くもシベリア送りになる。密かな反政府感情の下で様々な芸術が生まれ始める。

ニコライ2世死去後に息子のアレクサンドル2世が即位。彼は農奴解放令を出した。だが農奴は貧しく土地が持てなかった。世間知らずの貴族帝は全く生活感がない。というか知らない。農奴の一揆に勝手に傷つき、ただ恋人を求め妻を粗略に扱い子だけを産ませ、暗殺された後は母子ともども国を追われた。
アレクサンドル3世が即位。ロシアの近代化は進む。

大津事件のニコライ皇太子は暗殺された2世の孫。3世はマイホームパパで酒浸りだった。22歳のニコライ皇太子が大津で襲われスワと危機感を感じた天皇の素早い応対で事なきを得た。

アレクサンドル3世は飲み過ぎの腎臓病で死去。ニコライが即位。彼は優しい両親のもとで育ちマザコンだった。ただ母に逆らって結婚した相手がヴィクトリア女王に繋がる血友病の遺伝子を持っていた。

彼は国内の政治不満をそらすために日露戦争を起こした。日本も視線が国外に向き始めていた。ロシアは日本の国力を侮っていたのだ。バルチック艦隊は一方的に叩き潰された。

帝政打倒、戦争反対の声が大きくなってきていた。ニコライの叔父が暗殺された。民衆が王宮に向かって行進している中に軍が発砲した。数百人が犠牲になった。「戦艦ポチョムキン事件」という海軍の反乱もあった。だがニコライは政治方針を変えなかった。そこにラスプーチンが現れた。夫婦はこの怪僧を宮殿にいれて霊力といわれるものにすがった。、末の子供アレクセイに血友病が出たのだ。
だがラスプーチンが暗殺された。

彼は家族と長い休暇を取り、6年間政治を放り出してしまう。
だがサラエボで皇太子夫妻が暗殺され見捨てておけない。そしてドイツ相手に始まった戦争が「第一次世界大戦」になる。
前線に出てみるが国内の世情不安は反乱一揆になって増えてきている。それでもまだ周りのせいにした不満を持っていた。退位を迫られ擁護者もなく幽閉され、またもや甘い見当違いで一家7人は銃殺された。

ここからソ連は社会主義国家が形作られ、ボルシェビキの台頭で新たな恐怖政治が始まった。

「怖い絵」に描かれた肖像画は恐ろしく、物悲しい。すべてに恵まれた裕福さは人を盲目にさせるのか。恐怖からはただ逃げることしかできない、人はあまりにも弱く縋りつく身分や富の支えが争いを産み、温室育ちは殺されるしかない。ロマノフ家に繋がるひとたちはあるいは慢心や傲慢の底には、形を変えた弱さがあって、それが人としての典型であったのかもしれない。
教育さえ環境を超えることはできないのだろうか。

今民主教育もここまで来た。
歴史に学ぶところは多い、が、あまりにも違うスケールにめまいがする。

初めて知ったロシアの歴史は面白い。もう少し読んでみたい。

長くなってしまってm(__)m
 
コメント
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